令和の社会・ニュース通信所

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    カテゴリ:国内 > 皇室


    インスタ発信が強化されると、若い世代にも天皇家の魅力が伝わりやすくなるかもしれませんね。新しい試みに期待です。

    1 @おっさん友の会 ★ 警備員[Lv.10][新芽] :2024/08/30(金) 16:37:51.77 ID:oc2h/qo79
    宮内庁は30日、交流サイトのインスタグラムを通じた情報発信強化など、広報充実のための費用3400万円などを盛り込んだ令和7年度予算の概算要求を発表した。

    宮内庁は4月にインスタの公式アカウントを開設。天皇、皇后両陛下のご活動を中心に写真や動画で情報発信に取り組み、フォロワーは30日現在179万人。概算要求には、動画撮影の委託や専門家の助言を得るための費用などを計上。5年4月に発足した広報室(10人)の3人増員も求めた。

    続きは産経新聞 2024/08/30 16:07
    https://www.sankei.com/article/20240830-UKHQZ7QMBZPJ7CQNSAFQCX5SOQ/

    【【社会】宮内庁、インスタ発信強化へ 令和7年度予算の概算要求3400万円】の続きを読む



    日本の皇室に対する関心は高まっているようですね。愛子天皇に対する期待も大きいようです。

    愛子内親王への注目が高まっているのはなぜか。宗教学者の島田裕巳さんは「室町時代の公卿・一条兼良が現代にあらわれれば、『愛子天皇』待望論を声高に主張したに違いない。愛子内親王には国民をひきつける天性のカリスマ性がある」という――。

    ■秋篠宮家に対する根強い不信感

    2023年6月に、小林よしのり氏が『愛子天皇論 ゴーマニズム宣言SPECIAL』(扶桑社)を刊行して以来、愛子天皇待望論が活況を呈している。

    しかも、今年度前半のNHK朝ドラ「虎に翼」は、日本の歴史上はじめて法曹界に入った女性が主人公のドラマであり、そこでは、男女の平等をうたった憲法第14条がクローズアップされている。『愛子天皇論』でも、男系男子しか認めない現在の皇位継承のシステムが女性差別だと糾弾されている。

    小林氏は、男系男子の継承にこだわる保守派は、80パーセントが女性・女系天皇を容認する国民の声を無視しており、このままでいけば、皇室制度そのものの存続が難しくなると警告している。

    もう一つ、愛子天皇待望論が盛り上がる背景には、現在、皇嗣(こうし)(皇位継承順位第1位の皇族)と位置づけられている秋篠宮とその一家に対する根強い不信感がある。いったいどれだけの国民が、そうした感覚を抱いているかは定かではないが、週刊誌などでは、秋篠宮家を批判する記事が数多く掲載されてきた。

    現時点で、次の天皇になる可能性が高いのは秋篠宮家の悠仁親王である。秋篠宮家の即位を好まない人たちが愛子天皇を待望している面もある。

    ■史実に見る皇位継承の危機

    実際、皇室制度が危機に瀕していることは間違いない。

    先の天皇が高齢であることを理由に譲位したことで、現在の天皇が即位したわけだが、59歳での即位は、歴代の天皇のなかで第2位にあたる高齢である。第1位は770年、62歳で即位した光仁天皇で、平安京遷都を実現した桓武天皇の父にあたる。

    なぜ光仁天皇がそれほどの高齢で即位したかといえば、先代の称徳天皇が女帝で、後継者を定めないまま亡くなってしまったからである。

    称徳天皇は寵愛した僧侶の道鏡を次の天皇にしようとしたとも言われるが、天皇が亡くなった後、道鏡は左遷され、その野望はついえた。そこで、称徳天皇と男系では8親等も離れた光仁天皇に白羽の矢が立った。このときも、皇位継承は危機的な状況にあったと言える。

    現状において皇位継承の資格を有するのは、皇嗣の秋篠宮、その息子である悠仁親王、そして、上皇の弟である常陸宮しかいない。常陸宮は88歳で、天皇に即位する可能性はほとんどない。今上天皇と秋篠宮は5歳しか離れておらず、現在の上皇のように高齢で譲位して、秋篠宮が天皇に即位しても、その在位期間はそれほど長くは続かないはずだ。その点では、悠仁親王しか、実質的な皇位継承の資格者はいないことになる。

    ■非現実的になる男性の皇位継承者

    男性の皇族自体、皇位継承者の3人と現在の天皇を含め4人しかいない。新たに男性の皇族が誕生するとしたら、悠仁親王が結婚し、男子をもうけたときに限られる。

    果たして悠仁親王と結婚する女性は現れるのだろうか。それはかなりハードルが高いのではないか。

    現在の皇后が、精神的に長く苦しんできたという事実もある。天皇になる皇族と結婚することは重大な決断を要するし、家族や親族は、それを簡単には許さないだろう。

    なにしろ、「小室さん」をめぐる騒動があった。皇室とかかわれば、どれだけの誹謗(ひぼう)中傷を受けるか分からない。そう簡単に、悠仁親王の結婚相手が現れるとも思えない。結婚がかなったとしても、そこに男子が生まれる保障もまったくないのである。

    ■華族制度廃止と近代意識がもたらした危機

    実は、皇位継承が危ぶまれる事態が訪れるのは必然的なことである。近代の日本社会は、その方向に動いてきたからである。

    最初は、岩倉具視が「万世一系」というとらえ方を打ち出したことで、それをもとに、旧皇室典範では、男子しか天皇になれないと定められ、併せて養子が禁止された。ここで女性天皇が封じられてしまったのだ。

    戦後になると、華族制度が廃止された。これは、憲法第14条が社会的身分又は門地による差別を禁じたからである。華族が「皇室の藩塀(はんぺい)」と呼ばれたのは、皇族に対する結婚相手の供給源になっていたからで、側室も華族の子女だった。

    また戦後は、旧皇族が皇籍を離脱し、皇族の数は一挙に減少した。新しい皇室典範では、皇位継承は嫡出の男子に限定され、庶子はそこから排除された。つまり、側室が認められなくなったのだ。

    戦後は、復員という流れもあり、ベビーブームが訪れた。人口は増え続け、むしろ、それをいかに抑制するかが課題になった。その時代には、将来において深刻な少子化が起こるとは、誰も予想しなかった。

    しかし、社会全体で考えれば、農家や商家といった家の重要性が低下し、家を継承していかなければならないという感覚自体が希薄になった。天皇家の存続が危うくなるのも、そうした社会の変化と関係する。

    ■愛子内親王の天性のカリスマ性

    こうした状況のなか、国会ではこの点については議論され、皇族女子を結婚後も皇室に残す案(いわゆる女性宮家)と、旧皇族の男系男子を養子縁組で皇籍に復帰させる案が出されているものの、いずれも有効な策とは思えない。それに、これはあくまで皇族の数の確保であり、皇位継承の安定化に直接結びつくものではない。

    もちろん、愛子天皇が誕生したからといって、それがそのまま皇位の安定的な継承に結びつくわけではない。それでも、小林氏などが、愛子天皇待望論を展開するのは、秋篠宮家に対する不信の念があるとともに、愛子内親王が、悠仁親王のように天皇の傍流ではなく、直系だからである。

    ただ、先代の直系であることが、これまでの天皇の必須の条件になってきたわけではなく、光仁天皇のように傍系の即位はいくらでもあった。

    それでも、愛子天皇待望論が主張されるのは、カリスマ性の問題がかかわっているからではないだろうか。

    現代はポピュリズムの時代であり、天皇には、国民をひきつけるだけの魅力が求められる。

    人をひきつける能力は、カリスマ性とも言えるし、スター性と言うことができるが、それは天性のものである。たんにその地位にあるからといって、カリスマ性が発揮されるわけではない。悠仁親王からは、そうしたカリスマ性を感じられないが、愛子内親王にはそれがある。それこそが、国民の一致した見方ではないだろうか。

    ■日本の国は「女の治め侍るべき国なり」

    しかもそこには、女性であることが深くかかわっている。

    平成の時代に、象徴天皇制が国民のあいだに深く浸透していくにあたって、美智子上皇后の果たした役割は大きい。現在の雅子皇后も、それに近い役割を果たしてきた。愛子内親王がこの二人の血を受け継いでいることが、そのカリスマ性を高めることに貢献している。

    天皇はむしろ女性であるべきだという議論は、実は過去にあった。

    それを主張したのが、室町時代に摂政関白をつとめた一条兼良である。

    兼良は、日本の国は「女の治め侍るべき国なり」と主張し、その根拠として天照大神のことと、神功皇后のことを挙げていた。

    天皇家の祖神とされる天照大神は女神である。『日本書紀』では、神功皇后に1巻が割かれているのだが、それも摂政であった期間が69年にも及んだからである。大正時代になるまで、神功皇后は第15代の神功天皇とされていた。

    兼良が現代にあらわれれば、愛子天皇待望論を声高に主張したに違いない。

    そのとき、日本の社会は皇室典範の改正に踏み込めるのか。さらには、将来の天皇不在を見通し、憲法を改正して共和制に移行できるのか。

    それこそ、これまで果たせなかった民主主義の革命となるはずだ。

    兼良の時代に、日本が女性の治める国になっていたとしたら、その後の日本の歴史は大きく変わっていたのではないだろうか。愛子天皇の登場も、日本の歴史を変えていくかもしれないのだ。

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    島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
    宗教学者、作家
    放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。

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    (出典 news.nicovideo.jp)

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    「将来の皇室を担うのは愛子さまが最もふさわしい」皇室研究家が指摘する愛子さまが受け継いだ平和への思い
    …戦没者の慰霊や平和への思いは、皇室とは切っても切れない関係がある。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「誰よりも切実に平和を念じておられたのは昭和天…
    (出典:プレジデントオンライン)

    愛子さまが受け継いだ平和への思いが、日本の未来にとって大きな希望となることを願っています。彼女の存在は日本国民にとっても心強いものですね。

    戦没者の慰霊や平和への思いは、皇室とは切っても切れない関係がある。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「誰よりも切実に平和を念じておられたのは昭和天皇であり、皇室の方々だったのではないか。そして、その皇室の平和への願いを最もまっすぐに受け継いでおられるのが敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下ではないか」という――。

    ■皇室の平和への願い

    去る8月15日、終戦記念日。天皇・皇后両陛下には、日本武道館で行われた全国戦没者追悼式にご臨席になり、黙祷の上、おことばを述べられた。

    「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」

    この日、敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下は例年通り、御所で黙祷を捧げておられる。

    「8月」は日本人にとって、今も特別な感慨を抱かせる月であり続けているのではないだろうか。もちろん、先の大戦が終結してすでに80年近くの歳月が流れた。だから世代も移り、記憶も風化をまぬかれないだろう。

    それでも普段は日常の忙しさにかまけてほとんど気にかけることもない、「平和」について改めて気持ちを向けさせる何かがあるのではないか。

    昭和の戦後時代には、あたかも天皇・皇室が戦争の大きな原因であったかのような見立てが、漠然と多くの人たちに受け入れられていた時期もあった。それが反天皇・反皇室的なムードにつながっていたりもした。

    しかし、戦後の歳月に平和が声高に語られる中で、誰よりも切実に平和を念じておられたのは昭和天皇であり、皇室の方々だったのではなかろうか。そして、その皇室の平和への願いを最もまっすぐに受け継いでおられるのが、ほかでもない令和で唯一の皇女でいらっしゃる敬宮殿下ではないだろうか。

    ■愛子さまを詠んだ皇后さまの和歌

    たとえば今年の歌会始のお題は「和」だった。そこで皇后陛下は、敬宮殿下の作文について詠んでおられた。

    広島を はじめて訪(と)ひて
    平和への
    深き念(おも)ひを 吾子(あこ)は綴れり

    このみ歌について、宮内庁は以下のような解説を付けていた。

    「愛子内親王殿下には、中学3年生5月の修学旅行の折に初めて広島を訪れられました。広島では、原爆ドームや広島平和記念資料館の展示などをご覧になって平和の大切さを肌で感じられ、その時のご経験と深められた平和への願いを中学校(学習院女子中等科)の卒業文集の作文にお書きになりました。
    日頃から平和を願われ、平和を尊ぶ気持ちが次の世代に、そして将来にわたって受け継がれていくことを願っていらっしゃる天皇皇后両陛下には、このことを感慨深くお思いになりました。この御歌は、皇后陛下がそのお気持ちを込めてお詠みになったものです」

    ■天皇陛下が譲られた

    この時、天皇陛下がお題の「和」にちなんでお詠みになった3首の中で、「平和」についても詠んでおられた。皇后陛下のみ歌とテーマが重なる。そこで、御用掛(ごようがかり)で歌人の永田和宏氏が「皇后陛下にお譲りになってはいかがでしょうか」と提案したところ、天皇陛下は「よろこんで」と応じられたという(AERAdot.令和6年[2024年]2月4日、9:00公開)。

    ちなみに、天皇陛下の和歌は次の通り。

    をちこちの 旅路に会へる
    人びとの
    笑顔を見れば 心和みぬ

    いかにも「国民の中に入っていく皇室」を心がけておられる天皇陛下らしい御製(ぎょせい)だった。

    ■愛子さまの中学生時代の作文

    では、皇后陛下のみ歌に詠まれた敬宮殿下の作文は、どのような内容だったか。すでにご存じの人もいるだろうが、8月という月に改めて振り返っておきたい。

    タイトルは「世界の平和を願って」。一部だけを掲げさせていただく。

    この作文に初めて触れる人は、その月並みな綺麗事でない新鮮な切り口に、敬宮殿下の本気さを感じ取り驚くのではないだろうか。

    「平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々『平和』『平和』と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから『平和』は始まるのではないだろうか」

    ■「思いやりと感謝」の原点

    中学生とは思えない洞察の深さではないだろうか。

    平和を他人事ではなく我が事としてとらえている。その上で、等身大の日常から平和への道筋を真剣に考え抜かれた。

    だからこそ、納得感のあるメッセージになっているのではないか。

    敬宮殿下は「ご成年に当たってのご感想」(令和3年[2021年]12月1日)の中で次のようにおっしゃっていた。

    「日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら……」と。

    ここで述べられている「思いやりと感謝」の原点が、すでに先の作文に平和へのスタートラインとして記されていた。「小さな喜びを大切に」というのも、「空が青いのは当たり前ではない」という、広島でのご経験から得られた実感に裏打ちされたお言葉だろう。

    ■「平成が戦争のない時代として終わった」

    平和については、上皇陛下が「天皇」として最後に迎えられたお誕生日に際して、このように述べておられた。

    「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と。

    このおことばにハッとした人もいるのではないだろうか。なぜなら、平成時代に戦争が起きる危険性をリアルに感じ取っていた人など、ほとんどいなかったと思われるからだ。

    しかし、上皇陛下は本気で戦争の可能性を警戒しておられた。だからこそ、あの場面で「心から安堵しています」というおことばが、正直に吐露されたのだろう。平和への願いは本気なのだ。

    改めて振り返ってみると近代以来、各天皇の時代でまったく戦争がなかったのは、平成が初めてだった。明治時代には日清・日露戦争があり、大正時代には第一次世界大戦への参戦があり、昭和時代には満州事変、シナ事変、大東亜戦争があった。

    どの時代も前向きに戦争を望まれた天皇はおられない。しかし結局、戦争を避けることはできなかった。

    その無念さを上皇陛下は昭和天皇と身近に接する中で、深く心に刻んでおられたのだろう。それが、天皇として最後のお誕生日に際しての記者会見でのご発言につながったのではないだろうか。

    ■「国民の犠牲を思うとき…」

    昭和天皇が戦争に対して、痛烈な悔恨の気持ちを抱いて戦後の日々をすごしてこられたことは、さまざまな事実から察することができる。

    たとえば、昭和61年(1986年)4月29日に国技館で開催された政府主催の天皇陛下御在位60年記念式典でのお言葉の際、冒頭近くで次のように述べられた。

    「今ここに昭和の60年の歳月を顧み、先の戦争による国民の犠牲を思うとき、なお胸が痛み、改めて平和の尊さを痛感します」

    この頃、国内は昭和天皇が60年もの長きにわたり天皇として在位され続けたことへの祝意が、盛り上がっていた。すでに民間の各種の祝賀行事も行われていた。そのようなお祝いムードのピークに位置したのが、この時の政府式典だったはずだ。当時は中曽根康弘氏が首相だった。

    ところが、昭和天皇ご自身のお言葉はむしろ沈痛の趣きをたたえていた。「昭和の60年の歳月」が昭和天皇ご自身にとっては「先の戦争による国民の犠牲」とほぼ等式で結ばれていた。

    それは昭和20年(1945年)8月14日に下され、翌日に昭和天皇ご自身のお声つまり玉音放送として全国民に伝えられた「終戦の詔書」の一節を髣髴(ほうふつ)とさせた。

    ■昭和天皇の涙

    「帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉じ、非命に斃れたるもの及(および)其(そ)の遺族に想(おもい)を致せば五内為に裂く。……堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以(もっ)て万世の為に太平を開かむと欲す」

    昭和天皇は戦後の起伏に富んだ日々を、ひたすら終戦の詔書に込めた国民の犠牲への嘆きを心に刻みながら、過ごしてこられた。うかつな私なぞは先のお言葉で初めてその事実に気づかされた。

    後日ある写真週刊誌が、式典のお席で昭和天皇が一条の涙を流しておられるお姿を、報じた。そのお写真は、戦後の日々が昭和天皇にとってどのような辛い重荷であり続けたかを、まざまざと見せつけた。戦後の経済復興と繁栄の中で、多くの国民がおおかた忘れかけたことも、昭和天皇にとっては永遠に失われることのない十字架であり続けたに違いない。

    ■昭和天皇最後の終戦記念日

    昭和63年(1988年)8月15日は昭和天皇が最後に迎えた終戦記念日だった。

    この時、昭和天皇のお身体はすでに癌に深く蝕まれておられた。7月下旬から那須御用邸で静養をしておられた昭和天皇は、側近の制止を振り切って8月13日にヘリコプターで東京にお戻りになった。そして進退がご不自由なお身体に鞭打って、日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式典にお出ましになった。

    昭和天皇は病み衰えて、たいそうおやつれになり、手すりにすがりながら壇上に登られた。しかし、足元がおぼつかないために、正午の黙祷の時間までに壇の中央に進むことができなかった。凄まじい平和への執念だけが、この時の昭和天皇を支えていた。

    ■和歌に込められた強い思い

    昭和天皇はこの日、次の御製を詠んでおられた。

    やすらけき 世を祈りしも
    いまだならず
    くやしくもあるか
    きざしみゆれど

    およそ以下のような意味かと拝察する。

    これまでひたすら平和な世界を祈ってきた。しかし、晩年を迎えた今も、成就しない。それが悔しい。わずかな兆しは見えているけれど。

    天皇という重いお立場にあって、しかも和歌というみやびな表現形式の中で、あえて「くやしくもあるか」という厳しく率直な表現を使っておられる。

    それほど昭和天皇の平和への願いが強かった事実を示すものだろう。

    ■平和への思いを受け継ぐ愛子さま

    その昭和天皇の平和への願いをまっすぐに受け継がれたのが上皇陛下だった。平成6年(1994年)から始まる上皇・上皇后両陛下による「慰霊の旅」は、あらゆる困難を乗り越えて国内外の戦跡をたどられたお辛い道のりであり、まさに先帝の無念のお気持ちを体しての、強い使命感によるご行動だった。

    ○硫黄島、父島、母島(平成6年[1994年]2月12〜14日)
    ○長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂(平成7年[1995年]7〜8月)
    ○米国自治領サイパン島(平成17年[2005年]6月27・28日)
    ○パラオ共和国ペリリュー島(平成27年[2015年]4月8・9日)
    ○フィリピン(平成28年[2016年]1月26〜30日)
    ○ベトナム(平成29年[2017年]2月28〜3月5日、同5・6日にはタイにお立ち寄り)

    これらの「旅」を踏まえ、ご退位にあたり万感の思いを込めて「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられたのだろう。

    そのような平和への思いを、天皇・皇后両陛下を通じて我が事としてまっすぐに受け継いでおられるのが、敬宮殿下でいらっしゃる。冒頭に触れた終戦記念日だけでなく、沖縄県慰霊の日の6月23日、広島原爆の日の8月6日、長崎原爆の日の同9日には毎年、両陛下とご一緒に黙祷を捧げ続けておられる。「空が青いのは当たり前ではない」というのは、まさしく殿下のご実感だ。

    平和はこれからも皇室にとって大切なテーマであり続けるだろう。そうであれば、将来の皇室を担っていただくのに、敬宮殿下ほどふさわしい方がおられるだろうか。

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    高森 明勅(たかもり・あきのり)
    神道学者、皇室研究者
    1957年、岡山県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。神道宗教学会理事。国学院大学講師。著書に『「女性天皇」の成立』『天皇「生前退位」の真実』『日本の10大天皇』『歴代天皇辞典』など。ホームページ「明快! 高森型録

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    桂宮没後10年の墓所祭に臨まれる天皇、皇后両陛下の長女愛子さま。2024年6月8日午後、東京都文京区の豊島岡墓地(代表撮影) - 写真提供=共同通信社


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    天皇系図が一変する可能性もあるということは、日本の皇室にとって大きな局面が迫っていると言えるでしょう。今後の展開に注目です。

    今国会では、20年以上も停滞していた、安定的な皇位継承の在り方の議論が本格化しそうだ。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「先日の共同通信社の世論調査では、90%が『女性天皇』を認めると回答している。政府・国会は、こうした『国民の総意』を無視した案を軸に検討を進めようとしており、中でも『旧宮家養子縁組プラン』は、憲法違反になる可能性があるばかりでなく、皇統の断絶や王朝交替の危険性も秘めている」という――。

    ■90%が「『女性天皇』認める」

    去る4月28日、共同通信社が皇位継承問題をめぐる世論調査の結果を発表した。

    国会において「立法府の総意」を取りまとめる各党の協議がまさに始められようとするタイミングで発表された調査結果は、注目すべき内容だった。

    この調査は郵送によるもので、回答者自身がわざわざ返送した。その手間を考えると、皇室というテーマについてある程度、関心を持つ人が多く加わっている可能性も想定できる(返送総数2061、代理回答などを除き有効数1966、全体の回収率65.5%)。

    皇位継承問題における最大の焦点というべき「女性天皇」についての結果はどうだったか。

    「あなたは、女性皇族も皇位を継ぐ『女性天皇』を認めることに賛成ですか、反対ですか」という質問への回答は、「賛成」(52%)「どちらかといえば賛成」(38%)の合計がピッタリ90%だった。これは極めて高い比率だ。

    「どちらかといえば反対」(6%)「反対」(3%)の合計はわずか9%。1ケタにとどまった(無回答が1%)。

    一般的に世論調査において、特定のテーマへの回答で100%賛成とか反対という数字はあり得ない。もし80%を超えたら驚異的に高い比率といえるだろう。ところが、女性天皇を認めることへの賛成は、多少の温度差があっても90%が賛成という結果だ。これはもうほとんど「国民の総意」と表現しても、決して言い過ぎではないだろう。

    政府・国会としても、明白な「国民の総意」を無視することは許されないのではないか。

    ■時代遅れな男尊女卑のルールへの拒否感

    これまでも、各種の世論調査女性天皇を認めることへの賛成は7〜8割、またはそれ以上という比率が多く見られる。したがって、女性天皇を認めることは、大衆の気まぐれとか一時的なブームなどという見方は、当たらない。

    なお、女性天皇に賛成した人たちに対して賛成の最大の理由を尋ねた回答は、「天皇の役割に男女は関係ないから」が50%、「過去には女性天皇がおり、海外には女性国王がいるから」27%、「男性に限る制度では、安定的な皇位継承はできないから」19%……という結果だった。

    さらに、詳しく「女系」という概念の説明をした上で、「女系天皇(※)によっての賛否を問うたところ、「賛成」(38%)、「どちらといえば賛成」(46%)の合計84%に対して、「どちらかといえば反対」(9%)「反対」(5%)が合計14%だった。

    女系天皇:母親が天皇だったり母方だけに天皇の血筋を持つ天皇のこと。たとえば敬宮殿下が即位される場合は、天皇陛下の血統に基づくので、「男系の女性天皇」となり、次にもし敬宮殿下のお子様が皇位を受け継がれるとしたら、その方は女性天皇である母親の血筋によって即位されるから、ご本人の性別に関係なく「女系の天皇」ということになる。

    令和の皇室で「女性天皇」について問えば、多くの人はごく自然に敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下のご即位(いわゆる「愛子天皇」)の可能性を思い浮かべるだろう。

    天皇・皇后両陛下は常に国民に寄り添って下さり、幅広い人々から敬愛の念を集めておられる。その両陛下のたったお一方の「皇女」でいらっしゃり、高貴かつお優しさにあふれた魅力によって、ますます国民の関心と好感度が高まる敬宮殿下。

    その敬宮殿下が、ただ「女性だから」という“だけ”の理由で、皇位継承資格が認められない。

    そんな明らかに時代遅れな男尊女卑のルールに対して、圧倒的多数の国民が拒否感を抱いている事実が、今回の調査で明らかになった。

    ■「旧宮家養子縁組に反対」は74%

    一方、すでに一般国民として80年近く生活してきた旧宮家系子孫男性を、皇族との養子縁組によって新しく皇族に加えるというプランも、政治の場では検討されている。

    このプランは人々にどのように受け取られているか。調査結果はおよそ想定通りだった。

    「どちらかといえば反対」(55%)「反対」(19%)が合計74%、「賛成」(7%)「どちらかといえば賛成」(18%)が合計25%。

    しかも興味深いことに、「賛成」「どちらかといえば賛成」と回答した人たちの中でさえ、最大の賛成理由として皇位継承資格の「男系男子」限定という「伝統」(?)を「守る必要があるから」と答えたのは、ごく少数だった。わずか21%という低さだ。全体の25%しかなかった「賛成」のうちのさらに21%。ということは全体では5.25%にすぎない。

    現代の普通の感覚をもつ日本人にとって、明治の皇室典範で初めて採用された「男系男子」限定という側室制度と“セット”だった不合理なルールは、さすがに受け入れられないことが分かる。

    ■「旧宮家養子縁組プラン」は継承安定化につながらない

    旧宮家養子縁組プランへの賛成の理由で最も多かったのは、「皇位継承資格者が増え、皇室の安定につながるから」というものだった(賛成者の63%、全体の15.75%)。しかしこれは、残念ながら誤解にもとづく。

    なぜなら一夫一婦制を前提として、側室制度が不在で少子化という条件下では、たとえ複数の養子縁組が実現したと仮定しても、男系男子限定という無理なルールを維持しているかぎり、「皇室の安定につながる」ことはないからだ。

    しかも、このプランは憲法上、「国民平等」の別枠とされている天皇・皇族ではなく、一般国民の中から旧宮家という特定の家柄・血筋=門地の人たちだけに、他の国民には禁止されている皇族との養子縁組を例外的・特権的に認めようとするもの。なので、憲法が禁止する「門地による差別」(第14条)に該当する疑いが指摘されている。それに対して、提案者の政府(内閣法制局)はいまだに説得力のある説明ができないままだ。

    ■「天皇系図」が一変する可能性も

    逆に、同プランへの反対理由で最も多かったのは「女性皇族が天皇に即位できるようにすればよいから」(反対者の60%、全体では44.4%)。

    皇室に皇族として生まれ育っておられても、女性だからという理由で皇位継承資格を認めない。そのせいで皇位継承の将来を危うくしておきながら、それを放置したまま民間で一般国民として生まれ育った人を、男性だからという理由で、婚姻も介さないで皇族の身分を与える。

    令和の現代にそんな時代錯誤な企てを政治家が画策しても、国民はとても納得できない。そのような国民の意思がよく表れた調査結果といえる。

    ここで、旧宮家養子縁組プランの重大な問題点を指摘しておこう。それは将来、万が一にも旧宮家系子孫が天皇として即位するようなことがあった場合、現在の皇統はもはや断絶したと見るほかないだろう、ということだ。それはいわゆる「王朝交替」に当たるのではあるまいか。

    旧宮家養子縁組プランの対象とされる賀陽・久邇・東久邇・竹田の4家のうち、誰かが養子として皇族になった場合、その子息が即位したと仮定すると、「天皇系図」はどのように描かれるか。

    まったく一変してしまう。

    ■これまでの皇室の血筋が途絶えてしまう

    まず、第102代・後花園天皇以来、今の天皇陛下に至るこれまでの皇統は途絶える。

    それに取って替わるのが、“もう1つの皇統”などといわれる北朝第3代・崇光天皇から栄仁親王(伏見宮第1代)→貞成親王→貞常親王へと受け継がれた伏見宮の系統だ(第2代・治仁王の血筋は受け継がれていない)。

    いわゆる旧宮家はすべて旧伏見宮の系統で、広い意味で皇室の血統を引いていても、もはや皇籍離脱して“国民の血筋”になっている。だから、もし旧宮家系の天皇が即位すれば、それは歴史上かつて例を見ない、国民の血筋を引いた(父は元国民からの養子で、祖父母はともに国民という)天皇の登場を意味する。

    それまでの皇統から、新しく“旧宮家王朝”に交替するといえば、事態の深刻さが伝わるだろうか。

    こんな事態になれば、天皇という地位の権威も正統性も、深いキズを負うだろう。国民の素直な敬愛の気持ちも致命的に損なわれかねない。

    ■もし平将門が即位していたら

    歴史上の事例で説明すれば分かりやすいかもしれない。

    第50代・桓武天皇は平安遷都を行った天皇として広く知られているだろう。その桓武天皇から血縁で5世代離れた子孫に平将門がいる。天皇の男系子孫なので(広義の)「皇統に属する男系の男子」の1人だ。

    有名な「平将門の乱」を起こし、“新皇”を自称して関東の独立を企てたとされる。

    この人物は、養子縁組プランの対象になる旧宮家子孫のケースと同じく、皇籍を離れてから3代目に当たる。天皇との血縁なら、旧宮家子孫だと22世(!)という遠さになるので、それよりも遥かに“近い”。

    それでも、もし平将門が天皇になっていたら、(広義の)「皇統に属する男系の男子」の即位であっても、明らかに王朝交替と見なされたはずだ。

    それは同じく天皇の男系の血筋につながる平清盛源頼朝足利尊氏など、他の誰でも同様だ。

    ■過去には例がない「国民の血筋」の即位

    ちなみに歴史上の異例とされる、第59代・宇多天皇が皇籍離脱後わずか3年ほどで、お子様の第60代・醍醐天皇などと一緒に皇籍復帰したケース。この場合はどうか。

    両天皇とも「天皇のお子様」(宇多天皇光孝天皇の子、醍醐天皇は宇多天皇の子)という立場で即位しておられる。なので“国民の血筋”の介在はない。よって当然、王朝交替に当たらない。

    また、第26代・継体天皇は応神天皇の5世の子孫とされ、歴代天皇の中で天皇からの血縁が最も遠い。しかし、当時は皇籍離脱の制度がなかった。だから、遠い傍系ながら皇族(当時はまだ「天皇」という称号が未成立なので正確には王族)のお子様として即位したことになる。

    つまり国民の血筋は介在せず、これも上記のような王朝交替と見ることはできない(歴史学上の王朝交替説をめぐる詳しい議論については拙著『日本の10大天皇』幻冬舎新書など参照)。

    要するに、国民の血筋となった平将門源頼朝などが即位するような事態は、過去にまったく例がなかった。

    しかし、旧宮家養子縁組プランは違う。それが制度化されると、国民の血筋となった旧宮家系子孫男性が今後、即位するかもしれないという危ない話だ。

    ■「旧宮家系」は皇統に含まれるのか

    政府は「皇統」という概念を広くとらえて、旧宮家系という“国民の血筋”も皇統に含まれる、と拡大的に解釈しているようだ。しかし、先の歴史上の事例からして、そのまま素直に受け入れにくい。

    法学的にも皇統について、単に生物的・家系的な血統を意味するだけでなく、現に「皇族(という身分の)範囲内にある」という規範的な要件を外すべきでないとの指摘がある(里見岸雄氏『天皇法の研究』)。

    とくに注意すべきは、旧宮家系子孫の当事者自身が以下のように述べている事実だ。

    「『皇統』とは法律用語で、『皇統に属する』とは『皇統譜に記載がある』という意味と同一で、すなわち皇族であることと同義語である。……

    歴代天皇の男系男子には『皇統に属する男系の男子』と『皇統に属さない男系の男子』の2種類があり、皇位継承権を持つ現職(原文のママ)の皇族は前者に、また清和源氏桓武平氏そして私のような旧皇族の子孫などは後者に該当する」(竹田恒泰氏『伝統と革新』創刊号

    「皇統に属さない男系の男子」という表現は国語としていささか奇妙だ。しかし、“皇統”という語を拡大解釈的にではなく、規範的要件を踏まえて使おうとしていることは、理解できる。

    だが「皇統に属さない」ならば、そのような人物が婚姻を介さないで皇籍を取得したり、その子孫が即位する可能性を認めたりすることは、決して許容できないだろう。それは皇統の断絶、王朝交替に直結するからだ。

    現在の皇室には、これまでの皇統を受け継いでおられる内親王・女王方が、現におられる。ならば、そうした方々に婚姻後も皇室にとどまっていただき、さらに将来の皇位継承にも貢献いただけるように、制度を整えることが先決のはずだ。

    ■羽毛田元宮内庁長官の“危機感”

    ここで目を向ける必要があるのは、羽毛田信吾元宮内庁長官が3月15日に行った講演(毎日・世論フォーラム毎日新聞社主催)の中で、「女系天皇」の可能性に言及していた事実だ(毎日新聞デジタル3月15日18時30分配信)。

    「羽毛田氏は、安定的な皇位継承に向けた制度改正が進まない現状に『改正に向かって具体的な動きを起こすことは待ったなしだ』という強い危機感を示した」
    「『皇室に女性がいなくなれば、女系に広げる選択肢はそもそも成り立たなくなる』として『今のうちから十分な論議を尽くして取りかかるべきだ』と国民的な議論を早急に進めるよう呼びかけた」という。

    宮内庁長官経験者が、政治的な取り組みが進んでいる最中に、ここまで踏み込んだ発言をすることは、おそらく異例だろう。それほど羽毛田氏の「危機感」は深いといえる。

    ■一致する「皇室の意思」と「国民の願い」

    羽毛田氏は平成時代に上皇陛下、今上陛下、秋篠宮殿下のお三方による毎月の話し合いが始まった当時の宮内庁長官だった。話し合いの場には長官も陪席を許された。

    この話し合いの最も重要なテーマは皇位継承問題だったと拝察される。話し合いを重ねることで、このテーマについてのお三方の合意はすでに確保されている、と受け止めるのが自然だろう。

    羽毛田氏は話し合いが開始されてほどなく長官を退任しているが、お三方の合意内容を最も正確に知り得る立場の1人だった。

    そうした事情を踏まえると、講演での羽毛田氏の発言は当然、お三方の合意を踏まえたものと考えなければならない。少なくとも、それに背くような発言はできないはずだ。そうであれば、女性天皇女系天皇についてのお三方のお考えがどのようなものであるかは、おのずと察することができる。

    それは最初に紹介した共同通信世論調査の結果が示す国民の圧倒的多数の意向(女性天皇を認める=90%、女系天皇を認める=84%)とも合致する。

    憲法上、天皇は「国民統合の象徴」であられ、その地位は「国民の総意」に支えられるべきものとされる。政府・国会には、皇室ご自身のお考えと圧倒的多数の国民の願いに、誠実に応える義務があるのではないか。

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    高森 明勅(たかもり・あきのり)
    神道学者、皇室研究者
    1957年岡山県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。神道宗教学会理事。国学院大学講師。著書に『「女性天皇」の成立』『天皇「生前退位」の真実』『日本の10大天皇』『歴代天皇辞典』など。ホームページ「明快! 高森型録

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    静養で御料牧場内を散策される天皇、皇后両陛下と長女愛子さま。2024年5月2日午後、栃木県高根沢町[代表撮影] - 写真=時事通信フォト


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    女性天皇に賛成する声が多いということは、時代の流れを感じますね。

    代替テキスト
    人気が日に日に高まっている愛子さま。春の園遊会にも初めて臨まれた。

    少しずつ緑が深まってきた4月30日東京都清瀬市を訪問した紀子さまは、市郷土博物館で結核に関する展示をご覧になったほか、結核の療養施設群があった場所を巡られていた。

    就任して30年となる公益財団法人結核予防会の総裁として、たびたび同地を訪れている紀子さまだが、この日はいつもよりご表情に影が差されているようだった。宮内庁関係者は、

    「やはり、この数日前に報じられた世論調査の結果をご覧になり、動揺されるお気持ちがあったのかもしれません」

    共同通信4月28日天皇陛下のご即位5年を前に、18歳以上の男女3千人を対象に実施した皇室に関する全国郵送世論調査の結果を報じた。

    なかでも女性天皇を認めるという意見が90%に上ったことは、紀子さまのみならず宮内庁内にも衝撃が走ったという。

    「メディア各社が行う世論調査で、これまでも女性天皇への賛同は6~8割台でしたが、9割という高い数値で、かつ反対派が1割以下にとどまった調査結果はこれまで見たことがありません。この結果に、宮内庁内からは『愛子さまの存在感が大きくなっているからだろう』という声があちこちから聞こえてきます」(皇室担当記者)

    三重県奈良県のご訪問時の国民へ寄り添おうとされるお声がけ、日本赤十字社でのご精勤ぶり、初めての園遊会ご出席……。愛子さまがお務めに励まれるほど、より身近な存在として、親しみの感情を抱く国民が増えているのだ。

    「9割という結果は、『愛子天皇』を想定した女性天皇の誕生を期待する国民がより多くなっているということの証左なのでしょう。じつはこうした機運の高まりと前後するように、“愛子さまが即位されるにはどうすべきか”と、政権上層部で検討が始まったというのです」(前出・宮内庁関係者)

    ■起死回生の一手は「女性天皇の実現」

    岸田文雄首相は昨年、「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」を発足させ、皇室が直面する問題を議論してきた。そして大型連休明けの国会では、減少する皇族数の確保など皇室典範改正に向けた与野党間の協議が本格化する。こうした状況のなか、岸田首相自民党幹部の間で、「愛子天皇実現」へ向けた動きが、水面下で始まっていたのだ。自民党関係者は内情を明かす。

    「4月下旬に、岸田総理と麻生太郎副総裁の間で、“自民党として女性天皇容認を打ち出せないか”という話し合いが持たれたというのです。同じタイミングで、総理の最側近で、懇談会の事務局長を務めている木原誠二幹事長代理が“極秘に動いている”という情報も広がっていて、より現実味を帯びた話だとみられているのです。

    先月末の衆院補選で議席を減らし、内閣支持率の低迷も続いています。各種世論調査で多数派になりつつある女性天皇容認を打ち出せば、岸田総理にとっては支持率の回復を見込める起死回生の一手となるでしょう」

    自民党はこれまで、2022年に死去した安倍晋三元首相を筆頭に保守派の影響力が大きく、男系男子による皇位継承の堅持という意見が支配的だった。

    「生前の安倍元首相が“愛子天皇誕生に道筋をつけるべきだ”と、親しいジャーナリストに語っていたことが没後に報じられ、党内にも動揺が広がっていました。

    女性皇族が皇族以外の男性と結婚して、生まれた子供が皇位を継ぐという女系天皇の前例はありません。しかし、歴史上には10代8人の女性天皇がいます。男系の“皇女”である愛子さまが即位することは、皇室の伝統から照らしても不自然なことではないのです」(前出・皇室担当記者)

    静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは、女性天皇を認めることは安定した皇位継承のために欠かせないとし、こう続ける。

    「皇室の将来にとって大きな問題は、皇位継承者の不足にあります。現状では、皇嗣である秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さまのお三方のみしかおられません。

    最新の研究では、男系男子による皇位継承には根拠がないとされています。国民の大多数が願う『愛子天皇』へ政権が舵を切ることは、民主主義国家として正しい流れではないでしょうか。一部の保守派の意向を、世論を無視して強引に推し進めるほうが、よほど問題があるはずです」

    だが政権の方針転換に紀子さまは愕然とされているのではないかと、前出の宮内庁関係者は語る。

    「2006年9月、39歳だった紀子さまは、部分前置胎盤のため帝王切開で悠仁さまを出産されました。身体的に大きな負担がかかっていたはずですが、“皇室の将来を救うため”と、壮絶な使命感で臨まれたと聞いています。

    その後も、名門校への進学など教育環境の整備、沖縄、広島や長崎といった戦争の記憶を語り継ぐ場所へいっしょに足を運ばれたり、紀子さまは悠仁さまの帝王教育に必死に心を砕かれてきました。

    それだけに、『愛子天皇』の実現で悠仁さまのご即位が遠のくというシナリオに、紀子さまが複雑なお気持ちを抱かれても、無理もないことのように思えます」

    日を追うごとに高まる「愛子天皇」への国民の支持に、紀子さまは憂愁を募らせておられるのか。



    (出典 news.nicovideo.jp)

    【【皇室】90%が女性天皇に賛成!岸田政権内でも高まる「愛子天皇」実現の機運で心配される「紀子さまの胸中」】の続きを読む

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