私たちは学歴を競い、仕事や出世を競い、収入を競い合う。
その理由は欲するものを得るためである。競争して勝つことを子供時代から刷り込まれ、その先入見は思考や精神に組み込まれ育まれる。
その根源は生存競争と深いかかわりがある。
生物が限られた自然環境内で生存し、子孫を残す種間競争では、鳥や蝶は羽の色を、動物なら個体の大きさなど、遺伝的により良い条件を自分が具えていることをアピールすることで雌の気を惹き、種を残すチャンスをうかがう。
人は自身と他人とを比較してしまいがちだが、自身と他者の優劣を決めたり、何が違うか、その差を比較したりするのは、優位であれば結婚、出世、所得などの人生に影響を及ぼすからだろう。
しかし、競争すれば、対立が生じることもある。対立は生物にとって非常に深いところに根ざしたものといえる。
自然界において普段、オオカミは鹿など捕えた獲物を分け合うが、特定の季節、交尾期には、動物たちは種間競争のため攻撃的にもなる。
分断と対立が生じるわけ
実際、私たちの住む世界には心理的、物理的にも、数多くの矛盾や混乱をはらんでいる。
時代や場所を問わず、人が生きるということは、途方もなく膨大で複雑な問題と向き合わなければならない。
身近な生活のところでは真面目に働いても解決しない経済的な問題、社会に蔓延する不正義、理不尽、男女間の葛藤、集団間の対立、社会的差別、政治や宗教による社会の分断。
分断、対立は争いの火種だが、争いは人類の歴史とともにある。
旧石器時代の約1万5000 年前、アフリカ・スーダンのヌビア砂漠で、夥しい数の人が武器で殺傷されている。これは確認される歴史上最古の人類の戦争とされる。
人間は集団対集団で殺し合う地球上で唯一の生き物だが、過去の教訓を生かすことなく、争いはいまも繰り返されている。
争いが起きる要因、それは「あられみ」をないがしろにしたことだ。もし、互いに「あわれみ」の心があれば争いは起きることはない。
人類が永続的に繁栄するためには必要なのは分断ではなく調和だが、世界の指導者たちは、それを実現できずにいる。
それどころか、分断と対立を煽り、それを維持しようとしているのかもしれない。
分断と対立は個人や所属する集団、あるいは国家に利益をもたらし、己の立場を確固たるものにするということもある。
もし、紛争地に武器を売れば多額の金銭が軍事産業に流れ込む。すると、さらなる雇用が創出され、ひいては国家が潤う。
世界各地の分断の要因は様々、思想の違い、国家間の因縁、異なる宗教、その他の名目の下、人々は対立している。
先入見と懸念は解消できるのか
「あわれみ」の反対、それは「憎しみ」である。
世界に分断と対立には、互いを思いやる慈しみの心は希薄になりがちだ。
自分だけの欲望、自分だけの理屈を押し通して生きていくことを無明といい、物事をありのままに見ることができず、周りの言うことを素直に聞けないことを「邪見」という。
たとえ家族の中で暮らしていたとしても、時に了見が狭くなり、相手への理解を怠り、排他的になったりすることもあるだろう。
日々の生活の中で相手を理解し、尊重し、日常に道理と秩序を備えることで、それらは解消される。
人が根本的な問題を解消するには、物事を明確に観る洞察から始まると仏教は説く。
私たちはいつも一つの座標軸を中心に一定の範囲内で行動している。それは柱に繋がれた動物のようで、その思考と行動は繋がれた紐の長さに限られる。
その範囲は報酬と処罰、成功と失敗。原因と結果といった過去の知識と経験という鎖につながれている。
どうしたら人は鎖から解き放たれ、自由に純粋に生きられるようになるのか。そうした疑問も、実は自身の座標軸の内にある。
なぜなら座標軸は自身の過去の経験から生じた思考と価値観によるものだからだ。
経験は人の精神に影響を及ぼし続け、その痕跡を残す。その経験の構造と性質を理解することで、思考と価値観を変えた時、別の何かが出現する。
仏の真理を心静かに清浄に正しく受け止めることを正念(しょうねん)という。
自身の内面を純粋で素直な視点で心静かに深く洞察すれば、自分だけの欲望や理屈に気づくかもしれない。
『般若心経』の一節:
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
これを現代風に訳してみると、
深遠な洞察の智慧によって得られるものが悟りであり、そこに執らわれるべきものは何もない。
執らわれないから恐怖もなく、空の真理を体感することで、誤ったすべての認識を捨て、身心の安らぎが得られる。
これはいつの時代でも、誰でも空の真理を味わい安らぎが得られる。
それは純粋な視点で、自身を内察することで、過去の視点から世の中を見ている自分に気付き、その気付いた状態に留まることで、先入見や懸念が解消されると、『般若心経』は示している。
怒りや憎しみの解毒剤はあるのか
争いを終わらせるために求められるのは、「愛」と「あわれみ」の感覚だが、では争いを終焉に導く、その「愛」とは何か。
家族や恋人、隣人への愛のほかにも、愛には様々な対象と種類がある。
資産、名誉、権力を愛する。もしくは性欲の伴う異性への愛は、愛という名の欲望といえる。
それらは自分の期待どおりになった時にのみ満たされる自己愛が、その根底にある。
そのため所有欲、金銭欲、権力欲、名誉欲は攻撃性へと変容しやすい。
自己愛は「菩提」「慈愛」といった慈しみの心、仏教が説く「利他」の精神とは性質が異なる。
利他とは、愛の対象との一体となる感覚であり、「他」が「我」と同じ存在であるという概念が、その土台にある。
人に楽を与え、苦を抜くといった慈しみの心は、本来、誰にでも具わっている。
だが、孤独と寂しさ、猜疑心、精神的孤立といった状況に陥れば、慈しみの心は欠乏し心は荒む。
「恐怖」と「不安」は争いの主な要因の一つである。
人は安全を得られないという不安から、その出口が見つからなければ恐怖は高まり、その臨界点を突破すれば、戦火の火蓋が切られる。
戦争は殺人、略奪、拷問、強姦など無秩序で悲惨な状況に人々を追いやられる。
追いやられた人々の恐怖、怒り、悲しみ、恨み、絶望は神経組織に大きなショックを及ぼし、心理的、生理的にも打撃を与える。
その傷が癒されるには気の遠くなるような忍耐や、寛容の育みといった長い時間が必要だろう。
縁起とは、あらゆる原因である「因」のきっかけである「縁」により生じたり、変化したり滅んだりすることを意味する。
戦争にも原因ときっかけがあるが、大事なことは実際にどんなに特別な状況であっても、何ができるかである。
菩薩への道に通じる行動の指針『菩薩の四八軽戒(きょうかい)』には、争いに対しての四つの戒がある。
一つ目は鎮めること。言葉や理性や慰めといったもので状況を落ち着かせる。
例えば平和的な解決、外交や説得がそれである。
これがうまくいかなければやや強い対応となる。それは相手に何かを与えて懐柔させたり、問題を解決するための確約を与えたりすることもある。
それが駄目なら三つ目の対応として相手を押えこむための包囲網を築き、制裁などの行動に出る。
それでもうまくいかない場合、最後の手段として、武力を必要とする状況であれば武力での対応へと移行する。
つまり武力には武力で対抗することを『菩薩の四八軽戒』は容認している。
それは危険人物の残虐な姿勢を改める方法が、ほかに一つもない場合に限られる。
だが、一度暴力に訴えると暴力がさらなる暴力を招き、状況はさらなる混乱に陥るだろう。
暴力や怒り、憎しみを鎮める解毒剤として「四無量心」の教義がある。
そこで示されるのは、他の生命に対する自他怨親なく平等で、過度の心配などのない、落ち着いた気持ちを持つといった仏教の教えである。
大切なのは「慈:いつくしみ」「悲:憐れみ」「喜:共感に伴う喜び」「捨:平静さ」である。
また、『入菩堤行論』では忍耐や辛抱よりも、寛大さの方が容易に高めることができる、とある。
しかし、現実問題として、攻撃を仕掛けて侵攻してくる敵に対して、被害を被った側としては、沸き上がる感情としての怒りを捨て去り、「いつくしみ」や「あわれみ」をもって「寛大」に振る舞うことは、現実問題として困難なことだろう。
もし、攻める側、攻撃する側の指導者、兵士、国民が、自分たちだけの理屈を捨て、純粋で素直な視点で、自らの内面を心静かに深く洞察すれば、「他」が「我」と同じ存在であるということに気がつくかもしれない。
いま大事なのは戦争指導者、銃を持つ兵士、国民全体に本来、人に備わっている「いつくしみ」と「憐れみ」の心をいかに発露させるかである。
そのためには軍事による行動ではなく、民間の世界で選りすぐりの情報技術の専門集団を活用し、戦争が引き起こした現実の惨状を有りのままに、侵略者の国民に知らせる情報戦略を構築する。
そして情報統制の網をかいくぐり、反復的継続的に惨状の情報を流し続ければ、侵略国の国民に戦争反対の気運が醸成されるかもしれない。
武器を供与し続けたり制裁を課したりするよりも、犠牲者を増やさずに経済の影響も少なく、戦争を早く終わらせる近道という気がするのだが。
これまでの連載:
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