令和の社会・ニュース通信所

社会の出来事やニュースなどをブログに書いて発信していきます。あと、海外のニュースなども書いていきます。

    カテゴリ:国内 > 評論家


    今回の池上彰氏による解説記事は、シリアにおけるアサド親子の50年以上にわたる独裁の背景について非常に深い洞察を提供しています。恐怖政治が生み出す無差別な暴力の実態は、私たちが知っておくべき重要な問題です。

    Q アサド政権崩壊…そもそも、アサド一族がこれほど力を持っていたのはなぜ?

     シリア・アサド政権が崩壊したと報じられました。故ハフェズ・アサド前大統領から、息子のバッシャール・アサド大統領まで、シリアで半世紀以上アサド親子による独裁体制が続いてきたとのことですが、なぜ今回崩壊に至ったのでしょうか? また、そもそもなぜアサド一族がこれほど力を持っていたのでしょうか。(40代・男性・自営業)

    A 父親の恐怖政治が苛烈だったからです

     突然の崩壊で驚いた人は多かったですね。アサド一族がこれほど権力を持ってきたのは、アサド大統領の父親の恐怖政治が苛烈だったからです。1982年、反政府勢力グループがハマという町に逃げ込んだとき、故ハフェズ・アサド前大統領は無差別に町民を皆殺しにして建物を全て破壊しました。「ハマの大虐殺」と呼ばれます。諸説ありますが、少なくとも1万人以上が犠牲になったと言われています。

     息子のアサド大統領も父親の路線を継承し、密告社会を築き上げたので、長期政権が続いていたのです。

    イスラエルの攻撃でヒズボラが弱体化

    アラブの春」によって民主化運動が起きた際、シリア政府軍は民主化勢力を弾圧するように命じられましたが、命令に従わなかった兵士たちが離脱。内戦になりました。しかし、政府軍に残った兵士も、かつての仲間を攻撃する気になれず、シリア政府軍は苦戦。それを見たイランがヒズボラを送り込んだり、ロシアが空爆をしたりしてアサド政権を支援したので、辛うじてアサド政権は存続してきました。

     でも、イスラエルの攻撃でヒズボラが弱体化し、ロシアウクライナとの戦闘で余裕がなくなった結果、支援を失った政府軍は自壊したのです。

    (池上 彰)

    2024年12月13日、アサド政権崩壊後最初の金曜日、シリア全土で祝賀行事が行われる様子 ©ABACA PRESS/時事通信フォト


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【【国際】無差別に町民を皆殺しに…「突然の崩壊」シリア・アサド親子の独裁はなぜ50年以上続いたのか? “恐怖政治”の実態は…〈池上彰氏が解説〉】の続きを読む



    韓国での「非常戒厳」宣言は、政治情勢や国民の安全に対する重大な決断です。このような状況は日本にも影響を及ぼす可能性があるのか、しっかり考察する必要があります。

    Q 韓国で突然出された「非常戒厳」宣言…日本でもありえる?

     昨年12月、韓国の尹大統領が「非常戒厳」宣言を行いました。わずか6時間で解除されましたが、解除されない場合はどのようなことが起きていたのでしょうか。また、日本でも同じような状況になることはありえるのでしょうか?(20代・男性・学生)

    A 戦後の日本国憲法で、戒厳令の規定はなくなりました

     解除できず、戒厳が長引いた場合はテレビも新聞も軍隊によって占領され、検閲官が派遣されて報道内容をチェックする、という事態になった可能性があります。かつての韓国では朴正煕(パク・チョンヒ)大統領や全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領の時代に、こういうことが起きていたのですから。

     日本でもかつては2・26事件のときに首都・東京に戒厳令が出たことがありますが、戦後の日本国憲法で、こうした戒厳令の規定はなくなりました。韓国はいまも北朝鮮との戦争が休戦状態で終わってはいないので、こうした条項が必要とされているのでしょう。

     日本でも憲法に非常事態条項を盛り込むべきだという主張がありますが、独裁国家にならないようにすることが肝要ですね。

    (池上 彰)

    戒厳令を宣言する尹大統領 ©時事通信社


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    さらに、今の時代には情報の透明性が求められる中で、政治がどのように進化すべきか考える必要があります。日本も含め、各国が直面している議題でもあるため、韓国の動向には目を光らせたいですね。

    【写真・画像】韓国政治の“欠陥”を木村幹教授が指摘「法律の解釈が2つできた」「昔はボスが調整してきた」「共通のニュースソースがない」…尹大統領拘束 1枚目

     15日、韓国では非常戒厳を巡り「内乱」の疑いで捜査が進んでいた尹錫悦大統領に対して捜査当局が拘束令状を再執行し、大統領公邸に進入し拘束した。

    【映像】韓国政治の“欠陥”とは?

     一連の出来事の“原因”と“今後”について、政治学者で神戸大学大学院教授の木村幹氏に聞いた。

     木村氏は尹大統領が描いた“筋書き”について「『戒厳令を出して国会を封鎖し、大統領令によって政治を行う。そうすれば、野党やその背後にいる北朝鮮に騙されてきた国民も自分たちの誤りに気づくだろう』と想定していたようだ。尹大統領大統領になったものの国会は野党に支配され、国民の支持率もあまり上がらず『こんなはずじゃない』という不満があり、その原因が『世論操作』と『不正選挙』にあるとしたのだ。そこで『民主主義を止めて、国民に“(尹大統領にとっての)真実”を知ってもらおう』と考えたのだろう」と分析した。
     

    【写真・画像】韓国政治の“欠陥”を木村幹教授が指摘「法律の解釈が2つできた」「昔はボスが調整してきた」「共通のニュースソースがない」…尹大統領拘束 2枚目

     さらに木村氏は韓国政治の「制度上の欠陥」を指摘する。

    「裁判所が適正に出している逮捕状であるため、本来であれば全ての国家機関が従うべきだが、尹大統領大統領警護庁は捜査そのものの合法性を認めなかった。つまり、法律の解釈が国の組織の中で2つできてしまい、結果として一触即発の状態になった」

    「韓国は1987年に民主化されたが、その際に『元々軍事政権が持っていた大きな権限を持つ大統領をみんなで選ぶ』という形になってしまった。大統領警護庁などはその遺産だ。制度上の欠陥を抱えながらも昔は金大中元大統領などのボスが調整してきた。だが、ボスがいなくなると世論は分裂、誰もまとめてくれる人がいない状況が10年ほど続いており、その混乱は大統領が次々弾劾されるという事態にも現れている。民主化からもう38年も経っているため、一旦見直すべきところに来ているのではないか」

     さらに現在の韓国では「共通のニュースソースがない」という問題も抱えているという。

    「日本と比べても、テレビ・新聞といういわゆるオールドメディアの権威が全くなくなっており、紙の新聞を探すことも難しい状況だ。結果的に情報ソースがインターネット上のものにならざるを得ず、バイアスが働いて、世論が大きく分かれている状況にある」

     大統領が拘束されたが「今後」はどうなるのか?

     木村氏は「近々出される世論調査が状況を明らかにしてくれるだろうが、今回の尹大統領のメッセージは効果的だった。広く一般に受けるかどうかはともかく、大統領の支持者にとっては『その通りだ!』という内容だ。そういう意味でも、今回の件で大統領や与党の支持率が下がって一挙に弾劾、さらには野党候補の大統領当選という流れにはならないだろう。まだまだ長い道のりになるが、これを契機にして与党と野党、保守と革新がどういう話ができるかにかかっている」と述べた。
    (『ABEMAヒルズ』より)

    韓国政治の“欠陥”を木村幹教授が指摘「法律の解釈が2つできた」「昔はボスが調整してきた」「共通のニュースソースがない」…尹大統領拘束


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    韓国の現状を知ることは、アジア全体にとっての重要な課題です。佐藤優氏が示すように、法治国家の原則が脅かされていることは、私たちにとっても無関心ではいられない問題です。

    1 ばーど ★ :2025/01/10(金) 08:17:50.81 ID:XUdAzy95
     韓国情勢がかなりヤバイ。去年12月3日、尹錫悦大統領が非常戒厳を宣言したのが内乱罪にあたるとして、合同捜査本部が今月3日午前8時ごろ、ソウル漢南洞の大統領官邸に検事・捜査官・刑事など約150人を投入して逮捕・捜索令状の執行に入った。

     しかし大統領警護処が「警護区域に対する捜索を許可しない」として阻止し、同日午後1時30分、令状執行は停止された。<合同捜査本部はこの日、尹大統領と対面することはなかった。尹大統領がいると推定される大統領官邸の建物から200メートルの距離に接近しただけだ。大統領官邸に向かう際、集会・デモをする約1万1000人、官邸のバリケードと鉄門を通過し、大統領を警護する軍部隊との対峙状況まで越えたが、結局、警護処の「人間の壁」前で停止した。/公捜処の関係者は「合同捜査本部が官邸に到着すると、警護処はバスと乗用車およそ10台を動員して官邸の建物につながる進入路自体をふさぎ、その後ろに約200人が集まって数重にも腕を組み合いながら尹大統領の逮捕を阻止した」と明らかにした。特に一部は銃器など個人の火器で武装した状態だった。強制的に進入したり特殊公務執行妨害容疑などで現行犯逮捕をしたりする場合、物理的な衝突が発生しかねない緊迫した状況だった>(4日、韓国紙「中央日報」日本語版)。

     韓国が法治国家でなくなりつつある現状を深刻に受け止める必要がある。大統領警護局(処)、軍、検察、警察、国家情報院など、国家の暴力装置を分有する機関(「力の省庁」)は、自らの生き残りを考えるだけで精一杯になっている。

     また「力の省庁」内部でもさまざまなグループが異なる思惑を持っている。当事者にとっては、どの勢力が勝利するかで、投獄を含め自らの運命が変わってくるのだから必死になるのは当然だ。その結果、韓国の内政、外交は事実上麻痺している。

     他方、経済と社会生活が正常に維持されているため、危機が過小評価されている。暴力装置を持つ「力の省庁」の偶発的衝突により、大混乱が生じる可能性を考えておく必要がある。そうなった場合、最終的には軍が動いて、力で秩序を回復すると思う。

     現下の韓国に関しては、通常の友好国に対するのとは異なる手法、すなわち協力者から内部情報を得るなどのインテリジェンスの手法を用いて、情勢を分析する必要がある。

    東スポ 2025年1月9日 11:30
    https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/330025

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    国を持たないということがどのように彼らのアイデンティティや生活に影響を与えているのか、考えさせられるところがあります。

    日本に暮らすクルド人が増えている。一体なぜなのか。ジャーナリストの池上彰さんは「もともとクルド人は『国を持たない最大の民族』と呼ばれており、少数民族として差別を受けてきた。近年はトルコエルドアン大統領が迫害を強めたため、多くのクルド人が国外に逃げ出すようになった」という――。

    ※本稿は、池上彰歴史で読み解く!世界情勢のきほん 中東編』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

    ■川口市や蕨市に住むクルド人たちのルーツ

    埼玉県川口市や蕨市に多くのクルド人が住むようになり、生活習慣の違いや言語が通じないことなどから地元の人たちとの軋轢がニュースになるようになりました。「クルド人は出ていけ」などというヘイトスピーチも目立つようになりました。このうち蕨市はクルド人が多いので「ワラビスタン」などと揶揄されることもあります。

    クルド人とは民族名。国籍は多くがトルコです。日本に在留するトルコ国籍の人は約6000人、そのうちの約2000人程度がクルド人と見られています。なぜクルド人が大勢暮らすようになったのでしょうか。そこにはトルコにおけるクルド人の地位が関係しています。

    そもそもクルド人とはオスマン帝国時代にクルディスタン(クルド人の土地)と呼ばれていた山岳地域に住んでいたクルド語を話す人々です。オスマン帝国崩壊後、クルディスタンの土地は、そこに住んでいた人たちの意思に関係なくトルコイラクイランなどに分割されました。その結果、この地に住む約3000万人は「国を持たない最大の民族」と呼ばれています。

    ■独立派はトルコで「テロリスト」扱い

    各国に分割されてしまったクルド人たちは、それぞれの国では少数民族となり、「自分たちの国を持ちたい」と行動するため、各国で「分裂主義者」とみなされて弾圧を受けてきました。

    それでもイラク北部には「クルド人自治区」が作られ、国家として機能するようになりましたが、トルコでは長らく民族とはみなされず、「山岳トルコ人」と呼ばれて差別を受けてきました。

    トルコがEU(欧州連合)加盟を望むようになってからは、EUから「クルド人の存在を認めよ」との圧力を受け、存在が認められるようになりましたが、いまも差別を受け、独立を主張する勢力はトルコ政府から「テロリスト」との扱いを受けています。

    このため、先に来日していた親族を頼って多くのトルコ国籍のクルド人が来日、「トルコに帰国すると迫害を受ける」として日本で難民申請しました。当初は入管施設に収容されていましたが、長期間にわたると人権問題になるため、仮放免されている人たちが多いのです。

    クルド人たちの迫害の歴史は新生トルコの歴史でもありました。オスマン帝国の歴史から振り返ってみましょう。

    ■多民族国家・オスマン帝国の栄枯盛衰

    オスマン帝国は、かつては学校で「オスマントルコ」と習いましたが、現在の教科書では「オスマン帝国」となっています。この帝国は広大な面積を支配し、トルコ人の国家ではなく多民族国家になっていたという研究の成果です。

    イスラム教スンニ派の国家として西アジアばかりでなくバルカン半島から地中海地方の広範囲に領土を広めました。ただし、領土内のユダヤ人キリスト教徒に改宗を強制することはなく、税金を納めれば信教の自由が保障されていたのです。この寛容さが、14世紀から20世紀初頭まで存続できた大きな理由でした。

    この帝国は君主であるスルタンがイスラム教スンニ派の指導者カリフムハンマドの後継者)の地位を兼ねる体制をとり、16世紀にはイスラム世界の盟主となりました。

    しかし、近代化に後れをとり、第一次世界大戦ドイツと同盟を結んだものの、イギリスフランスに敗れ、1922年に滅亡しました。スルタン制度も廃止され、カリフの存在も1924年に廃止されました。ただ、イスラム世界では、いまもマレーシアのようにスルタン制度を採用している国があります。また、過激派カリフを僭称(せんしょう)する(勝手に名乗る)ことも起きています。

    ■新生トルコはイスラムからの脱却を図った

    第一次世界大戦オスマン帝国を破るためにイギリス三枚舌外交を展開したため、現在の中東の混迷をもたらしたことは、本書の第1章で述べた通りです。

    オスマン帝国が滅亡した後、面積は小さくなったものの、新生のトルコ共和国として再建されます。これを指導したのがトルコ軍の英雄だったケマル・アタチュルクでした。

    彼はイスラム国家としてアラビア文字を使用していたことが後れをとったと考え、西欧化させるために、トルコ語の表記をラテン文字(いわゆるアルファベット)に変更するという大改革を実施します。

    それまで右から左に書くアラビア文字を、左から右に表記するラテン文字に転換させる革命的な表記改革によって、いったんはトルコの国民の大半が文字を読み書きできなくなるという事態に陥りました。

    ■急激な西欧化に戸惑うトルコ国民

    また、彼はイスラム教の政教一致の体制が後れをとった理由と考え、徹底した政教分離を進めます。イスラム教徒の女性はスカーフやヒジャブで髪を隠すのが一般的ですが、公の場で女性が髪を隠すことが禁じられるという徹底ぶりでした。

    しかし、急激な西欧化が進むと、貧富の格差が広がり、イスラムへの復帰を求める国民の意識が高まります。かつてイランで起きたのと同じような状況になったのです。

    トルコ共和国の建国の父ケマル・アタチュルクは、「トルコはヨーロッパになるべきだ」として西欧化を進めてきました。そのアタチュルクの理想を実現するのがEUへの加盟でした。1999年にEU加盟候補になりましたが、その後、レジェップ・タイイップ・エルドアンが進める急速なイスラム化に懸念を持つEU諸国によって、加盟交渉は進んでいません。

    ■イスラム化を進めるエルドアンが実権掌握

    エルドアンイスラム政党の公正発展党を組織し、2003年の総選挙で政権を掌握すると、夜間のアルコール販売を規制したり、公の場所に妻がスカーフをかぶって登場したりするなどイスラム化を進めます。本来の国是である政教分離をなし崩しにしていきます。それが、保守的なイスラム教徒から支持され、盤石な政治基盤を作り上げるのです。

    そもそもトルコ共和国は首相が政治的実権を持ち、大統領は象徴的な国家元首でした。しかし、首相になったエルドアンは、憲法を改正して大統領を政治的実権を持った存在にし、2014年、自らが大統領に就任してしまいます。

    彼は、儀仗(ぎじょう)兵(儀礼や式典時などに立ち並ぶ兵士)にオスマン帝国時代の兵装を復活させるなど、かつてのオスマン帝国の栄光よ再びという野心を見せるようになります。

    一方、トルコ軍はアタチュルクの教えを堅守し、政教分離の原則を守ることを任務と考えてきました。このためエルドアンが進めるイスラム化に危機感を抱いた軍の一部が、2016年にクーデターを企て、エルドアンの独裁を阻止しようとしますが、失敗。

    エルドアンクーデターに関わったとして多数の軍の幹部や公務員を逮捕し、独裁化に反対する人間を一掃。一気に独裁化に拍車をかけます。エルドアンを批判していた報道関係者も多数が獄中に放り込まれました。

    ■迫害されたクルド人が国外へ逃げ出した

    次第に独裁化を強めるエルドアントルコ国内で反発が強まり、2015年にはクルド人組織の「クルディスタン労働者党」(PKK)が独立を求め、トルコ軍と戦闘状態になります。

    これ以降、エルドアンはPKKではないクルド人への迫害も強め、多くのクルド人が国外に逃げ出すようになります。ドイツなどヨーロッパに逃げたクルド人が多かったのですが、日本に逃げ込んできた人たちもいるのです。

    エルドアン大統領によるイスラム化は続きます。2020年、エルドアン大統領は、博物館として公開されていたイスタンブールのアヤソフィアを宗教施設であるモスクとして使用すると宣言したのです。

    アヤソフィアは、東ローマ帝国時代に創建されたキリスト教の本山のひとつでしたが、1453年オスマン帝国に征服されてからモスクに転用されました。

    もともとキリスト教の教会だったものが、その後、モスクになったことで、同じ施設の中にキリスト教の宗教画とイスラム教の『コーランクルアーン)』の文字が並ぶというユニークな施設で世界遺産になっています。

    オスマン帝国崩壊後に政教分離を進めたケマル・アタチュルクは、1935年モスクとして使用することをやめて博物館にしました。その結果、誰でも観光できる施設になっていました。このような歴史的経緯のあるところを、再びモスクとして使用する決断は世界を驚かせました。モスクとしてイスラム教徒の祈りの場にされましたが、祈りの時間以外は、これまで通りに観光客に公開されています。

    ■トルコとアメリカの「微妙な関係」

    トルコの位置はヨーロッパとアジアの間という絶妙な場所にあります。領土は、ボスポラス海峡にまたがり、西はヨーロッパ、東はアジアに属しています。

    国民の大多数はイスラム教徒ながら、親米国家としてアメリカが主導するNATO(北大西洋条約機構)に加盟。アメリカ軍基地を受け入れてきました。東西冷戦時代、ソ連の存在が脅威だったからです。

    ところが、トルコとアメリカは、微妙な関係にあります。きっかけは2016年に起きたクーデター事件でした。エルドアン大統領は、「クーデターの黒幕」と主張するアメリカ在住のイスラム組織指導者のフェトフッラー・ギュレン師の引き渡しを要求しました。これに対してアメリカは、十分な証拠がないとして拒否。関係の悪化が始まっていました。

    ■エルドアン大統領は急速にロシア寄りに…

    さらにシリア内戦の対応をめぐっても関係が悪化しました。アメリカはシリア国内のIS(イスラム国)を掃討するため、シリア国内のクルド人民兵勢力に武器を渡して支援をしてきました。その結果、多くのクルド人民兵の犠牲を払ってISを弱体化させることに成功しました。

    ところが、このクルド人勢力をトルコエルドアン政権は目の敵にしています。トルコ国内で独立運動をしているクルド人勢力とつながっていると考えているからです。アメリカによるクルド人民兵支援にエルドアン政権は猛烈に反発しました。

    さらにエルドアン大統領パレスチナ問題で、同じイスラム教徒であるパレスチナ側を支持。イスラエルを厳しく批判するようになっています。これが、イスラエルと親密な関係にあるアメリカには不愉快なのです。

    アメリカという同盟国との関係が悪化すれば、アメリカを牽制するためにアメリカと敵対する国に接近する。これは国際関係ではよくあること。エルドアン政権は、急速にロシア寄りに傾斜しています。ロシアと対立してきたNATOに加盟していながら、ロシアから最新の地対空ミサイル(地上から発射し、航空機などを攻撃するミサイル)を購入することを決めたのです。

    一方、トルコは黒海につながるボスポラス海峡を擁することから、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に対して、仲介しようとする動きも見せています。中東の要衝に位置するからこそ、トルコの存在が脚光を浴びているのです。

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    池上 彰(いけがみ・あきら)
    ジャーナリスト
    1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。6大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』『新聞は考える武器になる  池上流新聞の読み方』『池上彰のこれからの小学生に必要な教養』など著書多数。

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    ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/funky-data


    (出典 news.nicovideo.jp)

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