この記事では、日本人のルーツについての最新の研究結果が紹介されています。
1 樽悶 ★ :2024/10/21(月) 23:37:20.88 ID:YESBoPFC9
キム・ジョンヒョンさん(博士1年)と大橋順教授(ともに東大大学院理学系研究科)の研究グループは、東邦大学医学部の水野文月講師、土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムの松下孝幸館長らと共同で、東アジア系と北東アジア系のゲノム成分の両方を持つ集団が弥生時代にユーラシア大陸東部から日本列島に渡来し、縄文人と混血して現代日本人の祖先集団となったことを明らかにした。成果は『Journal of Human Genetics』に掲載された。
本土日本人(アイヌ・沖縄集団を除く。以下「日本人」)が縄文人と渡来人の混血集団の子孫であるという説は広く支持され、現代日本人のゲノムの8割以上を東アジア系と北東アジア系の成分が占めていることが知られていた。しかし、これらの成分を日本人がどのように獲得したのかについては十分に理解されていなかった。
今回の研究では、山口県の土井ヶ浜遺跡から出土した渡来系弥生人の人骨からDNAを抽出し、全ゲノム配列解析を行って得られたデータと縄文人や古墳時代人、現代日本人、東アジア系および北東アジア系集団のゲノムデータを用いて統計分析を行った。この分析により、土井ヶ浜弥生時代人が現代日本人と同じく縄文人、東アジア系集団、北東アジア系集団に特徴的なゲノム成分を持つことが示された。また、土井ヶ浜弥生時代人は遺伝的には古墳時代人に最も近く、次いで現代日本人、古代韓国人、現代韓国人の順に近いことが確認された。次に、東アジア系と北東アジア系の両ゲノム成分を持つ現代韓国人を日本列島に渡来した集団だと仮定し、その集団が縄文人と混血したというモデルを統計学的に評価したところ、このモデルによって土井ヶ浜弥生時代人、古墳時代人集団、現代日本人集団のゲノム成分をうまく説明できることが明らかになった。(以下ソース)
2024年10月18日
https://www.todaishimbun.org/20241018_toraikeiyayoizin/
(省略)
その一方で、この二重構造モデルを発展させた「三重構造モデル」という仮説も提唱されている。
こちらのモデルは、縄文人以降の過程が異なる。まず弥生時代に、北東アジアに起源を持つ人々が日本列島に渡って縄文人と交わり、次に古墳時代に東アジアを起源とする人々が渡来してきて交わっていったことで、日本人の祖先が形成されたとする。
日本人の起源を解明するうえで事態をややこしくしているのが、弥生人には在来系(縄文系)と渡来系の2タイプがあることだ。
三重構造モデルの根拠の1つは、長崎県の下本山岩陰遺跡から出土した弥生人のDNA解析結果なのだが、この弥生人は在来系なのだと大橋教授らは指摘する。
つまり日本人のルーツを探るうえで、その弥生人が当時の”代表的な弥生人”だったかどうかの疑いがあった。
それゆえに渡来系弥生人の遺伝子を解析する必要があったのだという。
■弥生時代人の全ゲノム配列解析が行われる
今回の研究で調査されたのは、その渡来系弥生人の遺伝子だ。より具体的には、山口県の土井ヶ浜遺跡で発見された約2300年前の女性の遺骨である。
その骨から抽出された遺伝子で全ゲノム配列解析したところ判明したのは、その弥生人が縄文系・東アジア系・北東アジア系の3系統を持つということだ。
また遺伝的には古墳人にもっとも近く、次いで現代日本人、古代韓国人、現代韓国人の順番で近いことが確認された。
■二重構造モデルの方が正しいとするも複雑な一面も
こうした事実と、それを踏まえた統計学的な分析によるならば、ゲノムの解析結果は二重構造モデルの正しさを裏付けているという。
ただし、それが描き出す私たちのルーツは、単純な二重構造モデルより少しだけ複雑だ。今回の研究が示唆するのは次のようなことだ。
東アジア系と北東アジア系がどこかで交わり、両方のルーツを持つ人たちが誕生した。この人たちが朝鮮半島から日本に渡来し、もともといた縄文人と交わった。
そして生まれた子孫たちこそ、私たち現代日本人の祖先である可能性が高い。
だが、謎はまだ残されている。私たち日本人の祖先が縄文人と東アジア系・北東アジア系をルーツに持つ渡来人であることは確かだが、じつはゲノムの大半(8割)はもともといた縄文人ではなく渡来人から受け継いだものなのだ。
いったいなぜこのような偏りが生まれたのか? これを解明するのが研究チームの次の目標であるとのことだ。(以下ソース)
10月18日
https://karapaia.com/archives/459828.html
(出典 karapaia.com)
本土日本人(アイヌ・沖縄集団を除く。以下「日本人」)が縄文人と渡来人の混血集団の子孫であるという説は広く支持され、現代日本人のゲノムの8割以上を東アジア系と北東アジア系の成分が占めていることが知られていた。しかし、これらの成分を日本人がどのように獲得したのかについては十分に理解されていなかった。
今回の研究では、山口県の土井ヶ浜遺跡から出土した渡来系弥生人の人骨からDNAを抽出し、全ゲノム配列解析を行って得られたデータと縄文人や古墳時代人、現代日本人、東アジア系および北東アジア系集団のゲノムデータを用いて統計分析を行った。この分析により、土井ヶ浜弥生時代人が現代日本人と同じく縄文人、東アジア系集団、北東アジア系集団に特徴的なゲノム成分を持つことが示された。また、土井ヶ浜弥生時代人は遺伝的には古墳時代人に最も近く、次いで現代日本人、古代韓国人、現代韓国人の順に近いことが確認された。次に、東アジア系と北東アジア系の両ゲノム成分を持つ現代韓国人を日本列島に渡来した集団だと仮定し、その集団が縄文人と混血したというモデルを統計学的に評価したところ、このモデルによって土井ヶ浜弥生時代人、古墳時代人集団、現代日本人集団のゲノム成分をうまく説明できることが明らかになった。(以下ソース)
2024年10月18日
https://www.todaishimbun.org/20241018_toraikeiyayoizin/
(省略)
その一方で、この二重構造モデルを発展させた「三重構造モデル」という仮説も提唱されている。
こちらのモデルは、縄文人以降の過程が異なる。まず弥生時代に、北東アジアに起源を持つ人々が日本列島に渡って縄文人と交わり、次に古墳時代に東アジアを起源とする人々が渡来してきて交わっていったことで、日本人の祖先が形成されたとする。
日本人の起源を解明するうえで事態をややこしくしているのが、弥生人には在来系(縄文系)と渡来系の2タイプがあることだ。
三重構造モデルの根拠の1つは、長崎県の下本山岩陰遺跡から出土した弥生人のDNA解析結果なのだが、この弥生人は在来系なのだと大橋教授らは指摘する。
つまり日本人のルーツを探るうえで、その弥生人が当時の”代表的な弥生人”だったかどうかの疑いがあった。
それゆえに渡来系弥生人の遺伝子を解析する必要があったのだという。
■弥生時代人の全ゲノム配列解析が行われる
今回の研究で調査されたのは、その渡来系弥生人の遺伝子だ。より具体的には、山口県の土井ヶ浜遺跡で発見された約2300年前の女性の遺骨である。
その骨から抽出された遺伝子で全ゲノム配列解析したところ判明したのは、その弥生人が縄文系・東アジア系・北東アジア系の3系統を持つということだ。
また遺伝的には古墳人にもっとも近く、次いで現代日本人、古代韓国人、現代韓国人の順番で近いことが確認された。
■二重構造モデルの方が正しいとするも複雑な一面も
こうした事実と、それを踏まえた統計学的な分析によるならば、ゲノムの解析結果は二重構造モデルの正しさを裏付けているという。
ただし、それが描き出す私たちのルーツは、単純な二重構造モデルより少しだけ複雑だ。今回の研究が示唆するのは次のようなことだ。
東アジア系と北東アジア系がどこかで交わり、両方のルーツを持つ人たちが誕生した。この人たちが朝鮮半島から日本に渡来し、もともといた縄文人と交わった。
そして生まれた子孫たちこそ、私たち現代日本人の祖先である可能性が高い。
だが、謎はまだ残されている。私たち日本人の祖先が縄文人と東アジア系・北東アジア系をルーツに持つ渡来人であることは確かだが、じつはゲノムの大半(8割)はもともといた縄文人ではなく渡来人から受け継いだものなのだ。
いったいなぜこのような偏りが生まれたのか? これを解明するのが研究チームの次の目標であるとのことだ。(以下ソース)
10月18日
https://karapaia.com/archives/459828.html
(出典 karapaia.com)