古代史サイエンス:7000年前の朝鮮半島古代人は縄文人なのか? --- 金澤 正由樹 - アゴラ 古代史サイエンス:7000年前の朝鮮半島古代人は縄文人なのか? --- 金澤 正由樹 アゴラ (出典:アゴラ) |
この記事は、7000年前の半島古代人が縄文人であった可能性について考察しています。縄文文化の特異性や地域性の違いについての理解が深まると共に、歴史を探ることの面白さを再認識しました。
1 樽悶 ★ :2024/10/14(月) 23:59:37.13 ID:X26T+SI49
金澤 正由樹(かなざわ まさゆき)
2年前の記事「現代日本人は縄文人の直系の子孫なのか?」では、約7000年前に縄文人が海を渡り、当時は無人だった朝鮮半島に上陸し、そのまま定住したという大胆な仮説を提示しました。
https://agora-web.jp/archives/221019113518.html
この一見奇抜なストーリーは、2022年以降になると、韓国人研究者も含めた多くの研究によって実証されつつあります。
一例として、2023年に発表された韓国人による論文では、東日本の縄文人が西日本に移動し、さらにその後、朝鮮半島南岸や宮古諸島に移動したという可能性が示されているのです(図1)。
(出典 agora-web.jp)
■朝鮮半島は7000年前まで無人だった
(省略)
■朝鮮半島古代人のDNAは縄文人と同じだった
こうなると、出現した朝鮮半島古代人はどのようなDNAを持っていたのかが知りたくなります。これに関しては、既にいくつかの研究が公開されており、それらをまとめた結果が、2021年のNatureに論文として掲載されています。
図4は、この論文に掲載された主成分分析によるゲノム解析の結果で、物理的な距離が近いほどDNAが似ていることを示しています。見たとおり、朝鮮半島南部古代人(十字の星形)は、すべて赤点線内にあり、現代韓国人(黄色)よりは、現代日本人・現代沖縄人(灰色)や縄文人・弥生人(五角形)に似ているケースが大半であることが分かります。
(出典 agora-web.jp)
なお、分析の対象となった人骨が出土した場所は次のとおりです(図5)。
(出典 agora-web.jp)
以上のことを整理すると、
1. 約2万年前に氷河期が終了し、それまでの朝鮮半島の住民は北に移動したため、約7000年前までほぼ無人となった
2. その後の朝鮮半島では、約7000年前から人口が急増したが、場所はすべて日本寄りの海岸だった
3. 出土した人骨を分析したところ、朝鮮半島古代人の多くは縄文人とほぼ同じDNAを持っていた
となります。
よって、素直に考えると、約7000年前に縄文人が海を渡り、当時無人だった朝鮮半島に上陸し、そのまま定住したという結論が得られます。とはいうものの、相当に意外と感じる人が大部分でしょう。
では、なぜ縄文人は約7000年前に海を渡ったのか。
(省略)
■「渡来人」は存在しなかった可能性が高い
日本人の成立については、従来の定説「二重構造説」によれば、朝鮮半島の渡来人が水田稲作などの先進技術を携えて日本列島に到来し、縄文人と混血して弥生人になり、現代日本人に続いているとされます。
この説が正しいとすると、これまで説明した事実との整合性から……
1. 約7300年前の鬼界カルデラ大噴火の直後、無人だった朝鮮半島の日本寄りの沿岸(だけ)に、「突如」として「縄文人」のDNAを持った人間が出現した
2. この出現の直後、ほぼ同時に出現した対馬の縄文人と交流し、現地で「隆起文土器」を製作した(あるいは作り方を教えた)
3. それだけではなく、日本産の黒曜石を入手して朝鮮半島に持ち帰った
という極めて不自然な仮定をしなければなりません。
そもそも、「突如」として出現した朝鮮半島古代人が、日本列島の地理や特産品に詳しいはずがありません。前述のように、対馬では約7200年前の越高遺跡が最古とされているため、1と2はほぼ同時期の出来事ということになります。もちろん、こんなことが絶対にないとは言い切れませんが、極めて非現実的というしかないでしょう。
それなら……
1. 鬼界カルデラの大噴火直後、北部九州の縄文人が難を逃れて、当時は無人だった対馬、そして朝鮮半島に渡って定住した
2. 朝鮮半島には、対馬の隆起文土器と日本産の黒曜石を持って行った
と考えた方がはるかに自然です。
つまり、朝鮮半島古代人は縄文人であり、仮に「渡来人」が日本に来ていたとしても、それは縄文人の末裔ということになります。
あまりにも奇抜な仮説なので、簡単には信じられないかもしれません。しかし、今まで述べたことは、現時点で判明している多くの事実を矛盾なく説明できる、最も可能性の高いシナリオの1つではないでしょうか。
2024.10.09 06:50
https://agora-web.jp/archives/241008082824.html
2年前の記事「現代日本人は縄文人の直系の子孫なのか?」では、約7000年前に縄文人が海を渡り、当時は無人だった朝鮮半島に上陸し、そのまま定住したという大胆な仮説を提示しました。
https://agora-web.jp/archives/221019113518.html
この一見奇抜なストーリーは、2022年以降になると、韓国人研究者も含めた多くの研究によって実証されつつあります。
一例として、2023年に発表された韓国人による論文では、東日本の縄文人が西日本に移動し、さらにその後、朝鮮半島南岸や宮古諸島に移動したという可能性が示されているのです(図1)。
(出典 agora-web.jp)
■朝鮮半島は7000年前まで無人だった
(省略)
■朝鮮半島古代人のDNAは縄文人と同じだった
こうなると、出現した朝鮮半島古代人はどのようなDNAを持っていたのかが知りたくなります。これに関しては、既にいくつかの研究が公開されており、それらをまとめた結果が、2021年のNatureに論文として掲載されています。
図4は、この論文に掲載された主成分分析によるゲノム解析の結果で、物理的な距離が近いほどDNAが似ていることを示しています。見たとおり、朝鮮半島南部古代人(十字の星形)は、すべて赤点線内にあり、現代韓国人(黄色)よりは、現代日本人・現代沖縄人(灰色)や縄文人・弥生人(五角形)に似ているケースが大半であることが分かります。
(出典 agora-web.jp)
なお、分析の対象となった人骨が出土した場所は次のとおりです(図5)。
(出典 agora-web.jp)
以上のことを整理すると、
1. 約2万年前に氷河期が終了し、それまでの朝鮮半島の住民は北に移動したため、約7000年前までほぼ無人となった
2. その後の朝鮮半島では、約7000年前から人口が急増したが、場所はすべて日本寄りの海岸だった
3. 出土した人骨を分析したところ、朝鮮半島古代人の多くは縄文人とほぼ同じDNAを持っていた
となります。
よって、素直に考えると、約7000年前に縄文人が海を渡り、当時無人だった朝鮮半島に上陸し、そのまま定住したという結論が得られます。とはいうものの、相当に意外と感じる人が大部分でしょう。
では、なぜ縄文人は約7000年前に海を渡ったのか。
(省略)
■「渡来人」は存在しなかった可能性が高い
日本人の成立については、従来の定説「二重構造説」によれば、朝鮮半島の渡来人が水田稲作などの先進技術を携えて日本列島に到来し、縄文人と混血して弥生人になり、現代日本人に続いているとされます。
この説が正しいとすると、これまで説明した事実との整合性から……
1. 約7300年前の鬼界カルデラ大噴火の直後、無人だった朝鮮半島の日本寄りの沿岸(だけ)に、「突如」として「縄文人」のDNAを持った人間が出現した
2. この出現の直後、ほぼ同時に出現した対馬の縄文人と交流し、現地で「隆起文土器」を製作した(あるいは作り方を教えた)
3. それだけではなく、日本産の黒曜石を入手して朝鮮半島に持ち帰った
という極めて不自然な仮定をしなければなりません。
そもそも、「突如」として出現した朝鮮半島古代人が、日本列島の地理や特産品に詳しいはずがありません。前述のように、対馬では約7200年前の越高遺跡が最古とされているため、1と2はほぼ同時期の出来事ということになります。もちろん、こんなことが絶対にないとは言い切れませんが、極めて非現実的というしかないでしょう。
それなら……
1. 鬼界カルデラの大噴火直後、北部九州の縄文人が難を逃れて、当時は無人だった対馬、そして朝鮮半島に渡って定住した
2. 朝鮮半島には、対馬の隆起文土器と日本産の黒曜石を持って行った
と考えた方がはるかに自然です。
つまり、朝鮮半島古代人は縄文人であり、仮に「渡来人」が日本に来ていたとしても、それは縄文人の末裔ということになります。
あまりにも奇抜な仮説なので、簡単には信じられないかもしれません。しかし、今まで述べたことは、現時点で判明している多くの事実を矛盾なく説明できる、最も可能性の高いシナリオの1つではないでしょうか。
2024.10.09 06:50
https://agora-web.jp/archives/241008082824.html