困難な状況に直面しているドイツの現状は、他国でも同様に感じられる問題です。受け入れた難民の支援や教育、犯罪防止策をしっかりと整えることが、共存の道につながると思います。この問題を真剣に考えることこそが、未来への第一歩ではないでしょうか。

 日本に移住するまで25年間ドイツに暮らしていたが、今のドイツ社会を語るにはたまには現地へ行ってその空気に身を浸さないとわからないことがいろいろとある。技術が発展してビデオ通話で自然にコミュニケーションをとっているつもりでも、こぼれ落ちる情報は想像以上に多いのだ。

 ということで先日ドイツに戻った際、ウクライナ戦争や移民難民問題についてどんな風に思っているかを家族や友人に聞いてみた。数年前なら「なぜ我々ドイツの正しい方法を他の国は理解しないのだろう」的なパワフル理論を(絶妙に現実を無視しながら)主張していた気がするのだが、今回はむしろ「正直、そのあたりを真面目に考えるのに疲れてきた」という諦念が混じった感触の人が多くて驚いた。

 しかしこの空気感の変化、いわゆる「戦後ドイツ」のモラルに想定外の大きな変化が生じている気がするので、本当に“何か”が起きる前に記しておきたい。

 まずウクライナ戦争。2022年の開戦直後こそ「ロシアがガチの軍事作戦を仕掛けてくるなんて!」という驚愕&思考停止が1週間ほど続いたが、その後の立て直しは早かった。

 ドイツ世間および一般ニュースの論調は「軍事政治システムが硬直化してモラルも低いロシア軍は遠からず行き詰まるであろう。ヤバいのは核兵器の大規模使用の可能性のみ」というぐらいの楽観姿勢で、むしろ西側主要国の「結束姿勢」を見せつけることが大事! という雰囲気だった。

 ドイツロシアの天然ガスに深く依存しているので、その外交的な失策から眼を逸らしたい心理もあったろうが、とにかく「ドイツの道理と正しさが、なんだかんだ友好国の連携を強めることになって、早期に勝利を呼び込むのだ!」という自信と願望に満ちていた。

「正しいドイツが当たり前に勝利する」というセルフイメージが崩壊

 しかし実際には、戦争は長期化した。すぐに崩れて醜態を見せるかと思われたプーチン体制は、意外としぶとく継戦している。ネットを駆使した情報戦の勢いも変わらない。

 残念ながら現状では、どうアクロバティックな理屈をこねても「正しいドイツが当たり前に勝利する」と確信するのは不可能である。

 たとえロシア地上軍がヨーロッパ中心部に侵攻してくる可能性がゼロに近くても、「ヨーロッパの状況を的確にコントロールする力がドイツから失われた」という事実を突きつけられただけで、ドイツ人のセルフイメージと政治軍事的なブランド性は十分に毀損されてしまった。

 2014年のクリミア危機から生じていた潜在的な「敗北」の危険性が、みごとに顕在化したともいえるだろう。ロシアが勝ったわけではないが、ドイツ人は何かしらの意味で深く「負けた」と感じているのだ。

 ちなみにウクライナ戦争は、メルケル時代に軽視されていた社会インフラ(情報通信領域も含む)の充実など、内政重視に切り替えようとした矢先に発生し、その方面の各種政策を頓挫させてしまった。

 この影響も地味に大きく、たとえば、運行/メンテ体制を充分に確保できず、各種交通機関(飛行機含む)が間引き運転を行うことが常態化している。建物や機器の修理も(それこそ半年レベルで)遅れがちだ。正直、そういう状況下で生活していると「衰退」みたいなものを経済指標の数値以上に実感せずにいられない。

ドイツにぶら下がって生きようと狙う「難民」への感情が急速に悪化

 そして移民難民問題もじわじわと効いている。

 2015年の難民危機にて、メルケル政権の「門戸開放」路線は当時から賛否両論があったけど、その後ドイツ人たちが心を閉ざしているのが、ドイツ社会保障システムにぶら下がって生きようと狙う「難民」の多さだ。

 おそらく日本人の感覚と違うのは、ドイツでは「移民」はまあまあ歓迎されているということだ。ドイツの経済的な好調はヨーロッパ中から集まる優秀な労働者なしでは維持できないし、ドイツ人もそれはよくわかっている。

 ただ、「難民」への感情は急速に悪化している。

 いささか生々しい話だが、たとえ大量の「難民」を抱えて財政的なロスが出たとしても、「道義的に正しいドイツ」を天下にアピールすることには巨大な政治的意味がある。強国のプライドをお金で買っていると言ってしまうと身も蓋もないけれど、極論的にはそういう構造となる。なのでメルケルが難民の積極的な受け入れを行った時、ドイツ人もある程度の覚悟はできていた。

 だがしかし、それは「食客」たちが問題を起こさず生活している前提で成立する論理であり、難民によるテロ的犯罪が増加する現状ではまったく通用しなくなった。

 とりわけ深刻なのは、移住前の土地の因縁に由来する難民どうしの対立や、移民対難民の既得権バトルといった「どちらかを助けることがさらなる不幸を呼ぶ」的な修羅道じみた事件が急増している点だ。

 そしてロシアによる情報戦の流儀に倣ったというべきか、ネットでドイツ国内での「戦闘」が煽られるケースも多い。ここまで来ると、もはや代理戦争の戦場&補給基地として、ドイツの道義性が悪用されているといってよいだろう。ドイツはこの悪しき循環を止められなかった。

 ……と、年を追うごとにドイツ社会のストレスは深刻に蓄積していたが、それでも少し前までは、EU&NATO中心国であるという矜持と驚異的な粘り腰で、戦後のドイツ市民社会が育ててきたモラルを堅持しようと頑張っていた。

 それが大々的に崩れ、ドイツ人が「疲れてしまった」大きな転機は、時期的にみても明らかに、「ガザ地区問題、現イスラエル政府のやりすぎ姿勢」である。イランのミサイル攻撃で状況はさらに悪化している。

「常にイスラエル推しでなければならない」という国是が疲労と諦念に変わる?

 この件、いくら先に手を出したのがパレスチナ武装勢力側とはいえ、その後のイスラエル軍(というかネタニヤフ政権)による報復攻撃の徹底した凄惨さをどこまで許容できるのか、という難問をドイツ人は突きつけられた。誰がどう見ても「イスラエル政府の姿勢」の道義的正当性はメチャクチャ疑問だ。

 しかしナチスの反省からスタートした戦後ドイツの国是は、「常にイスラエル推しでなければならない」という構造にハマっている。

 本来であればユダヤ人イスラエルネタニヤフ政権を一体で捉える必然性はまったくないのだが、そうなってしまっている。そんなデリケートな問題に先例のない踏み込み方をして炎上するのは誰も望まないからだ。

 これぞドイツ的道義のダークサイドというか、慣習法・自然法的にあきらかなはずの観点が自動的に抑制されてしまう。他国から見ると感覚的におかしくても、これは現代ドイツ社会の「前提」であり、現状ちょっとどうしようもない。

 だが人間である以上、あのパレスチナ周辺の状況を見て感覚的に割り切れない面が生じるのは当然だ。こんなことのためにドイツは頑張ってきたのか。戦後の自己批判の先には国際的な善と正義の達成があるのではなかったか。これは裏切りではないか……。しかし訴えるべき窓口はどこにも存在しない。

 無言のうちに疲労と諦念が押し寄せるのも当然といえよう。

 ひょっとすると後世に、ドイツの戦後理性の根幹が大きく揺らいだ瞬間とされるかもしれない。

 また、ガザ地区問題をきっかけにドイツ国内で反ユダヤ主義が再燃した問題は日本でも報道されているが、実態にはそれ以上のいやらしさがある。

 イスラエルの姿勢について、在独パレスチナ人やイスラム教徒が怒るのはもちろん、極右勢力がプロの手並みで煽りまくっている。しかも本来的にはネタニヤフ政権を糾弾すべきところ、攻撃対象を巧みに「ユダヤ人」全体にすり替えながらアピールをまき散らすのだ。

 このように「部分的な事実を含む」フェイクニュースや極論が力を増し、旧来的な理性とされていた基準がどんどん侵食されてしまう。極論主義者が嬉々としてイスラエルを攻撃し、ドイツ的道徳観を身につけた人間ほどストレスをためるという地獄のような情報環境になりつつある。

「難民は締めつけるが、社会保障も充実させる」という新興勢力

 そんなドイツは今後どのような道に進むのか。

 ひとつ明らかなのは、右も左も「主要政党」の支持率が落ちていることだ。これまでのドイツ社会の「主流」を形成してきただけに、与野党あわせてその政治的カタマリが信任を失うのは仕方のないところだろう。

 では、伝統的な政党から離れた票はどこに向かうのか?

 その筆頭候補はポピュリズム色の強い右派政党AfDだろう。2024年9月のドイツ東部州議会の諸選挙でさらに党勢を拡大したこともあり、伝統的政党へのチャレンジャーとして知名度が高い。しかし内情として「立ち位置を右派ナショナリズムに振り切った」ことの副作用がふくらんでいるのも事実だ。ありていにいえば「いまの難民政策には反対だが、右派ナショナリズム性は嫌い」という有権者にとって、AfDは適切な受け皿とはいえない。

 そこで「AfD同様に難民は締めつけるが、社会保障も充実させる」という路線の新政党が爆誕している。旧東独からの政治的流れを有する左派党の勢力を食い荒らしながら拡大を続けるヴァーゲンクネヒト新党である。

 このような形でドイツでは、「これまであまり無かった組み合わせ」で潜在ニーズに刺さろうとする新党が台頭し、既存政党も路線変更を余儀なくされるケースが目立ってくるのではないかと考えられる。

 気になるのは、起きているムーヴの多くが「基本的に移民や難民は抑制」主義であること、そしておしなべてポピュリズムに立脚していることだ。この傾向はドイツに何をもたらすか。

 そんなわけでドイツの「EU脱退」がリアルかつ真剣に議論される展開も、そう未来の絵空事ではないだろう。いずれにせよ、90年代から2000年代前期までの「意識高い系と経済強国っぽさが併存していた」ドイツは、おそらく終わったのだ。それを前提に堂々と思考できる人間だけが、未来を語れるのかもしれない。

(マライ・メントライン)

ドイツでは移民・難民への反感が高まり、デモも起きている ©時事通信社


(出典 news.nicovideo.jp)

almina

almina

アカのメルケルを長期に亘り首相においた弊害ですね。 難民は紛争地域から退避出来れば良いのだから、生活習慣や宗教が似た地域を最終避難先にして一定期間後にそっちへ移送すべき。

リドル

リドル

戦後敗戦国として「反省」しか求められなかった結果、「自国にとっての利益がどこにあるのか」という当たり前の思考が出来なくなった阿呆国家の弊害だろう。この点は日本も他人事じゃない。ドイツにしろ日本にしろ、リベラルを自称するクズどもの意見に踊らされずまともな思考が出来るならここまで国力が落ちることは無かった。

はるちか

はるちか

ケルン大晦日集団○暴行事件、名前付いてるね。移民の成功と年明けの景気付けに、ドイツ各地で女性たちを襲ったなんて衝撃だったわ。身を守るために護身術習ってます、みたいなNHKの番組見たけど、果たしてこれだけで敵うのかと首を捻ったおもひで