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読売新聞オンライン
2023/04/30 01:32
https://www.yomiuri.co.jp/world/20230430-OYT1T50045/
《ロシアの黒歴史》酔い潰れた仲間の背中に“ペニスの絵を描いた紙 ... - Yahoo!ニュース 《ロシアの黒歴史》酔い潰れた仲間の背中に“ペニスの絵を描いた紙 ... Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
自民党のドン・田中角栄に「2度と酒を飲みたくない」と言わせたことも…「元総理・宮沢喜一の酒癖」があまりにも悪すぎたワケ から続く
あのヒトラーよりも人民を虐殺としたと言われるソ連の指導者・スターリン。強く、冷酷な独裁者のイメージの強い彼だが、実は「大の宴会好き」という一面も。
とにかく飲ませるのが好きだったその酒癖とは? ライターの栗下直也氏の新刊『政治家の酒癖』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
◆◆◆
冷酷な指導者・スターリンビッグスリーと言えば、何を思い浮かべるだろうか。車好きの人ならば、「ゼネラルモーターズ」「クライスラー」「フォード」の米国自動車メーカー3社だろうか。お笑い好きの人ならば、ビートたけし、明石家さんま、タモリか。あらゆる業界にビッグスリーは存在するが、20世紀前半の世界政治のビッグスリーと言えば、ウィンストン・チャーチル、フランクリン・ローズベルト、そしてヨシフ・スターリンだ。
スターリンは寡黙で狡猾だった。モスクワの米国大使のアヴェレル・ハリマンはビッグスリーを比較して、彼を「戦争指導者として最も有能だ」と評価している。
大柄に見えるかもしれないが、163センチメートルしかない。外国の大使などは実際のスターリンに会うと小ささと弱々しさに驚いた。大衆にいかに自分が映っているかを非常に気にした。ずんぐりした体軀だったが、カメラを向けられると、二重顎を見せないようにした。
スターリンはビッグスリーでは異質だ。チャーチルとローズベルトは生まれが裕福だが、スターリンは貧しい靴屋の息子だ。バリバリの労働者階級だ。
ロシア正教の神学校で勉学に励むのもつかのま、革命に目覚めてしまう。とはいえ、金がない。金がなかったらどうするか。盗めばいい。不法に金を得ているやつらから盗んでしまえと、活動資金を得るために、銀行強盗でも売春宿経営でもやってのけた。
銀行泥棒や売春宿経営の経歴を持つ指導者は有史以来、他にいないのではないだろうか。当然、捕まったり、流刑されたりするのだが、懲りずに脱走して、また非合法的な活動に手を染める。彼らにとっては革命のための活動であって、非合法ではないのだ。
それらの活動は、ついにロシア革命として結実する。革命の立役者であるレーニンも、無鉄砲なスターリンを頼りにしていた時期があった。「君は鉄の男だ!」ということで、ロシア語で「鋼鉄の男」を意味する「スターリン」と名付けたほどだ。本名がヨシフ・ベサリオニス・ヅェ・ヂュガシヴィリと聞くと、スターリンの印象が全く変わるから不思議なものだ。
ただ、名付け親のレーニンですら、次第にスターリンの粗暴さや冷酷さに危うさを感じるようになる(売春宿経営でもスターリンは娼婦に金をほとんど払わなかったため、そんな資本家みたいな真似は止めろとレーニンに怒られている)。
レーニンの後継者にはトロツキーやジノヴィエフなど6人の名が挙がっていた。レーニンは、6番目の男であったスターリンを党書記長から外すように遺言したものの、時すでに遅し。第6の男によって他の5人は次々に殺されていった。
当時、人民を虐殺した指導者としてはヒトラーが歴史に名を残すが、スターリンはそれを大きく上回るとされる。
1937、38年の2年間だけでも、約158万人が逮捕され、68万人が銃殺された。1930年代全体では、強制労働による死者数や農村集団化の犠牲者数も含めると、1000万人とも2000万、3000万人とも言われている。
ロシアが世界に誇る文学者ドストエフスキーが著した『罪と罰』は、ペテルブルク大学の元学生ラスコーリニコフが、近所に住む金貸しの老婆を殺害する物語だ。犯行の動機は「天才は凡人の権利を踏みにじっていい」という哲学だ。この選民思想を体現したのがスターリンだ。
とにかく飲ませるのが好きなスターリンの酒癖彼は74歳まで生きたが、生前の行為は当時、ソビエト社会主義の実現のために必要だったと正当化された。スターリンという天才にとっては凡人の命を1000万単位で奪っても痛みを感じる必要はなかったのだ。
それにしても、虐殺した人数が大雑把すぎるが、断定できないのは、大規模の粛清のみならず、スターリンの周囲の者が忽然と姿を消すことも珍しくなかったからだ。冗談のようだが、スターリンが気にくわない様子を見せると、その怒りを買った人物の姿が見えなくなったのだ。
ここで鍵となるのが酒だ。スターリンに宴席や執務席でウォッカを勧められた腹心や古い同志が毒を盛られ、忽然と姿を消す。愛人の何人かも同じ運命をたどっている。後世に、スターリンの粛清の理由に首をひねる研究者もいるが、それはそうだろう。手当たり次第に殺している感は否めない。
「警戒して飲まなければいいのに」と思うだろうが、スターリンは殺すつもりがなくてもとにかく飲ませるのが好きだった。殺すために飲ませているのか、ただただ飲ませているのか判断が難しいから厄介だった。
夜型のスターリンの宴会は明け方まで続くことも珍しくなかった。部下が千鳥足になるまで飲ませ、それでも、乾杯を繰り返した。部下たちを杖でむやみに殴り、「お前らが私の酒を盗んで飲んだのか」と罵声を浴びせることもあった。パイプで頭を叩くこともあった。部下としては、何を考えているかわからないから従うしかない。
スターリンはとにかく酒宴を好んだ。海外から首脳が訪れても、自分たちのペースを崩さない。あるときは、部下が唐辛子入りのウォッカをなみなみとつぎ、英国の参加者に「一緒に飲み干そう」と声をかけるも、飲み干すのは自分たちだけで、相手はちびちびと舐めるだけ。それでもかまわず2杯目も一気飲み。まともでいられるはずがなく、顔から汗が噴き出て、椅子に座るのもままならない状態に陥り、英国側は完全に呆れ果てる。頃合いを見計らってスターリンが汗だくで泥酔した部下に近づき「かんぱーい」って、どんな宴なんだか。
また、西側諸国を招いたパーティーでは、ロシア側の誰もが各国の大使を酔わせようとした。英国大使はワインボトルとグラスが所狭しと並ぶテーブルに倒れ込み、顔に切り傷をつくり、米国の将軍はふらつきながら売春婦を伴って、自室に姿を消した。
近年も米国の大統領がロシアで破廉恥なプレイをしていたと報じられたが、西側にとってはロシアは鬼門のようだ。
「こいつらは任務を怠れば絞首刑だ! 乾杯」誰がいようとおかまいなしに放言した。部下をからかい、「こいつらは任務を怠れば絞首刑だ! 乾杯」とグラスを合わせ、時のフランスの実力者であるシャルル・ド・ゴールをドン引きさせた。
とは言え、スターリンもさすがに大戦中はあまり酒も飲まず膨大な仕事をこなした。だからと言って、部下は気が抜けない。酒宴で部下をいじめ抜くほどだから、仕事で部下を徹底的に管理しようとしたのは言うまでもない。
第2次世界大戦中はスターリンも、側近があまりにも抱えている仕事の量が多いため、休息をとらせようという親心から休息表をつくった。例えば、午前4時から午前10時までは確実に眠るように命じた。疑り深いスターリンは休息を命じた時間帯にわざと電話をかけ、本人が電話に出ると「なんで休んでないんだ」と𠮟った。
困るのは部下だ。「ちゃんと眠れ」と言われても、スターリンと深夜まで食事や映画鑑賞に付き合わなくてはいけないため、仕事が全く終わらない。電話対応に別の者を配置し、スターリンから電話があると「同志は休息中です」と答えさせる者もいた。休息なのに心は全く安まらない。
もともとが酒好きなため、戦争の途中から酒宴の乱痴気騒ぎは復活し、戦後はそれが日常になった。酒宴で全てが決まっていたと言っても過言ではなかった。厄介なのはただでさえ酒癖が良くないのに、スターリンは動脈硬化により、脳への血流が悪くなり、ブチ切れやすくなっていた。周囲の者にしてみればこれまで以上にスターリンに気を遣わなければいけない。いつ消されてもおかしくないことは彼ら自身が一番知っていた。
映画鑑賞から始まるスターリンの夜スターリンの夜は、まずクレムリン宮殿3階に設けられた映画室での映画鑑賞から始まる。刑事映画やギャング映画が好みだったというが、担当者はスターリンの機嫌を見極めて作品を選び上映しなければいけない。上機嫌のときは初見の映画を流し、機嫌が読めないときは安全牌と思われる作品を選ぶ。国内ではいかなる映画もスターリンの検閲を受けないと公開できなかった。
「たかが映画」と思われるかもしれないが、外国映画は逐一、通訳しなければいけなかったのでムチャクチャ大変な労力を伴った。映画担当責任者が2人続けて銃殺されたこともあるので、命がけだ。
映画鑑賞は通常2本立てで、終わるのが午前2時頃だった。誰もが寝静まっている時間帯だが、スターリンの夜は終わらない。「これから予定はあるかね。諸君に時間があれば何か食べに行こう」と誘うのだ。
午前2時に予定のある者などいない。答えは一択だ。「はい、喜んで」。そこから一同は車に分乗し、スターリン邸の大食堂での宴となるが、これが平均6時間にも及ぶ。当然、終わった頃には、日が昇っているというよりも現代ならば出勤時間である。
6時間も何を話すのかと思いきや、重要な政策決定や文学など話は多岐に及ぶ。重臣だったモロトフは、国の政治は「スターリンの食卓で決まった」と書いている。最終的にはただただ酔っ払いの群れがそこにいただけだが。
ウォッカで乾杯を重ね飽きると、唐辛子入りウォッカやブランデーのボトルが登場した。スターリンも、戦後になると酒を控え始めたが、時には乱れることもあった。何よりも仲間たちに酒を飲ませ、ハメを外させることに喜びを感じた。例えば、気温当てゲームを提唱しながら、酒を勧め回った。正しい気温を言い当てられなかったら、誤差の温度の杯数(3度ならば3杯)のウォッカを飲まされた。独裁者なのに学生ノリであるが、実際、時に宴は学生の新歓コンパの様相を呈した。
いい年をした重臣たちが肥満した身体を揺すってよろよろと部屋を駆け出して、嘔吐し、自分の衣服を汚し、最後にはボディーガードに担がれて帰宅する始末だった。スターリンはモロトフの酒の強さを賞賛したが、そのモロトフさえ泥酔した。ポスクリョーブィシェフ〔著者注・スターリンの私設秘書〕は必ずと言っていいほど吐いた。
酒豪のフルシチョフはベリヤに負けずにスターリンの歓心を得ようとして、大量の酒を飲んだが、時にはあまりにも酔いすぎて、ベリヤの手で家まで送り届けられた。ベリヤはフルシチョフを家まで送り届け、ベッドに寝かしつけたが、フルシチョフはしばしば失禁してベッドを濡らした。
ジダーノフとシチェルバコフはいったん飲み始めると自制できなくなった。シチェルバコフはアルコール依存症になり、それが原因で1945年5月に死亡する。ジダーノフもアルコール依存症になって苦しんだ。ブルガーニンも「事実上の依存症患者」だった。マレンコフはますます太った。(『スターリン││赤い皇帝と廷臣たち 下』)
幸せな者は誰ひとりいない惨状だが、同志が悲惨になればなるほどスターリンは満足だったのだろう。そして、誰もがスターリンの歓心を買おうと子どもじみた酒宴を盛り上げようとした。
庭の池に酔った者を落としたり、ウォッカに塩を大量に入れ、それを飲み、あまりの辛さに吐く姿を楽しんだり、酔い潰れた者の背中にペニスの絵を描いた紙を貼り、起きて何も知らず動き回るのを笑いものにしたり。大学生よりも酷い。
スターリン自身もトマトを人に投げつけたり、イスの上にトマトをこっそり置いてその上に誰かが座るのを楽しんだ。庭で飼っていた鳥を撃とうと、銃を持ったものの、ふらついて地面に発射し、危うく仲間を射殺しかけたこともあった。
もちろん、「こんなの耐えられない」と誰もが考えるだろう。同志の何人かは給仕を買収して、酒の代わりに、色が付いた水を出すように作戦を練った。別の者はトイレに行った際に見つかりにくい小部屋で仮眠する術を覚えたが、いずれもスターリンに密告する者がいて、バレた。スターリンに内緒でみんなで手を結んで極力飲まない方法もあったが、バレることを恐れた。みんな、スターリンが怖かったのである。
スターリンの最期もそんな恐怖政治がもたらした面がある。
あまりにも情けないスターリンの最期1953年2月28日の夜、例によって重臣たちとクレムリンで映画を楽しみ(スターリン以外が楽しんだかはわからないが)、夜11時に食事をするために自宅に戻った。当時は朝鮮戦争中だったため、戦況の報告などを聞きながら、午前4時まで宴は続いた。かなり酔っていたが、非常に元気でフルシチョフの腹をふざけながら荒っぽく殴っていたというから、死ぬ間際まで学生ノリの飲み会は続いたわけだ。
翌日、その日は日曜だった。午後になってもスターリンの寝室には何の動きもなかった。警護隊員たちは一様に不安になったが、どうしようもない。もし、寝ているところを起こして機嫌が悪ければ銃殺されかねない。そのようなリスクを冒して声をかける勇気を誰も持ちあわせていない。
「昨日、飲み過ぎていたし、寝ているのだろう」と静観していると午後6時くらいにスターリンがいると思われる部屋にようやく明かりが灯る。よかった、よかったと胸をなで下ろすが、1時間、2時間、3時間経っても動きはない。午後10時になりスターリン宛てに届いた書類を渡すという名目で部屋をのぞくと、床に倒れたスターリンの姿を見つけた。意識はあったが、身動きはとれなかった。高血圧と動脈硬化が悪化し、倒れたのである。血液凝固阻止剤を盛られたとの説もあるが、倒れたのを発見されてからもスターリンは医師も呼んでもらえず、失禁した尿で全身を濡らしながら12時間以上放置された。
医師を呼ばなかったのは、連絡を受けた重臣たちがわざと放置したからとも言われている。と言うのも、スターリンは自身に引退勧告した医師を拷問にかけるくらいの医師嫌いで知られていた。スターリンの性格を考えると万が一、医師を呼んでいる最中に回復でもした際には自分たちがどのような罰を受けるかわからない。とは言え、このままだと死んでしまう。協議に協議を重ね、医師を呼んだが、有能な医師はみんなスターリンによって牢獄に入れられているからまともな医師は娑婆にはいない。そもそも呼んだところでスターリンが怖いから、医師が脈をはかるのもままならない。