■「最も高額なW杯」から「最も死を招いたW杯」になった
FIFAワールドカップ(W杯)・カタール大会が現地時間11月20日、熱狂的な声援を受けながら開幕した。12月18日の決勝まで、全32チームが全64試合の熱き戦いを繰り広げる。
一方で、中東初のホスト国という特性上、気候や文化の差異に起因する懸念の声が多く上がっている。猛暑の夏場を避け初の冬季開催としたまではよかったものの、異例の日程に負担を強いられる形でトップクラスの選手の欠場が相次いでいる。
酷暑が影響を与えたのは、選手ばかりではない。オイルマネーを誇示するかのようにそびえる大会会場や瀟洒(しょうしゃ)なインフラの裏には、炎天下において搾取的な労働条件で酷使され、命を落としてきた移民労働者たちの悲惨な物語が潜む。
大会総額30兆円とも報じられ「史上最も高額なW杯」と評されるカタールW杯は、いつしか「最も死を招いた大会」とさえ報じられるようになった。
■毎週5億ドルを投入、予算規模は前回の15倍以上
カタールの面積は1万1400平方キロほどであり、東京・千葉・埼玉を合わせた程度の小さな国だ。そこに外国人居住者を含め約280万人の人口、すなわち東京都の5分の1ほどの人々が暮らしている。
同国の急激な成長を支えているのは、天然ガスや石油などの資源だ。英BBCは、世界の石油埋蔵量の13%をカタールが握っていると報じている。
豊富なマネーに裏打ちされ、カタールW杯には巨額の予算が投じられてきた。米『フォーブス』誌は、「史上最も高額なW杯」だと述べている。
記事によるとカタールの財務相は2017年、ホテル、スタジアム、空港の拡張などインフラプロジェクトに対し、同国が「毎週5億ドル」を投じていると発表した。2010年末にホスト国に選定されてから現在までに、推定で2200億ドルが費やされたと同誌は指摘している。2018年のロシア大会と比較すると、実に15倍以上という予算規模だ。
■建設ラッシュが生んだ移民労働者の大量死
ホスト国への選定を受け、カタールは建築ラッシュに沸いた。完成を急ぐ7つのサッカースタジアムをはじめ、ホテルや空港など国内各所の建設現場に多くの移民が動員され、多数が命を落としている。「史上最も死者を出したW杯」といわれるゆえんだ。
ドイツ国営放送のドイチェ・ヴェレは、「人権活動家、政治家、ファン、そしてメディアは、このサッカー大会に関連していると疑われる死亡例が6500件、ひいては1万5000件あると語っている」と報じている。
前者の根拠となっているのが、英ガーディアン紙による2021年2月の報道だ。同紙は各国の統計を集計し、「ワールドカップの開催決定以降、カタールでは6500人の移民労働者が死亡した」と報じた。
この数字は、インドやバングラデシュなど南アジア5カ国からカタールへの移民労働者のうち、W杯開催決定から2020年までの10年間で死亡した人数をまとめたものだ。
フィリピンやケニアも多くの労働者をカタールに送り出している国であるが、これらの統計は含まれていない。このため、実態はさらに膨らむ可能性がある。カタール政府による統計は、さらに大きな数を示している。
国際人権NGOのアムネスティ・インターナショナルは2021年8月、「(カタール政府の)公式な統計によると、2010年から2019年までのあいだに、1万5021人の非カタール人が同国で死亡している」と指摘している。
米人権NGOの「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」でグローバル・イニシアチブ責任者を務めるミンキー・ワーデン氏は、米独立系ラジオ局「パシフィカ・ラジオ・ネットワーク」の番組に出演し、「ことによるとこれは、史上最も死を招いた大規模な競技大会です」との見方を示している。
■炎天下の労働、時給は125円
各紙はカタールにおける移民労働者の悲惨な実態を報じている。英サン紙は、ドーハ近郊の計画都市・ルサイルの例を紹介している。
三日月型の人工島が浮かぶこの地区には、カタール大会に向けて新設された7のスタジアムのひとつであり決勝の舞台ともなる「ルサイル・アイコニック・スタジアム」が構える。カタールの未来像を示す象徴的な都市だ。
サン紙は「この都市は驚くべき複合体であると同時に、低賃金の移民労働者たちの犠牲のもとに建設されたのではないかと懸念されている」と述べている。命の危険を生じるほどの蒸し暑い現場で働かされながら、時給は1ポンド(約170円)にも満たないという。インド、パキスタン、ネパール、フィリピンなどからかき集められた労働者たちが「ある種の『強制労働』」の状況に置かれているとの指摘だ。
英メトロ紙も時給の低さが問題化していると指摘し、「うだるような40度の暑さのなか、『75ペンス(約125円)の賃金』」で移民労働者が働かされていると報じている。
■出稼ぎに来たが、借金を抱えて帰国する人も…
カタールまで出稼ぎに来て過酷な労働に従事したうえ、借金を抱えて帰国する例もあるようだ。ガーディアン紙は、人材紹介業者に莫大(ばくだい)な仲介料を支払い、やっとの思いでカタールの現場で職を得たという労働者らの話を取り上げている。
彼らは2年契約だと信じて紹介料を支払ったものの、施主がW杯を前に工期を急ぐあまり、現場での仕事が前倒しで完了してしまった。見込んでいた給料の支払いは打ち切られ、職を失い、負債を抱え込むおそれに直面しているという。
警備員として働く別の労働者は同紙に、数カ月も12時間シフトで働かされており、1日でも休むと減給処分が下されると訴えた。転職を試みようにも、現在の雇用主が認めないため不可能なのだ、とこのスタッフは嘆いている。
■死因は「自然死」で片付けられた
ガーディアン紙はW杯の開催決定以降、南アジア5カ国からの移民労働者だけで、平均して毎週12人が命を落としている計算だと指摘する。宿舎さえ劣悪な環境となっており、労働中以外の死亡事例も相次ぐ。
バングラデシュから出稼ぎに来ていた29歳の男性作業員は、作業員宿舎で休息を取っていたところ、自室に洪水の出水が流入した。泥水は露出した電線へとみるまに達し、男性は感電死している。
インドから来た43歳労働者も、寮の自室で死体で発見された人物のひとりだ。渡航前は健康そのものだった彼だが、カタールでの死因は「自然死」で片付けられた。ガーディアン紙は、インドからの労働者の80%近くの死因が自然死とされている現状に疑問を呈し、酷暑下での労働が原因となっている可能性を示唆している。
さらに同紙は、ドーハのサッカー専用競技場「エデュケーション・シティ・スタジアム」で働いていた24歳のネパール人青年の例を取り上げている。足場工として働いていた彼は2019年、スタジアム付近の粗末な労働者キャンプで休んでいたところ、息苦しさに目覚めた。友人らが救助を呼んだが間に合わず、そのまま息を引き取ったという。
■熱中症の重症者は500人以上
BBCは、カタールにおける外国人労働者の死亡例が、2021年だけでも50件発生していると報じている。重症者は500人以上、軽症と中等症は計3万7600人に上るという。
メトロ紙は人権団体の報告書をもとに、死亡した移民労働者の例を多く挙げている。バングラデシュからはるばる渡航した32歳男性は、気温40度のもとで配管工として4日間働いたあと、ベッドの上で息を引き取った。
同じネパール出身の34歳男性は、39度の酷暑のなか10時間建設業務に携わった。やっと睡眠に入ったあと、二度と目覚めることはなかったという。
空港警備員として働いたネパールの34歳男性は、直射日光下での長時間労働を強いられ、就業中に帰らぬ人となった。いずれも死因は「急性心不全による自然死」とされている。
■常態化する移民への不当な処遇
もっとも、報じられているような1万5000人ないしは6500人のすべてがW杯会場の建設現場で死亡したわけではない。
ドイチェ・ヴェレは、どちらの数字も政府統計に基づく正確な数字ではあるが、ホスト国に選定された2010年からの10年間で死亡した外国人の数を指していると解説している。建設業以外の従事者も含まれる形だ。
だが、だからといって看過できる数字かというと、決してそうではないようだ。BBCによるとカタールの人口構成は、男性が75%、女性が25%という異様な様態となっている。この歪みは、男性が多くを占める大量の移民労働者によってもたらされた。人口のうち純粋なカタール国民が占める割合は15%にすぎず、残りの85%は移民労働者によって構成されている。
人口の多くを占めるこうした移民労働者の多くが、虐待とさえいわれる劣悪な労働環境に置かれ、続々と命を落としている。ドイチェ・ヴェレはまた、移民労働者は各種疾病の健康チェックを通過して渡航してきていることから、急激に体調に異変を来すのは不可解だと指摘している。明らかに厳しい労働環境が人命を奪っているとみられる。
■公式発表は死者37人だが…
カタール大会ではスタジアム7つを新設し、既存の1つを改修した。この事業に関して公式発表では、死者は3人に留まっている。ここには数字のまやかしが潜む。
スタジアムの建設に直接関連した死者は公式データでは37人だが、大会組織委員会はうち34人を「非業務関連」の死因と位置づけた。
これに対しガーディアン紙は、実態と乖離(かいり)があるのではないかと疑問を投げかける。明らかにスタジアムの建設現場で倒れ死亡した労働者も「非業務関連」に含まれており、専門家らも用語の妥当性に疑問を示しているという。
BBCも同様に、国連の労働専門機関による見解をもとに、「高温下での労働によって心不全や呼吸不全がもたらされることが多いにもかかわらず、こうした死因をカタールは業務関連に算入していない」と指摘する。
病理学の権威であり世界保健機関(WHO)のワーキンググループにも参加しているデイヴィッド・ベイリー博士は、アムネスティに対し、死因を心不全としているのは原因の究明ができていない証拠だと指摘している。
「最終的には誰もが呼吸不全または心不全で死ぬことになりますから、その原因を説明しない限り、こうした用語は意味をなしません」とベイリー博士は述べる。ドイチェ・ヴェレもこの見解を支持しており、公式発表の死者3人は「誤解を招く」表現だと指摘している。
一方、ガーディアン紙によるとカタール政府の報道官は、「これらのコミュニティにおける死亡率は、人口規模と人口構成を考慮するに、予期される範囲内に収まっています」と述べている。カタール政府としてはあくまで、異常事態の発生を認めない構えのようだ。
■移民を人柱にしたW杯に正義はあるのか
報道されている6500人ないし1万5000人がすべてW杯プロジェクトに直接携わっていたわけではないにせよ、いずれにせよ同国における移民の厳しい労働環境を示している。
W杯のホスト国に選定されたのをきっかけに、カタールにおけるホテルや空港などの建設プロジェクトは急増し、かつ厳しい工期を迫られた。間接的にであれ、大会が労働環境の悪化に影響した面は否定できないだろう。
カタール大会をめぐってはこうした労働問題のほか、独自の文化も議論の対象となっている。世界的にLGBTQの権利向上が進むなか、同性愛は違法とされ、最大で石打ちによる死刑に処される。
飲料販売をめぐる混乱も取り沙汰された。アルコールがホテル以外では禁忌とされる同地において、W杯会場では例外的にビールが販売される予定だったが、開幕2日前に覆されている。
治安も懸念事項のひとつだ。開幕初日、アルゼンチンのTV局がファンゾーンから中継していたところ、生放送中に強盗の被害に遭う珍事が発生した。
英ミラー紙によると、リポーターは犯人にどのような処罰を望むかと現地警察から希望を聞かれ、この点でもカルチャーショックを受けたという。
世界的な競技大会の観戦においては、スポーツ自体の魅力と並び、ホスト国が誇る異文化への理解も楽しみのひとつだ。だが、会場建設やインフラ整備のために他国民の人命を軽視する文化があるとすれば、異国情緒として受け入れることは到底不可能だ。
果たしてホスト国にふさわしい品格を備えていたか、カタール大会の舞台裏に厳しい評価が向けられている。
----------
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
----------
(出典 news.nicovideo.jp)
【【国際】6500人の移民労働者が死亡した…W杯カタール大会が「史上最も死者を出した大会」と呼ばれている理由】の続きを読む