令和の社会・ニュース通信所

社会の出来事やニュースなどをブログに書いて発信していきます。あと、海外のニュースなども書いていきます。

    2021年05月



    (出典 amd-pctr.c.yimg.jp)


    オリンピックは中止ないような気がします。

    1 Egg ★ :2021/05/29(土) 09:53:19.16

    国民の怒りがピークに達している。現在、東京や大阪など9都道府県に緊急事態宣言が出ているが、政府は来月20日まで延長する方針。28日夕方にも正式決定する見込みだが、怒りの矛先は東京五輪に向けられている。

     五輪に関しては、すでに世界中から開催を疑問視する声が飛ぶ。複数の世論調査では国民の約6割が「中止」を求めており、医学界で最も権威ある専門誌の米「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」は東京大会の新型コロナウイルス対策に欠陥を指摘する論文を掲載。それでも国際オリンピック委員会(IOC)、大会組織委、政府らは〝強行開催〟の姿勢を崩さない。

    27日にはIOCのトーマス・バッハ会長(67)が世界のアスリートを対象にしたIOCアスリート委員会主催フォーラムで「自信を持って東京に来てほしい」と相変わらずブレない姿勢だ。

     その一方で、政府は依然として国民には自粛要請。飲食店や映画館は通常営業ができず、小中学校や公立高校では運動会、修学旅行などが中止となっている。前述の〝バッハ発言〟により、SNSでは「学校行事は中止でなぜオリンピックは開催?」「五輪は4年に1回、修学旅行は一生に1回」「アスリートの夢より子供たちの夢を優先させて」との声が噴出。残り2か月を切った開幕に近づくほどに反五輪ムードが加速している。

     日本国民の怒りの声は〝ぼったくり男爵〟に届いているのだろうか。

    東京スポーツ
    https://news.yahoo.co.jp/articles/680ceaa5061af30a375ad72813c7d005a5063550

    写真

    (出典 amd-pctr.c.yimg.jp)


    1 Egg ★ 2021/05/29(土) 08:45:30.30
    https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1622245530/


    【【東京五輪】<国民の怒りがピーク!>「学校行事は中止でなぜオリンピックは開催?」「五輪は4年に1回、修学旅行は一生に1回」】の続きを読む


    仕事するのが大変かもしれません。

    “出る”職場

    新型コロナウイルスの影響でテレワークが増えているとはいえ、まだまだ出勤している人も多い。たくさんの人が行き交う職場だが、中には”この世のものではないもの”が現れることもある。

    今回はキャリコネニュース読者から寄せられた、職場の不思議な出来事を紹介する。(文:コティマム)

    「会議中、急に更衣室のカーテンが閉まり、ロッカー上のホコリが舞ったり……」

    岐阜県50代男性(管理・事務/契約社員)の職場には、女性の幽霊が出るという。

    「勤務先の仮眠室では、女性の幽霊が出没する。過去に粗末な小屋で苦労して働かされた人らしい。職場の建物も竣工したのが昭和で、当時はサラ金取り立て問題やその後のバブル経済へと世の中は移行した。苦労しつつ労務にあたった数多くの若き女性の中には、自ずから命を絶った人もいると聞いている」

    仮眠室に現れる女性にどういった背景があるのかはわからないが、男性の職場が建設されるはるか昔に、その場所でさまざまな悲しい事件などがあったのかもしれない。

    東京都20代女性(サービス業/正社員)は、会議中に起きた不思議な出来事を明かす。

    「会議をしている最中、急に更衣室のカーテンが閉まり、ロッカー上のホコリが舞ったり。人の影が入口で横切るのを見かけることもあったし、声も聞こえた」

    更衣室に人がいるはずのない会議の時間帯に起きた不思議な出来事。まるで誰かが更衣室を利用しているかのようだ。正体のわからない気配に、女性をはじめその場にいた人達は驚いたことだろう。

    幽霊が見える人が「この会社にはいる」盛り塩とお水も

    群馬県の50代女性は、20代の頃に働いていた会社での不思議な体験を振り返る。

    20代の頃、1人で残業をしていた時のこと。誰もいないのに、奥の倉庫でガシャーン!とドラム缶がひっくり返る音がした。幽霊が見える人が『この会社にはいるよ』と言っていた。2階には盛り塩とお水が置いてありました」

    人がいるはずのない倉庫からの物音。霊感のある人から指摘されただけでなく、実際に盛り塩とお水が置いてあるあたり、職場としても何か思い当たることがあるのだろう。

    それにしても、1人きりで職場に残っている時に物音がしたら、恐怖で体がすくんでしまう。女性も相当恐ろしかったに違いない。

    さまざまな歴史を刻み、多くの人が行き交う職場。言葉では説明できない出来事が起こっても不思議ではないのかもしれない。

    ※キャリコネニュースでは引き続き職場で起こった不思議な事件のほか部屋が汚い人、捨てられない人東京五輪、開催するべき? 中止するべき?などのアンケートを募集しています。

    "出る"職場で働く人「仮眠室に女性の幽霊」「人の影が横切る」


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【"出る"職場で働く人「仮眠室に女性の幽霊」「人の影が横切る」】の続きを読む



    (出典 radiolife.com)


    日本政府に言うべきです。

    1 孤高の旅人 ★ :2021/05/29(土) 07:40:12.53

    在日米軍、受信料不払い NHK、基地に入れず
    2021/3/19 15:29 (JST)
    https://this.kiji.is/745476590324547584?c=39546741839462401

     19日の衆院外務委員会で、在日米軍や隊員が長年にわたり、NHKの受信料を支払っていないことが取り上げられた。出席したNHKの理事は「米軍が基地内へのNHKの立ち入りを認めていないため、居住する米軍関係者からは受信料をいただいていない」と述べた。1978年から協力を求めているとした。

     NHK理事は在日米軍や外務省、総務省などとの会合開催を申し込んでいるが、米軍から回答がないとした。

     質問した立憲民主党の渡辺周氏は、在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)が年間約2千億円と高額に上るとして「思いやり予算に納税者の理解が得られなくなる」と政府に求めた。

    関連スレ
    日本郵便「宛名」がなくとも配達へ NHK受信料徴収などを想定 料金は通常料金に200円を上乗せ [孤高の旅人★]
    2021/05/29(土) 06:12:49.77
    https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1622236369/


    【【NHK受信料不払い問題】在日米軍、受信料不払い NHK、基地に入れず 3月19日の記事】の続きを読む


    頭の回転が早い人なのかな?

    KGBの役人だったウラジーミル・プーチンは、なぜロシアの大統領になれたのか。作家の佐藤優さんは「プーチンはどれだけ誘いを受けても、恩人を決して裏切らなかった。それがエリツィン大統領に高く評価された」という――。(第1回/全2回)

    ※本稿は、佐藤優悪の処世術』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。

    ■プーチンの「人情家」という意外な一面

    鉄仮面プーチンだが、しかし、その仮面の内側には「人情家」という意外な一面を抱え持っている。

    そして、その意外性こそが彼が権力の階段を駆け上る切符となった。そもそも、彼はなぜ、ロシア連邦初代大統領エリツィンから絶大な信頼を得るまでになったのか。

    私が、ロシアのある大富豪から「エリツィンは後継者をFSB長官のプーチンにするつもりらしい」と聞いたのは、1999年春だった。

    当時のロシアでは、8人のオリガルヒヤ(寡占資本家)がGDPの3割を持っているといわれていた。クレムリンも彼らの意見を無視はできないのだ。

    この大富豪は私を日本政府の窓口にしていたので、私は彼の事務所に足を運ぶことがよくあった。日本の政治情勢などについて一通り話したあと、彼にエリツィンの後継者について尋ねてみたところ、大富豪から出てきた名前が意外なことにKGB出身のプーチンであった。

    プーチンエリツィンに何度も、ソプチャーク(元サンクトペテルブルク市長)との関係を断てば登用すると打診されていたが、それを断っているんだ。そのことで、かえってエリツィンは彼を信用するようになった」

    ソプチャークという人物が何者かを知るためには、若かりし頃のプーチンについて触れておかなければならない。

    ■身を挺してかばってくれたソプチャークに忠誠を誓う

    KGB第1総局所属時、旧東ドイツドレスデンで働いていたプーチンは、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一するや、社会主義体制に未来がないことを見抜いてKGBの予備役となる。

    1990年に故郷のレニングラード(現サンクトペテルブルク)へ戻り、母校のレニングラード国立大学の学長補佐の職を得た。当時の学長が、改革派知識人のソプチャークだった。そこでプーチンは腹を据えてKGBを退職する。

    1991年6月にソプチャークがレニングラード市長選挙で当選を果たすと、プーチンも市役所に移り副市長となってソプチャークを支えたが、当時、プーチンの不適切な財産管理によって市の財政に巨額の損失がもたらされたという批判が議会で巻き起こる。

    プーチンに訴追の危険が迫ったが、この時に身を挺してプーチンをかばい、事件化されることを防いだのが市長のソプチャークだった。以来、プーチンはソプチャークに忠誠を誓う。1996年サンクトペテルブルク市長選挙でソプチャークは再選を目指すも落選する。

    ソプチャークを破って当選を果たしたヤコブレフは、副市長のひとりとしてソプチャークを支えてきたプーチンの同僚だった。

    引き続き副市長としてともに働いてほしいと慰留されたが、プーチンはソプチャークを破った人間の下では働きたくないと拒否し、モスクワへ転居する。大統領総務局で働くようになり、エリツィンと面識を得るようになった。

    ■プーチンの固い忠誠心を信頼したエリツィン

    ソプチャークはゴルバチョフに近い人脈に属する人であり、エリツィンとは緊張関係にあった。黙々と忠実に仕事をこなすプーチンを好ましく思ったエリツィンは、たびたびプーチンに声をかける。

    「ソプチャークと絶交するならば、大統領府高官か閣僚に登用してやる」

    プーチンはそのたびに断った。

    「ソプチャークは私の恩人で友達です。友達との関係を断つことはできません」

    決して「友達」を裏切らないプーチンという男は、エリツィンの目に好ましく映ったに違いない。特権乱用や不正蓄財の疑惑のあったエリツィン一族。政争の過程で流された血も少なくない。

    それらの追及を最も恐れていたエリツィンにとって、決して裏切らない忠誠心こそ、後継者に求める資質であった。大富豪は私に言った。

    「いまやまったく力がなくなったソプチャークにあれだけ義理立てするプーチンの姿に、エリツィンと彼の家族は『こいつを後継に据えれば、われわれを裏切ることは絶対にない』という感触を持つに至ったんだ」

    鉄仮面の下に、そんな人情家としての一面があったことによって、プーチンロシアトップに君臨したのである。

    ■プーチンの対日戦略を決定づけた鈴木宗男

    プーチンが人情家であると書いたが、だからといって彼が情緒によって動く人間であると考えるのは早計である。

    プーチンは柔道を愛好しているし、佐竹敬久・秋田県知事から贈られた秋田犬の「ゆめ」をかわいがっているからといって、親日家だと思うのは間違いである。プーチンの関心事項はロシアの国益だけである。

    日本がロシアにとって役に立つならば利用するし、日本の政策がロシアの国益を損なうと思えば日本を潰しにかかるだろう。逆に言えば、日本との戦略的提携が国益にかなうと思えば、北方領土についても譲歩する用意があるということだ。

    さらに、日本との戦略的提携の可能性をプーチンが決して手放さないのは、彼が最初に出会った日本の政治家が鈴木宗男だったということとも関係していると思う。

    KGBで訓練を受けてきたプーチンは感情を表に出すことはほとんどない。しかし、この人は、という相手には、ふとした瞬間にその感情をあらわにする。

    2000年の年明け、前年の大晦日に辞任したエリツィンにより大統領代行に指名されたプーチンが、次期大統領としてほぼ間違いないと目されていた。この状況を受けて、日本政府は水面下で「小渕恵三総理の特使として『意中の人』をモスクワに送り、プーチンと接触したい」というメッセージをクレムリンに送っていた。

    プーチンに「対露関係を日本は重要視している」というメッセージを伝えるとともに、次期大統領の人相見をその特使にさせようとしたのである。この時、総理官邸・外務省とクレムリンの連絡係を務めていたのが私だった。

    小渕は特使となる「意中の人物」が誰なのか最初は黙して語らなかったが、それが鈴木宗男であることは明らかだった。

    ■「森・プーチン会談の日程をぜひ取り付けてほしい」

    3月26日大統領選挙を直前に控えた2月、クレムリンから裏ルートを通じて、私のところに「選挙前に会うことは不可能だが、第1回投票でプーチンが当選したならば、5月に正式に大統領に就任する前に特使との会談を実現できるかもしれない」というメッセージが届いた。

    小渕は鈴木宗男を特使に指名し親書を持たせた。この親書には、ゴールデンウィークに首相が訪露してプーチン会いたいという旨が書かれていた。しかし、それから間もなく異変が起きる。

    ご存じのとおり、4月2日に小渕首相が倒れ再起不能になったのだ。丹波實駐ロシア大使をはじめとする外務官僚は、首相訪露の提案は白紙に戻すことを主張した。

    しかし鈴木は、森喜朗幹事長が小渕総理の後継に内定しているのだから、森訪露の日程を組めばよいと考えた。これに対し、「森さんが国会で正式に総理に就任してからでなければ外交日程は組めない」と丹波大使は反対した。

    私が「これは政治判断の話だから、外務省の事務方がとやかく言うべきことじゃない」と言うと、丹波大使にじろりと冷たい目を向けられた。大使公邸でこうしたやりとりをしていると、公邸の台所に鈴木あてに電話がかかってきた。

    つなぐと、相手は森幹事長だった。「森・プーチン会談の日程をぜひ取り付けてほしい」という。それを聞いた丹波大使は「私も実はそれがいいと心の中で思っていました」とコロリと意見を変えた。「官僚は要領をもってその本分とすべし」という彼のモットーがよく現れていた。

    ■姑息な外務官僚のいやがらせ

    クレムリンの大統領執務室に鈴木宗男が案内された時、私も末席に連なった。

    白い大きな楕円形のテーブル中央に、鈴木が座った。1年半前の1998年11月12日に小渕総理が座った席である。私は左奥の最末席に腰掛けた。

    鈴木は次期総理が幹事長の森喜朗であることを伝えると同時に、森の父親が日露友好に貢献した人物で、その遺骨がイルクーツク郊外のシェレホフ市にも分骨されていることを明かした。

    その上で、4月29日前後にサンクトペテルブルク非公式首脳会談を行うことを提案した。プーチンは手帳を取り出して確認すると「その日には別の予定を入れてしまったが、調整して会談する」と答えた。

    私は「変だな」と思った。4月29日前後には、サンクトペテルブルクで小渕・プーチン会談を行うことについて、裏ルートではすでに日程を確保していたはずだからだ。なぜ別の予定が入っているのか。

    ふと見ると、丹波大使が苦虫を噛み潰したような顔をしている。ようやく状況が読めた。丹波は小渕が再起不能であるという情報を得ると、首相官邸や自民党本部の了承を得ずに「4月29日の小渕・プーチン会談はなくなった」とロシア外務省に伝えてしまっていたのだ。

    このフライングが露見することを恐れ、鈴木が森・プーチン会談として仕切り直すことを邪魔しようとしたのだ。姑息な外務官僚がやりそうなことである。

    ■「この席に小渕さんが座っているように思う」

    プーチンとの会談の席で、鈴木は小渕総理の魂が乗り移ったかのように日露外交のために言葉を尽くしていた。

    「この席に小渕さんが座っているように思う」とプーチンが言ったとたん、鈴木の目から涙があふれた。プーチンはしばらくそんな鈴木の様子を見つめていたが、やがてプーチンの瞳からも涙がこぼれ落ちたのである。

    この席で、森・プーチン会談の日程が決まったことが、その後の北方領土交渉を肯定的に切り開いていくことにつながった。これが政治の力である。

    会談が終了し、退室しようとする鈴木にプーチンが声をかけた。「できればのお願いなのだが」と前置きし、ロシア正教会アレクシイⅡ世総主教(最高指導者)訪日の際に天皇陛下に謁見できるように働きかけをしてもらえないか、と言う。「もしも迷惑にならなければ」とプーチンは付け加えた。

    鈴木は「全力を尽くす」と約束し、実際にその謁見を実現させた。プーチンは信頼する相手にしか「お願い」はしない。しかも、無理難題を押し通すのではなく、あくまでも「迷惑にならなければ」という態度で依頼する。

    具体的な人間関係を通じて相手の民族や国家を見極め、時に鉄仮面の下に感情をさらけ出し、人の心にぐっと入り込んでくる。独裁者の多くは、人の心を掴む術に長けている。一方で、自身の地位を盤石なものとするために、敵と見定めた相手には容赦しないのである。

    ----------

    佐藤 優さとう・まさる)
    作家・元外務省主任分析官
    1960年東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大矢壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。

    ----------

    2021年5月20日、ポベダ(勝利)組織委員会の会議をビデオ会議で行うウラジーミル・プーチン大統領(ロシア・モスクワ郊外ノボオガリョボの公邸にて)。 - 写真=SPUTNIK/時事通信フォト


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【「恩人を裏切るなら出世させる」そんな誘いに若きプーチンはどう応じたか】の続きを読む



    (出典 upload.wikimedia.org)


    教育だと思います

    1 Egg ★ :2021/05/28(金) 19:07:24.27

    先進国という言葉には複数の定義や基準があり、どの国を先進国に含めるかは定義によって微妙に変わってくるところだが、日本はいずれの定義で見ても先進国に含まれる。

    しかも、日本は戦後のかなり早い時期に先進国の仲間入りを果たしている。

    中国メディアの快資訊はこのほど、なぜ日本は戦後の廃墟からあっという間に先進国となれたのかと問いかけ、その理由について分析する記事を掲載した。

     記事ではいくつかの要因を挙げているが、その1つは「戦時中に奪った富」を元手にしたことだと主張した。

    日本は敗戦で経済的な打撃を受けたとはいえ、「戦時中に奪略した富と比べればわずかな損失だった」と主張している。この論調は極めて的外れだが、中国では「一般的」に聞かれる主張だ。

     このほか、戦前からすでに「工業の基礎が確立していたこと」も大きな要因だという。欧米と比べると不足があったものの、戦前にはすでに一定のレベルに達しており、これが戦後の復興の基礎となったと論じた。

    さらに、「学校教育の普及」も関係していると説明した。戦前にはすでにかなり高い就学率を実現しており、戦後は9年間の義務教育となったので、より質の高い労働力が生まれたという。

     このほか、「米国の援助」も大きな助けになったと指摘した。米国には戦略的な目的があったので、日本に資金を提供し技術を移転するなど多くの援助を行っており、米国が関わった戦争で日本が米国の後方支援をすることで、日本経済の成長に寄与したと論じている。同時に、日本企業は得た利益をさらなる研究開発につぎ込んだので持続的な発展が可能になったと分析した。

     実際のところ、戦後の復興には多くの要因が関係していると思われるが、記事では肝心の「日本人の勤勉さと努力」には触れていないのは残念なことだ。

    2021年5月28日 15時12分
    https://news.livedoor.com/lite/article_detail/20271824/


    【【中国人が考える】<日本が戦後あっという間に先進国になれた理由>肝心の「日本人の勤勉さと努力」には触れていないのは残念...】の続きを読む

    このページのトップヘ