■「私なら無差別殺人犯の言葉を引き出せるんじゃないか」
(前編から続く)
——なぜ無差別殺人犯の内面に関心を抱くようになったのですか。
2008年に茨城県土浦市で、9人を無差別に殺傷した事件がありましたよね。犯人の金川真大は交番に自首し、「死刑になりたかった」と犯行の動機を語りました。
数年後に読売新聞が取材した『死刑のための殺人土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録』(新潮文庫)が出ました。それを読めば、金川は死刑になりたくて無差別殺人を犯したとは理解できる。ただどうしても分からないことがありました。それが、彼がなぜ、そんな心境にいたったのか――。たぶん私だけではなく、みんな同じだったんじゃないでしょうか。それなのに、事件の真相は一切解明されないまま裁判が終わり、異例の早さで死刑が執行された。
彼が何を考えていたのか。いまとなっては知るよしはないのですが、「土浦連続通魔事件」に関する本を読んで、金川が記者たちとたくさんの会話をしていたことに驚きました。彼が語っていた意味不明な発言の数々も、一生懸命に聞き役に徹して理解しようとしたら答えが見えたのではないかと感じました。簡単なことではないと分かっているのですが、私がこれまでやってきたコミュニケーションなら、もしかして彼に罪を犯すにいたった心境を語らせることはできたのではないかと。
それから数年経ち、同じように理解不能な犯行動機を持つ小島一朗が東海道新幹線内で3人を殺傷する事件を起こした。それで小島と手紙をやり取りして接見を行うようになりました。実際、小島へのインタビューは、とんでもなく難しく、時間もかかり、私も疲弊してしまったのですが……。
■ひたすら相手の言葉を肯定的に受け止める
——インベさんのインタビュアーとしてのスタンスや手法を教えてください。
私は写真家になってからの20年間で300人以上の一般人女性に話を聞き、撮影してきました。被写体となった女性たちは、日常生活で表現しきれていないものを抱えていました。それは同時に、見えていない自分を写真を通して可視化したいということでもあります。作品になるということは、第三者の視点で自分を眺めることですから。私は、「話したいことがある」ことと自己表現欲求は重なると考えているんです。
だから私の被写体になってくれた女性は、言葉が少なくても、話すつもりがなくても、必ず何らかの思いや感情、体験を、自分なりの言葉で語ってくれる。インタビューを終えたあと、こういう話をしたのははじめてだったと口にする女性も少なくありません。
私のインタビュアーとしてのスタンスは、相手の言葉を否定せずに「あぁそういうことなんだ」とひたすらに受け止めるだけ。経験上、あらゆる角度から質問を繰り返していくと、話題があちこち飛びながらも、ふいに全部の話がつながる瞬間があるんです。
■「ふつうの青年」が無差別殺人を起こすようになってきた
相手を知りたいと思ったとき、否定的な言葉を挟むと相手は心を閉ざしてしまうんですよね。まして殺人犯の場合、自らの意思で悪人に徹しているわけですから、正論を述べたところで響かない。反省を促そうとすると、相手はますます頑なになって露悪的に振る舞ったりしますから。ただただ話を聞きます、という態度で向き合わないといけないのではないかと私は思いました。
——『家族不適応殺』で、池田小児童殺傷事件(2001年)の宅間守に代表されるように、かつての無差別殺人犯は性格の異常性や攻撃性などを持ち、度重なる前科前歴があるケースが多かったと指摘しています。一方、金川真大や小島一朗らは前科前歴もなく友人もいる「ふつうの青年」だったと書いている。社会の変化によって、殺人の動機が変わってきているということでしょうか。
正直、そこは分かりません。ただ社会の変化という点で言えば、この20年ずっと女性へのインタビューを繰り返してきた私の実感として、社会がフラットに病んできているとは感じますが……。
■この10年で社会全体が病んでしまった
——フラットに病んでいる?
私が撮影をはじめた2000年代はとくに生死の綱渡りをしているような女性と数多く会いました。向精神薬の過剰摂取で病院に運ばれたり、リストカットのあとで腕が傷だらけだったりした。
ただ10年ほど前からそうした激しい自傷行為を繰り返すタイプが減った代わりに、病的かどうかの境があいまいになった人が増えた。一見すると、社交的で仕事もできて、趣味もあり、友だちもたくさんいるのに、うつ病や発達障害の診断を受け、薬を飲みながら働いている。ある女性は、薬を飲んではじめて「いい人だね」と職場の人たちから受け入れられた気がしたそうです。
彼女たちは、自分が社会に適応できていないと自覚している。だからといって、職場が求める人格になるために薬を飲むって正しいことなのかと違和感を覚えました。彼女たちを見ていると、社会の仕組みに合わせられずに不適応を起こしているけれど、おかしいのは社会システムの方だという気もしてくる。
私の周りにも発達障害の診断を受ける知人はたくさんいます。「こんなに多いのならマジョリティじゃん」と思うほど、この10年で異端を許さない風潮が加速してしまったのかな、と。
■関係性は壊れているのに、家族という形に執着していた
——何があれば「東海道新幹線無差別殺傷事件」を防げたと思いますか。
ひとつの解決策は出せないと考えています。家庭は機能不全を起こしていましたけど、人間って誰しもロクでもない側面を持っているじゃないですか。小島の家族を見ても、特別な人とは思えない。小島の発達障害に端を発する家族間のコミュニケーション不全もあったでしょう。とはいえそれは珍しいことではありません。
ただ事件の周辺を歩いてみると、犯罪抑止のヒントは散らばっていました。
たとえば、小島自身は成人しているわけだから、家を出て好きに生きればいいのに家族に引き留められる。私の目には、家族関係を維持させようとしているように見えました。
——確かに、小島の家族について知ると「家庭崩壊」ともまた違う気がします。
ただ家族としての関係性は壊れている。にもかかわらず家族という形は保っているんですよ。核家族で育った私には、小島のような地方の濃厚な家族関係は実感できないのですが……。家族がいるのに愛情を実感できない。だからこそ刑務所に家庭を求めたのかなという気はします。
小島一朗は、理解しがたい犯罪者ではあります。でも、どんな家庭にも歪みはあります。小島の場合は、そのズレや歪みが一点集中して一人にのしかかっていた。そこをひとつひとつ見ていくことが、事件の背景を理解するヒントだった気がしますね。
----------
1980年、東京都生まれ。短大卒業後、独学で写真を始める。編集プロダクション、映像制作会社勤務等を経て2006年よりフリーとして活動。13年に出版の写真集『やっぱ月帰るわ、私。』で第39回木村伊兵衛写真賞最終候補に。18年第43回伊奈信男賞を受賞、19年日本写真協会新人賞受賞。ライターとしても活動しており、新幹線無差別殺傷犯の小島一朗の動機に関心を抱き、被写体に迫る手法をもって取材を開始し、約3年をかけて『家族不適応殺』を上梓した。
----------
(出典 news.nicovideo.jp)
コメント
コメントする