(舛添 要一:国際政治学者)
政府は、5月14日、専門家会議の諮問を経て、13の特定警戒都道府県のうち、茨城、石川、岐阜、愛知、福岡の5県と特定警戒以外の34県、計39県の緊急事態宣言を解除した。
さらに、専門家会議は、感染状況に応じて、全国を①特定警戒、②感染拡大注意、③感染観察の3区分に分けることを決めた。①では、「接触減8割」を遵守するなどの行動制限を徹底し、感染拡大を阻止する。②は、新たな感染者数が①の半分程度の地域で、「新たな生活様式」やイベントの制限などを徹底して、感染拡大を防止する。③は、②の水準以下の地域で、感染防止策を講じた上で、日常生活を取り戻す。
この点に関連して驚くのは、専門家会議がまだ「接触8割減」などというスローガンに固執していることである。西浦教授の数理モデルは数ある理論の一つに過ぎないのであって、「感染者85万人、死者42万人」という数字なども含めて、真に科学的でもなければ現実的でもない。
私の知っているかぎり、「接触8割減」などという政策を掲げている国はない。“social distance”の励行という政策が普通であり、他人との間隔をしっかりと守っている国ほど、ウイルスの抑え込みに成功している。
もう西浦理論は忘れて、より現実的な政策に変えるべきである。専門家会議は言わずもがな、それを鵜呑みにする安倍政権の責任は重い。感染防止と経済とのバランスが全くとれていないのである。
宣言解除の基準、日本はドイツの100倍も厳しい
安倍首相は、さらに21日に再度専門家に諮って、未解除の地域についての解除について検討するとしている。
解除を決めるに当たって、政府や専門家会議が使った基準は、①新規感染者の数、②医療提供体制、③監視体制の三点である。
第一点については、「直近1週間の感染者数が人口10万人当たり0.5人未満」というものである。それに従えば、東京は70人未満、大阪は44人未満という数字になる。
5月6日に封鎖解除をしたドイツでは同じ基準で「50人以上」になるとブレーキをかける、つまり規制強化に逆戻りさせることを決めている。実際に、3日後の調査では、その基準を超えてしまった郡(赤信号)が3つ、微妙な郡(黄信号)が9つもあった。
ドイツと日本を比較してみよう。感染者は17万人対1万7000人で10倍、死者は7700人対700人で11倍であるが、基準数字は50人対0.5人で100倍である。ブレーキをかける数字としては日本政府は「5人」を挙げているが、こちらを使っても10倍である。
数字合わせをすれば、感染者数に比例させたということなのかもしれないが、あまり説得的な議論ではなかろう。東京都の感染者数が毎日10人以下、一週間で70人以下ならば、世論も納得するという視点から逆算して、この0.5という数字を出したのではなかろうかと推測したくもなる。
緊急事態宣言を出すべき時期は3月半ばだった
諸外国は、実効再生産数を指標として使う。一般的には、0.7以下になると解除に踏み切っている。ドイツでは、この数字は、世界的に権威のあるロベルト・コッホ研究所が毎日発表している。たとえば、5月6日に解除を決めたときには0.65だったが、解除後の5月10日には1.13に増えており、政府は、ドイツ人の気の緩みを警告している。
日本については、5月1日に専門家会議は、3月以降については3月25日にピークの2.0に達しており、それ以降は減少していると発表している。4月1日には1.0を切り、4月10日には、全国で0.7、東京では0.5となっている。因みに、東京が最高値の2.6に達したのは3月14日である。その後も公表されている4月23日までの数字を見ると、横ばいである。
ドイツは毎日、この数字を出しているのに、なぜ日本は出さないのか。また、マスコミは専門家会議にそれを要求しないのか。テレビのワイドショーもコメンテーターに芸能人らの素人を並べるだけで、感染症の専門家たちも専門家会議に遠慮してか、その指摘をしない。この情報隠蔽体質こそが、コロナ対策を不適切なものにしてきているのである。
実効再生産数に基づけば、緊急事態宣言を出すべきは3月半ばであって、実際に宣言を発出したときには、解除すべきタイミングだったことになる。そういう議論が起こるのを避けるために、意図的に数字を出さなかったのではないかと勘ぐりたくもなるのである。
もう一つ有効な基準として、超過死亡がある。これは、過去のデータから予想される死者数を、インフルエンザなどの流行で実際の死者数が超過する現象をいう。WHOが導入し指標であるが、東京では閾値を超えた超過死亡は3月にはあるが、4月以降はなくなっている。このデータから見ても、緊急事態宣言を発するべきだったのは、3月であって、4月7日ではないことになる。
要するに、緊急事態宣言を発令するときの科学的基準はなかったのであり、解除の時ときも万人を納得させるような明快な基準は提示できないままということである。
東京では感染者の14%が医療関係者
第二点については、東京では医療提供体制がかなり逼迫しているが、その他の地域では、重症者用の病床が確保されている。注意すべきは院内感染であり、これこそが医療崩壊につながるのである。東京では、感染者の実に14%が医療関係者なのである。病床不足よりも、医師や看護師が感染によって仕事ができなくなるほうが遙かに深刻である。
東京で多数の院内感染が報告されている上野の永寿総合病院、中野江古田病院、都立墨東病院などは地域の中核病院であり、外来中止などですでに大きな影響が出ている。
院内感染防止対策を実施することが重要であるが、14日には愛媛県松山市の病院で17人の感染が判明する院内感染が起こっている。そのため、愛媛県については、感染経路の調査を条件に緊急事態宣言を解除することにしている。
院内感染の大きな原因は、防護服やマスクの不足である。まだアベノマスクも届いていない地域が多い中で、今や粗悪品のマスクが街でたたき売りされている。これは市場経済原理が働いたなどという話ではなく、「政府の失敗(government failure)」以外のなにものでもないのである。アベノマスクの妊婦向け不良品について、検品作業に8億円がかるという。壮大な無駄遣いである。
第三点の監視体制については、①の解除基準について先述したように、PCR検査をきちんと実行しなかったことが問題を生んでいる。5月13日に抗原検査が承認されたので、これからは感染者を見つけるのが迅速になる。精度の問題はあるが、PCR検査を補完する意味で大きな意味を持っている。
インフルエンザの感染検査の際のように、感染が疑われる人の検査が病院で即座にできるので、状況は大きく改善する。陰性と出た患者については、PCR検査で確定すればよい。こういう体制を迅速に整備できなかったことは、反省しなければならない。
さらには、抗体検査もさらに進めるべきである。この検査によって、免疫を持つ人が判明すれば、感染実態をより正確に把握することができるようになる。こちらのほうは、まだ遅々たる歩みである。
終息後は、国と自治体の関係見直しが必須
今回クローズアップされたもう一つの問題点は、政府と都道府県との権限や役割の分担である。新型インフルエンザ特措法では、政府が対象地域を特定して緊急事態宣言を発するが、その後は当該地域の知事が具体策を講じることになっている。しかし、緊急事態宣言によって知事が拡大できる権限は限られているし、財源が増えるわけでもない。
東京のような豊かな自治体は休業補償などの対応が十分にできるが、そうでない自治体には限界がある。その不平等を是正する措置もない。
そのような中で、大阪府の吉村知事は、独自の解除基準を設け、それが7日間にわたって満たされたとして、14日夜に営業自粛などの措置を段階的に解除する方針を決めた。
アメリカではニューヨーク州のクオモ知事がリーダーシップを発揮し、全国的に高い評価を得ているが、日本では、吉村知事が同様な称賛を浴びている。無能な中央政府に対する地方の不満はますます高まっていくと思われる。
それは、47都道府県という行政区分の不合理性、中央から地方への財源の配分の少なさなど、日本がかかえる地方分権の諸問題を浮き彫りにしている。
コロナ終息後には、道州制、連邦制の導入をはじめ、「この国のかたち」について、国民的議論が展開されなければならない。
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(出典 news.nicovideo.jp)
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