2022年5月1日 15時17分
“大岡裁き”などで知られる江戸時代の奉行らが実際にはどのような裁判をしていたのか、当時を知る手がかりとなる記録が見つかりました。
江戸時代の裁判記録は関東大震災で焼失したものも多く、専門家は「江戸時代の役人が慎重に刑罰を判断していたことがうかがえる貴重な資料だ」としています。
新たに見つかったのは「御仕置廉書(おしおきかどがき)」という18冊の冊子で、幕末までのおよそ150年にわたって江戸幕府の奉行所で言い渡された判決が年代や刑罰ごとに記録されています。
雇い主を*た罪に問われ、死刑の中でも最も重い「はりつけ」とされた男の判決には、最終的な結論を出した老中の名前が書かれていて、奉行所だけで判断せずに幕府の中枢の役人にも伺いを立てていたことが確認できます。
また、ところどころ付箋のようなものが貼られ、過去の判決を参考に刑を考えていた様子がうかがえるほか、無罪となったケースを集めた「無搆(かまえなし)」という冊子もあり、事情によっては刑罰を科さない判断をしていたこともわかります。
記録は最高裁判所の倉庫で見つかりましたが、どこからどのように引き継がれたのかなどは不明で、最高裁では来年度をメドに国立公文書館に移管するということです。
江戸時代の法制史が専門の早稲田大学法学部の和仁かや教授は「江戸時代の裁判記録は関東大震災で焼失したものも多く、まとまって見つかるのは大変珍しい。江戸時代の役人が慎重に刑罰を判断していたことがうかがえる貴重な資料だ」としています。
裁判記録 保管の仕組み
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220501/k10013607711000.html
カテゴリ:国内 > 歴史
怖すぎる『バス停』に震える人が続出 「え、怖い…」「すごい地名だ」
世の中には、いろいろな地名が存在します。多くの地名は、その場所の特性や地形、風土などが由来になっているのだとか。
masazumi(@azuma_ne_zasa)さんは、ある珍しい名称の場所を見るために、岩手県一関市を訪れました。
誰もが名称を読んで「絶対に強い」と確信するであろう、バス停がこちらです!
停留所名に含まれる漢字は『鬼』『死』『骸』と、どの文字も禍々しく、凄まじいオーラを放っています…!
ちなみに、この付近には昔『鬼死骸村』という地域があったのだとか。1875年に合併により廃止されましたが、地名に関するいろいろな逸話が残っています。
なんと、「伝説の武将である坂上田村麻呂が、討伐した鬼のなきがらを埋めた場所」という説もあるのだとか…!
「すごい地名だ…!」と驚く声や、「え、怖い…」とおびえる声など、さまざまな反応が出ている『鬼死骸駅』。
中には、アニメが大ヒットした漫画『鬼滅の刃』を連想した人も少なくないようです!
「もしかすると、鬼は本当に存在していたのかも…」と思うと、少し怖さも感じますがロマンもありますね。
[文・構成/grape編集部]
(出典 news.nicovideo.jp)
【怖すぎる『バス停』に震える人が続出 「え、怖い…」「すごい地名だ」】の続きを読む
日本人が忘れてはならない4月28日、「悔恨の独立記念日」
さる4月28日は、サンフランシスコ講和条約が発効してちょうど70周年だった。
1952年(昭和27年)のこの日、わが国は占領軍の統治から解放されて、独立したはずだった。
日本の歴史上一つの重要な画期であったはずであるが、一般にそのような認識が乏しく、「独立記念日」としなかった。
本来、独立記念日とすべき日をしなかったという意味で、私は、この日を「悔恨の独立記念日」と呼ぶことにしている。
4月28日、産経新聞が「占領の呪縛を解くときだ―ウクライナの悲劇から学べ」と題する一本扱いの長文の社説を掲載した。
GHQ占領の呪縛を解くべきだと社説で述べた新聞は、1952年のサンフランシスコ講和独立後初めてのことだと思う。ここまで来るのに、実に70年間もかかってしまった。
戦後のGHQ占領下にあって、言論統制があったことを新聞の社説で最初に認めたのは、実は現行憲法施行50周年に当たる1997年の3月30日付けの読売新聞(「言論管理下の戦後民主主義」と題する一本扱いの長文の社説)である。
それ以来、ちょうど四半世紀ぶりに、今回の産経新聞の社説が出たわけである。
戦後、GHQによる言論統制があったことを社説で正式に認めたのは、この70年間でおそらくこの2本だけだと思われる。
近年においてますます強まる中国からの脅威に加え、2月24日からのロシアのウクライナ侵攻を契機に、国防を中心として日本の国の在り方が問われている。
産経以外の他紙は、講和独立70周年の日に、どのような社説を掲載したのであろうか?
調べてみたが、以下の通り、いつものようにトピカルな問題を扱うばかりで、サンフランシスコ講和条約70周年を契機に、わが国の国家主権の在り方を問うような新聞は、残念ながら皆無であった。
読売:ツイッター買収「有害情報の自由化は許されぬ」
:電動自転車「安全第一で使いこなしたい」
朝日:物価高対策「負担分かち合う戦略を」
:ウクライナ危機「外交の再起動も必要だ」
日経:「金額ありきではない防衛力強化の議論を」
:「日韓改善へトップが示す決意」
毎日:ウクライナ危機、国連トップの訪露「停戦に向けさらなる関与を」
:ワクチンの4回目接種「対象限定の説明を丁寧に」
東京:ツイッター買収「自由と公正を保てるか」
:中国と南太平洋「新たな火種とせぬよう」
NHK:番組表を見る限り、地上波にもBS放送にも、講和条約発効70周年を記念した特集番組は見当たらない
日本はいまや、歴史上の重大な岐路に差しかかっていると言える。国難と言っても過言ではないのではないだろうか。
そうした状況にあって、講和条約発効70周年は、「国家主権」とか「真の国の独立」といった問題を取り上げ、天下国家を論ずるのに最適な機会であった。
こうした絶好の機会を失ってしまった産経以外の新聞各紙とNHKは、自らの不明を恥じるべきではないだろうか?
4月28日が、日本の歴史にとって極めて重要な日だという認識は全くなく、すっかり忘却の彼方にあるということであろうか。
1945年8月15日の第2次世界大戦の熱戦終了後、占領軍は今度は心理戦だぞとばかりに、意気揚々と日本に乗り込んできた。
焼け野原にされて、茫然自失状態になった日本人は、この心理戦(洗脳戦)に徹底的にやられてしまった。
米国は、熱戦では日本の大中小の夥しい数の都市に対する実弾による絨毯爆撃を行ったが、心理戦では、いわば日本人一人ひとりの頭の中に入り込んで思想の絨毯爆撃を行った。
新聞、ラジオを始めとして、ありとあらゆる言論空間が厳しく検閲・統制され、米国側の戦勝国史観が一方的かつ徹底的に日本国民に植え付けられた。
ドイツでは、戦前からのメディアは、戦後、すべて解体させられた。
今日のドイツのメディアは、新聞、雑誌、放送局など、すべて戦後、新たに設立されたものである。
他方、日本の場合は、戦前からのメディアは、戦後もすべて存続を許される代わりに、いわばGHQの洗脳計画(プロパガンダ計画)に加担させれたのである。
当時の日本のジャーナリストたちは、占領軍に強制的に協力させられたわけであり、彼らに罪はない。
しかし、GHQが去り、講和独立が成立した後も、今日に至るまで、GHQの言論統制の事実と洗脳を告白してこなかったことは極めて大きな罪である。
いま、現役のジャーナリストたちも、不作為の罪を犯し続けていると言える。
メディアは公器であり、日本のジャーナリストたちは、読者・視聴者に対してのみならず、国民全体に対して、占領時代の真実を語る義務がある。
言い換えれば、日本のメディアは、国民に対する大きな負債を負っていると言える。真実を語らないことは、その負債を日々積み上げていることになる。
4月30日付けの産経新聞への寄稿で、拓殖大学顧問の渡辺利夫名誉教授(元拓殖大学総長)は、平川祐弘東大名誉教授の近著『昭和の大戦とあの東京裁判』(河出書房新社)への書評の中で、以下のように非常に的確な表現で日本のメディアの姿勢を批判している。
「講和条約により国際社会に復帰し、主権国家として再登場したその時点で、報道機関など日本の言説を担う者達が検閲の事実を不問に付し、逆にいつの間にやら連合国側の歴史観が自分の史観であるかのように主張し始め、この史観を〈内面化〉させる役割を担ってしまった」
メディアだけでなく、いわゆる「戦後民主主義の進歩的文化人」もしくは「朝日・岩波文化人」と言われる人たちが、GHQの洗脳を継承し、いわば拡大再生産し続けている。
すなわち、GHQの洗脳は、今日に至るまで続いてしまっているのである。
いまだに多くの国民が、GHQの洗脳から抜け出せないのは、非常に厳しい言論統制を伴った極めて周到なWGIP(ウォアー・ギルト・インフォメーション・プログラム)という洗脳計画があったことを、メディアがほとんど認めてこなかったことが非常に大きな原因である。
そのため、私は2014年から、雑誌などへの寄稿を通じて、大手メディアは読者・視聴者に対してGHQ洗脳に加担させられたことを告白し、懺悔すべきだと主張してきた。
わが国は、現在、大きな国家的な課題をいくつも抱えている。
それらの問題を解決するには、日本が真の意味の独立主権国家にならなければ解決できないものがほとんどである。
わが国は、当然のことながら、経済力、国民の資質など、潜在力はすべて備えている。足りないのは、国民がその気になっていないことだけである。
なぜ、国民がその気になっていないかと言うと、多くの国民が、いまだにGHQの洗脳から抜け出ておらず、自虐史観に捉われているからである。
国土交通省の技監を経験した大石久和氏は、その著書『国土が日本の謎を解く』(産経新聞出版、2015年)の中で、最近、霞が関の課長クラス何人かと話す機会があったので、戦後GHQによって、戦前戦中にも増して厳しい言論統制があったことを話題にしてみたが、誰一人としてその事実を知らなかったと嘆いている。
占領下で非常に厳しい言論統制があったことすらも知らないとすれば、そうした人たちは、まだ間違いなく、GHQ洗脳から脱していないことを意味する。
そんなことでは、中央官庁の幹部として、誇り高い日本の国の政策を立案・実施できるわけがないのではないないだろうか?
教科書を含めた学校教育が問題なのであるが、メディアが占領下の真実を語ってきたとすれば、こうしたことは決して起こらないはずである。
今回の産経新聞の社説は、戦後、メディアがGHQ洗脳に加担させられたことについて、直接的に触れているわけではないので、私の言う告白も懺悔もしていないわけであるが、占領の呪縛を解き、真の意味で主権を回復すべきだと主張しているわけであり、一歩前進と言える。
私が、8年前から熱心に働きかけてきたことの初めての成果と言えるものであり、その意味で基本的に歓迎したい。
今回の産経の社説は、1997年3月30日の読売新聞の社説よりはるかに踏み込んだ内容である。
1997年の読売の社説は、内容的にかなり不十分であった。この次は、読売新聞から、さらに大幅に踏み込んだ内容の社説を期待したいものである。
[もっと知りたい!続けてお読みください →] 1日2兆5000億円の戦費に苦しむロシア、北方領土問題解決の好機
[関連記事]
(出典 news.nicovideo.jp)
【日本人が忘れてはならない4月28日、「悔恨の独立記念日」】の続きを読む
11年前の秋葉原のようすがこちら
現在は2022年5月。世界的パンデミックで日本も多大な影響を受けていますが、秋葉原には多くの人たちが訪れ、活気を取り戻しつつあります。
今回は、2011年4月の秋葉原のようすをまとめてお伝えしたいと思います。たった10年、ほとんど何も変わりはないと思うかもしれませんが、振り返ってみると、驚くほど状況が違うように感じます。
すれちがい広場が大盛況
ニンテンドー3DSのすれちがい通信を駆使したゲーム等で遊ぶ人たちが増えたため、ヨドバシカメラがすれちがい広場を設置。
ブームは『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』から始まったともいわれていますが、それ以降も『ラブプラス+』や『ドラゴンクエストモンスターズ』シリーズなど、多数のゲームですれちがい通信を楽しむ人たちがいました。
まだ『かんだ食堂』があった
秋葉原の食堂といえば『かんだ食堂』。ここの豚生姜焼き定食は絶品で、おふくろの味、家庭の味、そして昭和的な食堂メシの味、さまざまな要素がギュッと詰まったおいしさがそこにはありました。
海外からも多くの観光客が訪れ、そのおいしさを堪能していたほど。海外のガイドブックに掲載されたため、特に台湾の観光客に人気があったようです。
ガイガーカウンターがメッチャ売られていました
放射線を測定できるガイガーカウンターが複数の店舗で売られていました。大地震が発生して間もないこともあり、天変地異や事故による予想だにしない事象に備えたり、放射性物質などに関心を持つ人が購入していたと思われます。
ゲームからガイガーカウンターまで、なんでも揃う秋葉原、といった感じです。皆さんはガイガーカウンターを購入しましたか?
マジコンが売られまくってました
マジコン、いわやるコピーゲームを起動させる装置が秋葉原で売られまくっていました。その多くはニンテンドーDS系のもの。
秋葉原でマジコンがガンガン売られていましたが、ゲーム会社によるコピーガードとのイタチごっこ状態が続き、最終的に任天堂が裁判を起こし、現在は収束していると思われます。
マジコン売りのオッサン
この時代、まだマジコンがバカ売れしていたので、路上でオッサンが立ちながらマジコンを売っていることもありました。
ちょっと恥ずかしい気もしますが、恥よりもお金! と思っていたのか、満面の笑みで売っていました。よほど売れたのでしょう。
サンボ
サンボがありました。いまもサンボはあります。サンボは永遠に。エルプサイコングルゥ。
(執筆者: クドウ@地球食べ歩き)
(出典 news.nicovideo.jp)
【11年前の秋葉原のようすがこちら】の続きを読む
「むしろ日本のほうが危なかった」欧米列強に中国が屈したのに、日本は独立を維持できたワケ
■産業革命を起こしたイギリスが中国に対して行ったこと
【つきじい】フランス革命の時代、イギリスではもう一つの革命――産業革命が始まっていた。小太郎くん、「産業」って何だ?
【小太郎】工場とかで、モノをつくることですよね。
【つきじい】その通り。昔は、着る物は手作業でつくっていた。糸だって、綿のかたまりから1本ずつ引っぱり出して、ねじってつくっていたのじゃ。
【小太郎】気が遠くなりそうです。
【つきじい】ところが18世紀のイギリス人が、糸や布をつくるためのさまざまな機械を発明していった。その結果、一人で同時に何千本もの糸をつくれるようになった。
【つきじい】ところが困ったことが起こった。糸や布など綿製品をつくりすぎて、売れなくなった。小太郎くんは、ズボンを何本持ってるかな?
【小太郎】3本くらいかな?
【つきじい】50本買ってくれと言われたら?
【小太郎】そんなにいりません!
【つきじい】ところが機械でどんどん綿製品をつくっているから、売れ残ってしまう。そこでイギリス人は、外国に売り込もうと考えた。イギリスより何十倍も大きく、人口の多い国にイギリス製品を売り込めば……。
【小太郎】ボロもうけできますね!
■遣隋使の時代と何も変わっていなかった中国
【つきじい】世界で一番人口の多い国は、当時も、今も同じじゃ。
【小太郎】あっ……中国?
【つきじい】うむ。ところが、当時の中国――清という王朝だったが、簡単に貿易をさせてはくれなかった。「貿易したかったら、頭を下げろ」というのじゃ。
【小太郎】は?
【つきじい】「清の皇帝は世界で一番偉い。イギリス王は家来となって、頭を下げろ」というのじゃ。
【小太郎】まーだ、そんなこと言ってたんですかぁ?
【つきじい】そうじゃ。遣隋使の時代と何も変わっていなかった。
【つきじい】中国はどうしてバカにしてくるのか? イギリスを小国だと思っているからだ。
【小太郎】確かに、中国から見れば小国だし……。
【つきじい】「戦争を起こしてボコボコにしてしまえ!」となった。
【小太郎】ちょ、ちょっと待って、いきなり戦争ですかぁ?
■戦争を起こすために、イギリスが実行した奇策
【つきじい】戦争に勝てば、開港させてイギリス製品を売り込める。しかし戦争を始めるには、もっともらしい理由が必要じゃ。
【つきじい】最初は、「清が、イギリス商品を没収した」と言いがかりをつけた。
【小太郎】綿製品ですか?
【つきじい】アヘンじゃ。麻薬の一種じゃな。イギリス商人は、アヘンを中国に売り込んだ。
【小太郎】ええ~っ、麻薬を売ったらダメでしょう!
【つきじい】だから清の政府はアヘンを没収した。そしたら「うちの商品を没収したな!」といってイギリスが攻めてきた。イギリス軍は産業革命で発明された蒸気船の軍艦を送り込み、清の帆船を次々に粉砕した。これがアヘン戦争じゃ。
■「このままでは日本もやられる…」という危機感
【つきじい】アヘン戦争の約10年後、ペリーが率いるアメリカ艦隊が江戸湾(東京湾)に迫り、江戸幕府を脅かして開国を要求した。
【小太郎】ヤバいです!
【つきじい】幕府はビビって開国した。日本国内では幕府の弱腰に対する怒りが渦巻いた。江戸で学んでいた軍学者の吉田松陰はペリー艦隊に衝撃を受け、地元長州(山口)の松下村塾で教え始めた。
【小太郎】どんなこと教えたんですか?
【つきじい】外国語、世界の地理、国際関係、軍事を教えた。身分に関係なく誰でも学ぶことができた。松下村塾で学んだ高杉晋作は、世界を見てみようと旅立った上海で、植民地のようになった清国を見た。「このままボーっとしていたら、日本もやられる……」
■高杉晋作「長州男士30万が受けて立つ…」
【開戦】下関戦争/倒幕運動
イギリス・フランス連合軍が北京に攻め込み、北京条約で清国の11の港が開かれた。西洋人は中国人を見くだし、わがもの顔でふるまった。日本でも西洋人への反感が高まり、長州藩は外国船を砲撃した。すでに開国していた幕府は激怒し、長州藩を攻撃した。
■伊藤博文「功山寺挙兵の時が明治維新の始まりだった」
■幕末の日本に生まれた「ナショナリズム」
【小太郎】高杉晋作、カッコよすぎます! でも功山寺に誰も集まらなかったら……。
【つきじい】晋作は一人で藩に訴え、受け入れられなければ切腹するつもりだった。カネや命はどうでもいい。仲間たちを、長州を、日本を守ろうとした。そういう覚悟があったから、仲間たちの心を動かし、決起は成功した。
【小太郎】先生。フランス革命のときの義勇兵を思い出しちゃいました。
【つきじい】小太郎くん、まさにその通りなのだ。身分や出身地を超えたナショナリズム――「フランス国民」という仲間意識がフランス革命で生まれた。その70年後、幕末の日本で「日本国民」意識が生まれ、明治維新につながった。
■明治維新の本当の目的
【小太郎】明治維新って、革命だったんですか?
【つきじい】幕府を倒したという意味では革命に似ているな。しかし、幕府を倒すのが目的でなく、外国の侵略から日本を守るのが明治維新の目的じゃった。
【つきじい】そのためには、日本人が団結しなければならない。しかし長州藩は、地方政府に過ぎない。そこで、天皇を新しい国の中心にした。だから革命というより復古じゃな――「元に戻す」、という意味じゃ。
【小太郎】天皇って、昔の天皇とつながっているんですか?
【つきじい】天皇家はつながっている。平安時代には藤原氏に政治権力を奪われ、鎌倉時代からは幕府に政治をまかせた。天皇は、宗教儀式だけを行うようになっていた。
【つきじい】フランス革命では国王を処刑してしまった。この結果、国がまとまらず、混乱が続いた結果、ナポレオンが皇帝になることでやっと落ち着いた。
【小太郎】そうか、日本には天皇がいたから、めちゃくちゃにならなかったのか。
■日本と中国の決定的な違い
【つきじい】ところが清国ではうまくいかなかった。
【小太郎】清国には皇帝がいたのに、どうしてですか?
【つきじい】あれは満州人といってな。モンゴルの東の森林地帯に住んでいた狩猟民族じゃ。昔の金王朝を建てた女真族の子孫じゃ。
【つきじい】外国人の皇帝のために、一致団結して戦おうという気になれるだろうか?
【小太郎】それは……無理だと思います。
【つきじい】だから中国では「国民意識」が生まれにくかった。国がデカすぎるし、方言が多く言葉が通じない。
【小太郎】それは困った……。
【つきじい】だから清国は戦争のとき、中国人の傭兵を集めて戦った。給料払うから戦ってくれ、というわけじゃ。ナポレオン戦争の時のプロイセン軍と同じじゃ。
【つきじい】その通り。清国の傭兵と日本の国民軍が戦ったら?
【小太郎】日本が勝ちます!
----------
駿台予備校/N予備校世界史科講師
ノンフィクション作家、予備校講師、歴史系YouTuber。学習参考書のほか、一般向けの著書に『世界史で学べ! 地政学』(祥伝社)、『超日本史』(KADOKAWA)、『「戦争と平和」の世界史』(TAC出版)、『「米中激突」の地政学』(ワック)、『政治思想マトリックス』(PHP)、『「保守」って何?』(祥伝社)、『グローバリストの近現代史』(ビジネス社)など。YouTubeもぎせかチャンネルで発信中。
----------
(出典 news.nicovideo.jp)
【「むしろ日本のほうが危なかった」欧米列強に中国が屈したのに、日本は独立を維持できたワケ】の続きを読む