令和の社会・ニュース通信所

社会の出来事やニュースなどをブログに書いて発信していきます。あと、海外のニュースなども書いていきます。

    カテゴリ:国内 > 出来事


    女性議員たちが歯を食いしばってハラスメントに立ち向かう姿勢には感動します。共に力を合わせて社会を変えていくことが重要ですね。

    1 @蚤の市 ★ 警備員[Lv.9][苗] :2024/04/16(火) 07:28:37.19 ID:VdYE3Ouh9
     ジェンダー平等社会の実現を掲げ、昨春の統一地方選で初当選した女性議員らが現状や課題を報告するイベントが4月5、14日、東京都内で開かれた。女性らの立候補を後押しした団体が主催。年配男性が多数を占める地方議会を変えるため、見えてきた必要なことは何か?(奥野斐)
    ◆知られざる「独特の文化」
     「議会という独特の文化がある。前例がないことをやろうとすると、嫌な顔をされチクチク攻撃された」
     都内の自治体議員8人が登壇した5日の報告会で、練馬区議の石森愛さん(39)=立憲民主党=は1年をこう振り返った。性教育や共同親権について質問しようとした際、他会派がよく思っていないと人づてに聞いた。持参した水筒は、中身を紙コップに移してから飲むよう注意されたこともある。
     「議会には邪魔したり意地悪をしたりする人もいる。私たちは連帯し、歯を食いしばりながら議会にとどまることが大事」と語った。
     イベントは、昨年4月の統一選で20~30代の女性議員を増やそうと動いた「FIFTYS PROJECT(フィフティーズ・プロジェクト)」が企画。支援した29人のうち、今回登壇した8人を含む24人が当選した。
    ◆議長に「ハラスメント防止措置」申し入れ
     「女性議員らへの風当たりが強いと聞いているが…」と会場からの質問に答えたのは、杉並区議の寺田陽香さん(36)=立憲民主党。「新人が壇上に立った瞬間からおしゃべりが始まる。ちょっと言い間違えたら笑いが起きる。質問に答える職員にまでやじが飛ぶこともある」。杉並区議会は、性別非公表の1人を除く議員47人中、女性が24人。昨年9月には、議員8人がハラスメント防止措置を正副議長に申し入れたという。
     昨春の改選前から女性が4割を超えていた武蔵野市議会は、新人も活動しやすかったようだ。市議の酒向(さこう)萌実さん(30)=無所属=は女性議員に囲まれた男性議員が「両手に花だな」と言うのを聞いて注意しようか迷った際、年長女性が「そういうことは言わないの」と制したと紹介。「数がいることで変わる」と実感した。
     14日に講演した上野千鶴子東京大名誉教授は、「議員になったら最初にやってほしいのは議会制度改革」と強調。「質問時間に制限があるとか、赤ちゃん連れはダメ、スニーカーやジーンズはNG、といった*校則並みの根拠のない慣行がある」と指摘し、「言えば変わることは多い。小さな成功体験を積み上げて」とエールを送った。
     トークショーもあり、世田谷区議の小野瑞季さん(31)=世田谷・生活者ネットワーク=を支援する清藤(せいとう)千秋さん(31)は、小野さんが初めての議会質問中、年配議員が大声で話し始めたため、議員間のハラスメント防止を求める陳情を出したと紹介。「陳情は議会に『見てますよ』と伝えるツール。市民の圧が大切」と強調した。
    ◆女性議員割合、市区でも20%に満たず 町村は13.3%
     昨年4月の統一地方選後、女性議員の割合は全国平均で微増したが、依然低い。全国市議会議長会によると、東京23区を含む815市区議会の女性割合は17.8%(2022年)から19.7%(23年)に。全国町村議会議長会の調査では、926町村議会で、女性は12.0%(22年)から13.3%(23年)になった。いずれも7月時点。
     町村議長会が4月8日に公表した町村議員のなり手不足の報告書でも、「女性議員割合が依然として低いままで、その改善がなり手不足を解消する決め手の一つ」と指摘。ハラスメント対策の強化などを求めた。
     世界経済フォーラムの23年版「ジェンダー・ギャップ(男女格差)指数」で、日本は146カ国中125位。特に政治分野は世界最低水準の138位だった。

    東京新聞 2024年4月16日 06時00分
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/321416

    【【社会】議員1年生の女性たちが「議会」で遭遇したハラスメントの数々 「私たちは連帯し、歯を食いしばる」】の続きを読む


    賽は投げられた状態になっているのかな?

    1 生玉子 ★ :2024/04/15(月) 16:41:22.79 ID:kRJOGvTf9
    2024年04月15日 10時30分
    47NEWS

     2025年大阪・関西万博は、4月13日で開幕1年前を迎えた。国家的イベントが近づくにつれ、世論の期待は高まっている…と思いきや、SNS上では今も「万博中止」のハッシュタグが目立ち、延期を求める声も飛び交う。「期待一色」には程遠い状況だ。

     なぜか。多額の税金が投入される会場整備費は、当初見込みの約2倍となる2350億円まで膨らんだ。独創的なデザインを競う海外パビリオンは想定よりも建設スケジュールが大きく遅れ、着工はわずか十数カ国(4月上旬時点)にとどまる。負担増や課題ばかりが目立つ中で、期待値を上げる方が無理というものだ。

     そこに、2024年の元日に起きた能登半島地震が追い打ちをかけた。今も避難を余儀なくされる被災者からはこんな声が聞こえてくる。「万博どころじゃない」。国民に理解が広がらなければ、新型コロナウイルス禍の中で開催された東京五輪・パラリンピックと同じ末路をたどる、と警鐘を鳴らす専門家もいる。

     逆風は強まるばかりなのに、政府や関係機関は予定通りの開幕をかたくなに維持する。万博は中止できないのか。費用や手続きの面から「なぜ開催にこだわるのか」に迫った。

    全文はソースでご確認ください。
    https://www.47news.jp/10791825.html

    【【大阪】万博はもう中止できないのか?「オリンピックと同じ末路に」専門家は警鐘】の続きを読む



    (出典 homeee.jp)


    子どもの遺伝子検査が保育園で推奨されるなんて驚きですね。将来の健康管理のために行うのもいいかもしれませんが、親にとっては少し気がかりな面もありますね。

    1 @蚤の市 ★ 警備員[Lv.5][新][苗] :2024/04/15(月) 07:30:26.19 ID:n2tIAmMs9
     東京都内の会社が運営する二つの私立保育園が、「将来の傾向が分かる」として子どもに遺伝子検査を受けさせるよう呼び掛け、保護者の3割が応じていたことが判明した。国内の検査会社でつくる団体は、本人が同意できる年齢になるまで待つべきだとして、検査を成人に限るよう自主基準で定めている。この園が検査を仲介した企業は香港にあり、団体には加盟していない。

     急激な人口減少を背景に担い手、支えて不足、人材離れが進み、公共セクターを中心に社会の仕組みが行き詰まりの危機に直面する日本。デジタル化、激甚化、温暖化の進展といった新たな社会変化が進む中、それでも変われないニッポンのなぜに迫ります。19日まで連日午前6時にアップ予定です。

     「子供の未来を知るチャンス! 子供のDNA検査キット」

     2023年9月、ある園児の母親がスマートフォンを開くと、保育園からそんなタイトルのメッセージが届いていた。

    知能や性格、身体の特徴まで
     「まるで広告みたい」。母親が違和感を抱きながら読み進めると、遺伝子検査を推奨する言葉が並んでいた。

     「大切な我が子の成長をサポートする一歩として、子供の個性や可能性を探求してみませんか?」

     「子供のDNAには、その個性や身体的な特徴、将来の傾向が含まれています。これを知ることで、教育方針や健康管理に役立つ情報を得ることができます」

     保育園が紹介する検査項目は多岐にわたっていた。

     「子供の適性や才能の可能性」

     「健康に関する遺伝的な特性」

     「学習の傾向や興味の方向性」

     さらには性格、身体的特徴、音楽やダンスの才能にいたるまで85ページほどのリポートが作成されると書かれていた。

     母親は絶句した。「こんな検査を保育園が勧めるなんて。それに親と保育園の判断で、子どもの遺伝子を勝手に調べるのはいかがなものだろうか」

     その後も、保育園から勧…(以下有料版で、
    残り1775文字)

    毎日新聞 2024/4/15 06:00
    https://mainichi.jp/articles/20240414/k00/00m/040/086000c

    【【社会】東京の保育園、子どもの遺伝子検査を推奨・仲介 保護者3割が応じる】の続きを読む


    退職代行サービスが必要になるくらい、話が違うということは相当な問題があるのかもしれませんね。企業側もしっかりと説明することが大切ですね。

    1 @蚤の市 ★ 警備員[Lv.11][苗] :2024/04/14(日) 17:41:56.18 ID:aoyyGrOg9
     新年度が始まって10日あまり。街を歩けば、真新しいスーツを着た新入社員の姿がまぶしく映る。しかし、本人に代わって企業側と交渉する「退職代行」サービスの現場では、すでに新卒者からの依頼が相次いでいる。「入社前と話が違うのですが……」。多くはそう切り出すという。

    「あんな会社とは話できない」
     各地で入社式が行われた1日、東京都大田区の「アルバトロス」が運営する「退職代行モームリ」の電話に、さっそく新入社員からの依頼が舞い込んだ。「あんな会社とはもう話ができません。退職代行をお願いします」。美容関係の企業に就職したという20代女性の声は怒りで震えていた
     女性は入社前、髪の色は自由だと聞かされていたが、入社式直前に黒に染めるよう指示された。拒否すると、入社式に出席させてもらえなかった。そのままモームリに電話をかけて退職の手続きを進めてもらい、今は新しい就職先を探しているという。

     モームリは弁護士の監修を受けてサービスを提供している。依頼主の雇用形態が正社員や契約社員の場合は2万2000円、アルバイトの場合は1万2000円で引き受ける。2022年3月にスタートし、総依頼件数はこの2年で8000件を超えた。

    「退職代行モームリ」を運営する「アルバトロス」の谷本慎二社長=同社提供
    新卒者の依頼は12日間で80件
     24年度が始まり、12日までの依頼件数は計545件。そのうち新卒者からの依頼は約80件だった。23年は4~5月で52件だったといい、アルバトロスの谷本慎二社長は「この数が多いか少ないかは分からないが、若い人を中心に今後も退職代行の需要は増えていくのではないでしょうか」と推測する。

     新卒者の退職理由で目立つのは、「就労環境が入社前に聞いていたものと隔たりがある」という内容だ。谷本社長は「今の若い世代はSNS(ネット交流サービス)で他人の働く様子を見ることができます。そうしたなかで自分の働く環境に違和感を持つ人がとても増えているような印象があります」と解説する。

     サービス利用者の約6割は20~30代の若者で占められるが、最近ではベテラン世代からの依頼も増えているという。昨夏には体調不良を訴えているのに、企業側の都合で退職をさせてもらえない正社員の70代男性から依頼があった。

     谷本社長は語る。「新入社員に限らず、企業側は全ての従業員に歩み寄ろうとする姿勢が必要ではないでしょうか。そういう風潮が広がり、退職代行というサービスがなくなることが一番だと思っています」【隈元悠太】

    毎日新聞 2024/4/14 06:30(最終更新 4/14 17:10)
    https://mainichi.jp/articles/20240413/k00/00m/040/175000c

    【【社会】「入社前と話が違う」 退職代行サービスに新入社員から依頼相次ぐ】の続きを読む



    日本の城下町は、過去の栄華や歴史を感じさせるような風情があるべきだと思います。明治政府の無教養が城を単なる遺物としか見なかったことは、残念なことですね。

    なぜ現存する天守は12しかないのか。歴史評論家の香原斗志さんは「大きな要因は明治政府が出した廃城令にある。彼らに文化や歴史的景観を守るという発想はまったくなかった」という――。

    ■なぜ日本の城は無配慮に破壊されたのか

    仕事柄、ヨーロッパに行くことが多いが、帰国後に日本の城を訪れると、いつも残念な気持ちになる。ヨーロッパの旧市街や城は保存状態がいい場合が多いのにくらべ、日本の城がいかに破壊されてしまっているか、あらためて気づかされるからである。

    たとえば、世界遺産姫路城兵庫県姫路市)にしても、内郭を取り巻いていた中堀は南側が埋め立てられ、外堀も南部は埋められたうえ、一部残る場所も土塁は崩されている。建造物は、内郭を除けばまったく残っておらず、内郭にしても、たとえば広大な三の丸に建ち並んでいた御殿群は、明治初期にすべて取り壊されている。

    姫路城でこうなのだから、残りは酷いものである。天守が現存する城でも、犬山城愛知県犬山市)や丸岡城福井県坂井市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)は天守以外の建造物は残っていないばかりか、堀はみな埋められている。

    戦前まで天守が残っていた城も、たとえば岡山城(岡山県岡山市)など、本丸内堀こそおおむね残るが、それを幾重にも取り巻いていた堀はすべて埋め立てられ、市街化された。大垣城(岐阜県大垣市)も水郷と呼ばれた大垣を象徴して、4重の堀に取り囲まれ、本丸と二の丸は広大な内堀に浮かんでいたが、いまはすべてが埋められてしまった。

    例外をあげつらっているのではない。日本の城のいずれも、程度の差こそあれ、このように無配慮に破壊されている。

    ■地上に痕跡すら残っていない城も

    なかでも酷いのは、長岡藩の拠点だった長岡城(新潟県長岡市)である。本丸はJR長岡駅となり、ほかはすべてが市街化して、なにひとつ遺構は残っていない。上越新幹線長岡駅前に降り立ったとき、ここが城跡だと感じる人はいないだろう。「長岡城本丸跡」と彫られた石碑が駅前に立つが、騙されている気分にすらなる。

    尼崎城(兵庫県尼崎市)も同様だ。すでに武家諸法度で新規築城が禁じられた時期に、幕府が西国の大名に目配せする目的で築かれた城で、正方形に近い本丸の四隅には、四重の天守のほか3棟の三重櫓が建ち、その周囲は約300メートル四方に堀が三重にめぐらされた壮麗な城だった。ところが、堀はすべて埋め立てられて城内は市街化し、地上に城の痕跡を見つけることはできない。

    平成30年2018)、天守が鉄筋コンクリート造で再建されたが、本丸の跡地は小学校の敷地で整備できず、300メートルほど北西に建てられた。ちなみに、この天守は見栄えを重視して、東西を反転させて再建されたので、「史実に反する」という批判が少なからず存在する。

    むろん、地震災害や太平洋戦争の空襲などで、不幸にも失われた城の遺構は少なくない。しかし、これほどまでに全国の城郭が破壊されている主たる原因は、明治政府の政策にあった。

    ■日本の城に決定的ダメージを与えた法令

    明治維新を迎えた段階で、日本には193の城が存在していた。ほかにも、城持ちでない3万国以下の大名の藩庁が置かれた陣屋や、城に準じる要害を加えると、事実上の城の数は300を超えていた。天守にしても、その時点で70数棟は残っていた。

    しかし、明治4年(1871)の廃藩置県で、城の母体である藩という組織がなくなり、旧藩主は華族となって東京への移住を義務づけられた。主を失った城の維持が困難になったところで、明治6年(1873)1月14日、明治政府は日本の城に決定的なダメージを与えた「廃城令」を出したのである。

    各地の城は維新後も、皇居(当初は東京城と呼ばれた)となった江戸城と、兵部省の管轄下に置かれた大坂城を除くと、各藩がそのまま管轄していた。それが廃藩置県後は、兵部省陸軍部(改組後は陸軍省)の管轄へと変更になったが、事実上300もある城を陸軍省は管轄しきれない。このため、軍隊の基地として利用できる城と、不要な城とに分けることにしたのだ。

    そこで、陸軍省と大蔵省の役人が全国に出張して各地の城を細かく調査。そのうえで、陸軍の軍用財産として残す「存城」と、普通財産として大蔵省に処分させる「廃城」に分けたのである。

    ■軍用財産として使えなければ処分

    この時点で「存城」とされたのは42の城と1つの陣屋にすぎず、残る二百数十の城と陣屋や要害はすべて「廃城」とされた。

    もっとも、「廃城」とされながら、犬山城や松山城(愛媛県松山市)、高知城(高知県高知市)のように天守が残された城もある。一方、会津若松城(福島県会津若松城)は「存城」とされながら、会津藩が戊辰戦争で新政府軍に抵抗したため、見せしめとして建物がみな取り壊されてしまった。

    これを解釈すれば、「存城」といっても、保存すべき城という意味ではなかった、ということになる。

    弁護士で城郭研究家の森山英一氏は、「存城と廃城は城郭の所管官庁を分ける法令上の用語」で、その背景には「城郭を財産とみるフランス民法の影響があった」と書く[森山英一, 平成28年]。

    もう少し引用すると、「存城は軍事上必要と認めて国家が保有するものであり、廃城は軍事上不要とされたもの」で、「存城は、従来通り陸軍省の管理に置くという意味であり、廃城は、陸軍省の管理を廃し大蔵省の管理に移すもので、不要と認められれば売却処分されるが、直ちに破壊されるものではない」という。

    つまり、「存城」と「廃城」とは国有財産の管理区分で、「城郭の建物その他の施設の維持保存とは無関係」の概念にすぎないということだ。明治政府は「フランス民法」の影響のもと、城を軍用財産として使えるかどうかという視点だけで評価し、使えなければ処分するという性急な判断を下したのだ。

    ■新政府=文化的素養に欠ける下級武士

    残念なのは、フランスの影響を受けながら、歴史的環境を積極的に保護するというフランスの精神からは、なんら影響を受けていないことである。

    フランスでは19世紀初頭には、フランス革命の被害を受けた建造物や美術品の保護を目的に、中世建築博物館が作られ、中世の建築や美術への保護策が講じられていた。以来、今日まで、フランスらしい建築の保護を核にした歴史的景観の醸成に力が入れられてきた。

    一方、明治政府は、城をたんなる封建時代の残滓、自分たちが倒した幕藩体制の遺物とみなし、その意識のもとで城の処分を進めていったのである。

    わかりやすいのが、長州藩の本拠地だった萩城(山口県萩市)に対する姿勢で、新政府が率先して天守を解体したとされる。日本固有の文化や歴史的景観を守るという発想が明治政府にまったくなかったことは、不幸であった。欧米を真似しながら、アイデンティティの維持という、彼らが大切にする姿勢に気づくことはできなかった。

    維持費用を考えると、300を超える数の城をすべて守るのは非現実的だっただろう。しかし、城を「存城」と「廃城」に分けた際に、それらを文化財としてとらえる視点がなかったのは悔やまれる。新政府を主導した人たち、すなわち文化的素養に欠ける下級武士たちの限界を感じざるをえない。

    ■維新の過ちを忘れてはいけない

    結果として、「廃城」となった城の建造物は次々と払い下げられ、それを受けて取り壊された。前述の萩城は「廃城」と決まって間もなく払い下げが命じられ、明治7年(1874)に五重の天守のほか櫓14棟、城門4棟、武器庫3棟がすべて解体され、計1348円3銭で払い下げられた。明治初年の1000円は、いまの1000万円前後だと思って、さほど外れてはいない。

    高石垣が3段、4段と見事に重ねられた津山城(岡山県津山市)は、五重の天守のほか60もの櫓が建ち並ぶ、日本を代表する平山城だった。しかし、すべての建造物が入札にかけられ、保存運動が起こる間もなく、明治7年(1874)5月に1121円で払い下げられ、翌年3月までにすべてが解体されてしまった。

    徳川家康の命令で、諸大名による御手伝普請で築かれたはじめての城、膳所城(滋賀県大津市)も、家康の出生地として知られる岡崎城(愛知県岡崎市)も、ほぼ同様の経緯で天守以下の建造物がすべて取り壊された。

    片や「存城」も、あくまでも軍用財産にすぎないから、たとえば、名古屋城の二の丸と三の丸の建造物が、練兵場や兵舎などを建設するためにすべて取り壊されたように、次々と手が加えられていった。

    翻って近年、できるだけ元の姿に戻すという努力が行われている城は増えている。しかし、いかんせん明治初年の破壊の規模が大きすぎた。日本人がアイデンティティーとしての文化に無頓着だったツケは、いま、日本中の景観となって表れている。私はそれをアイデンティティーに敏感な欧米人に見られることが恥ずかしい。

    むろん、かろうじて残された歴史的環境を維持し、整備してほしいと思うが、そのためにも、ここに記した維新の過ちを忘れてはなるまい。

    ----------

    香原 斗志(かはら・とし)
    歴史評論家、音楽評論家
    神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

    ----------

    撮影=プレジデントオンライン編集部


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【【社会】なぜ日本の城下町はこんなにも殺風景なのか…城を「過去の遺物」としか見なかった明治政府の恐るべき無教養】の続きを読む

    このページのトップヘ