(出典 www.enecho.meti.go.jp)


明治時代にいろいろやったからかもしれません。

 中国人が近代日本を語るうえで欠かせないのが「明治維新」という言葉だ。日本は西洋からの圧力により開国し、その後の改革にも成功したが、同じく西洋からの圧力を受けていた清王朝はなぜ違う結果になったのだろうか。中国メディアの百家号は10日、「西洋からの圧力を受けた国である日中はどこで差が生まれたのか」と題する記事を掲載した。

 記事はまず、日本も清王朝も「西洋から強制的に開国させられた」と紹介。開港を迫られ、不平等な条約を結ばせられたところまでは日中とも似ているのに、なぜその後は差が開いてしまったのだろうか。記事は、3つの理由が考えられると紹介している。

 1つは「日本には清の先例があった」こと。西洋強国に軍事力で太刀打ちできないことを知っていたので、アヘン戦争のような同じ轍を踏まずにすんだとしている。2つ目は「徳川幕府に代わる有力な勢力があったこと」。日本の場合は薩長などがそれにあたるが、中国には清王朝に代わる有力な勢力がなく、視野の狭い農民しかいなかったと分析した。

 3つ目は、小さな日本はそれだけ「期待もされていなかった」こと。中国とは違い、日本には茶葉や銀、紡績のような貿易として価値のあるものがなかったので期待もされず、中国に進出するのに便利なので「中国のついでに開国させた」程度だったと分析している。

 最後に記事は、あえていえば日本には明治天皇がいて人材を重視するという違いもあったとも付け加え、西洋列強の侵入を阻止し、その後に近代化を遂げた日本は「アジアで最も文明的な国」かつ列強の一角になったのに対し、中国は「その後100年も苦難が続くことになってしまった」と伝えた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

「列強の圧力」を受けたはずの近代日本が「逆に列強になれた理由」


(出典 news.nicovideo.jp)

BSSK

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識字率と民度と素養。それだけ。

どうでもいい(没系)

どうでもいい(没系)

中国人はあまり知らないかもしれないが、アヘン貿易の仕組みである、植民地インドで阿片栽培、中国でアヘン代金をすべて銀で受け取る、その銀を西欧と金銀交換比率が違っていた日本に送り、オランダ商館を使って銀から金への交換、金を本国に持ち帰る、という金本位制の時代の世界貿易。これにおいて、大英帝国は手軽な金入手先としての日本の重要性を、江戸時代から認識していたのだよ。

紫外線照射装置

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中国から見た「日本すげえ!」の記事何回やるのかと、それで満たされる様なのばかりだとでも思ってるのかな。

どうでもいい(没系)

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つまり西欧列強は、日本経済を破壊せずに、世界貿易に取り込みたかった。だから武力侵略は極力避けて、ペリーによる開国の強要、つづいて列強諸国が次々に通商条約を締結、さらに有望市場の可能性を見出して日本近代化への促し。等々へつながる流れとなった。

ゲスト

ゲスト

植民地経営が行き詰まり、植民地ではなく不平等な商取引先相手国にしたほうが都合がよかっただけ。列強になれなかったのが本当に悔しいんだな、お前らは。

torowa3

torowa3

当時の中国が知能もやる気も人材も無かったということでOKw?

どうでもいい(没系)

どうでもいい(没系)

まあ、ほかに欧米社会で日本の伝統工芸品がその技巧と希少性で熱狂的にむかえられ、貿易国に大きな利益を与えた、というのも日本近代化の原動力ともなったが。