社会は人々が互いに助け合い、成長し合う場であるべきだと私は考えます。過ちを犯した人に更生のチャンスを与えることは、彼らを社会に取り戻し、役立つ存在にするための重要な一歩です。優れた更生プログラムが整備されることで、社会全体が犯罪率の低下や安心感の向上を実感できるはずです。

――モラハラ、DV、不祥事などの加害者が自らの行いを反省し、償いと再出発ができる社会をつくるためには、加害者変容のための具体的な取り組みが必要である。だが一方では被害者感情への配慮の問題や、反発もあり受け入れられるのは難しい。モラハラ・DV加害者の反省と再出発を促すコミュニティ「GADHA」主宰の中川瑛氏、ベストセラー漫画『母がしんどい』『キレる私をやめたい』など自身の加害経験を描いて話題となっている田房永子氏が意見をたたかわせた。

◆痴漢の矯正プログラムでおぼえた違和感加害者も過去に傷を抱えている

中川:田房さんがおっしゃる、「一度何かをやらかした人間は社会に受け入れられるのか」という問題は「リエントリー」の問題として、犯罪社会学や、治療的/修復的司法などの文脈ですごく議論されていることです。

田房:私も含めて、贖罪や反省、謝罪って一体どういうことなのか、教わる機会も考えるタイミングも持たずに生きてきた人が大半だと思います。加害を更正しましょうっていう活動の中でも、自分の生い立ちなどを振り返ったりしない考え方もあります。加害行動をやめればいい、という方法。外国語でいうと、「これまでこういう発音で習ったけど、ネイティブはこうやって話してるから直しましょうね」というような。

中川:それは違和感がありますね。

田房:そういう形の反省って、加害者本人は「自分は幸せになっちゃいけない」と思い込むことが多いと感じます。一生償わなきゃいけないみたいな勢いで。私自身も昔、痴漢被害に遭ってたけど、彼らの不幸を常に願っているわけじゃない。幸せを感じないと、あれは本当に間違った酷い行為だった、自分はそれをしてしまった、ということは理解できないんじゃないかと思うんです。

中川:それには、共感する部分があります。誤解を恐れずに言うと、僕は加害者の最終的な責任は「関わる人とともに幸せになること」でもあると思っていて。それは、自分が幸せになるためには、一緒に生きる人を幸せにする必要があるからです。誰かを幸せにできるようになることが、加害者の償いとしては重要だと思います。

 なので、加害者被害者のために生きること自体が目的になってしまうのは、本当の意味での償いにはならないと思っているんです。それは結局、他人のために生きることだからです。それは自分を道具にすることであり、これまでやってきたことをひっくり返しているだけです。相手のために、と卑屈になる程被害者意識を持つ人も少なくありません。だから、関わる人と共に、幸せになることが大事なんです。

加害者批判だけでは社会が良い方向に変わらない

田房:でも、そうなると被害者に再び苦しみを強要する恐れもありますよね。加害者ケアについては、「被害者のケアもできてないのに何事か」と、アレルギーを持たれている時期があった。加害者向けのプログラムにおいて、加害者が自分の過去の傷つきを認めるということに拒絶反応が起こるのは、おそらく被害者加害者がすごく近くにいるからなんですよね。本人達が近くにいるというより、周りが両者を近くに置いている感じ。

 だから「加害者にも事情があったんだから許しなさい」と言われてるような感覚を被害者はどうしてもおぼえてしまうわけです。最近は、加害者変容について知られてきたので反発は少なくなりましたが。

中川:もちろん犯した罪の重さにもよりますが、僕は加害者批判が極限まで行くと、「何かをやらかした奴は殺す」という社会にしかならないと思うんですよね。人はみな、誰もが様々なものを抱えていて、問題を起こしてしまうことはある。そこで学び直せない、変われない、許されないのであれば殺すしかないという結論になり、普通に社会が崩壊すると思います。田房さんに攻撃的な文言を送る人も、その観点から見ると加害と言えますね。

田房:確かに、ある意味ではそう言えるかもしれません。そういう人にこそ、『キレる私をやめたい』を読んでほしいです。

加害者は「変われないモンスター」なのか

中川:社会的に加害者変容への信頼度が高くないのは、社会が持っているサンプルがものすごく少ないことが原因でしょう。実際、パートナーやお子さんとの関係が劇的に改善する人はたくさんいます。パートナーからお声をいただくこともあります。「加害者は変わらない」というのは事実誤認だと確信しています。

 ただ、変わるのが難しい、というのはそうだと思います。変われない理由の一つは、加害の定義が昔と変わっているから。たとえば経済的DVは50年前なら「当たり前」だったので、加害者からするとある日突然、加害者にされてしまった感覚で、そうそう変わることができない。

 さらに、そうした加害は基本的に被害者の声から発覚し、福祉や心理、または法の専門家などが社会問題にしていくので、加害者は最初は必ずモンスターとして扱われるんですね。加害者は変わらないし、変われたとしてもすごく確率が低いから、まずあなたの心身の安全を優先してくださいというのは援助の文脈では当然のことで、責められないです。

 それに、加害者が変われると言うと、被害者自己責任だと思ってしまう。私も悪かったのかもしれない、もっとこういうふうに関わったらあの人も変わったかもしれないのに、もっと頑張ったほうがいいかなと思ってしまう。

田房:そう、それで私も3年ほど前までは真剣に悩んでいました。「変われましたよ」っていう漫画なのに、「やらかしました」っていうところだけで猛烈に批判してくる人がいたから。なぜ一方的にこちらをモンスターのように扱って、話が通じないのかなと。

中川:ただ、加害者が増えてくると、加害者側のエピソードも出てきて、長い時間をかけて変わった人たちによって加害者変容の理論化がなされるようになる。そうなると、ようやく専門的プログラムや公的な支援が始まり、相手をモンスターだと責め続けることにあまり意味がないかもしれないという議論に移っていく。こうしたプロセスがあるのだとすると、田房さんや僕がやっている活動が一部で攻撃されるのは、「不可避」の過程なのかもしれません。こういう活動に取り組む人たち同士で、そういうしんどさを共有し合うことも大切かもしれませんね。。

田房:俯瞰してみたらプロセスとして、普通のことなんですよね。今の社会がそうだから。

被害者を支援する人は加害者を更生させられないという問題

中川:どのような社会問題でも、概ねプロセスは似てるんですよね。加害者の立場の人だって、攻撃されれば傷つくけれど、怒っている人たちに「そっちだって加害者だ」などというと泥沼化していく。そんなのは誰も望んでない。なので、僕たちみたいな立場の人間が自分の考えを発信することがすごく大事だと思っています。

田房:そうそう、あまりにもひどいのがあったら一応スクショしていますが、基本的には祈っています。何年か経って、私の漫画の内容を真に理解してくれる人が何人かいるだろうというところだけを希望に祈るしかない。それは、私が正しいと認めさせたいという次元とは違う話です。

中川:加害者変容を効果的に行うために必要なのは、「棲み分け」だと思います。
実際、DV加害者向けのプログラムはもともと、被害者支援をしていた側が主宰していることが多いんです。アルコール依存症の治療に取り組む中で、DVに気づいた人など。彼らは必ず「真のクライアント被害者だ」という。本当のクライアントは目の前にいる加害者じゃなくて、後ろにいる被害者のことを常に考えないといけないということです。

 心情的には、理解できるんです。それに、被害者支援の人が加害者を第一に考えたら、被害者支援ができなくなるんですよ。あんたはどっちの味方なんだってなる。被害者はボロボロで追い詰められているので、そういう方々を支援する上では、「あなたの味方です」というスタンスを明確にすることが大事だと思います。

 少年院入所者の更生支援をしてる人も、自分がもし直接の被害者であったり、または自分の家族を傷つけられたならば加害者支援は絶対にできないと言っていました。できるわけがないですしね。

 それぞれの傷つきやそれぞれの痛みをきちんと受け止めようとするときに、両方を同列で見るのは無理だと思います。専門家ですら不可能です。だから、GADHAには被害者側の方からもかなり多くの相談が来るのですが、それに応じることはできませんし、その資格もないと考えています。そのため、サイトに必ず被害者支援の団体や、ホットラインのリンクを載せているんです。

加害者は自らが負った傷を、他人に背負わせようとする

田房:なるほどですね。私もいろんなセラピーなどに行き、一番しっくりきたのは、「一度、被害者をやり切らないと加害者になれない」という話でした。

 自分がやらかしてしまったことはいったん置いといて、何でやらかしたのかという部分を掘り下げていくと、どうしても自分の過去の傷つき体験が出てくるんですよね。それを掘り進んでいく作業が必要で、やっとそこが何かに納得できたときに、自分の言動について客観的に考えられるようになる。

 それが一番の近道というか、むしろ自分が辛かったことを振り返らずに、しでかしてしまったことだけを直すのは無理だと思います。加害をいったん切り離して、自分を癒すことで最終的に統合していくのだと思います。

『孤独になることば』の46ページにある、「加害者であった自分が変容するほど、関わりたくないと思う人が増えた」という部分にも共感しました。これは、自分にとって嫌な人と関わっていたということですよ。人に嫌なことをしちゃうときって、自分も他の部分で傷ついているんですね。

 ここを読んで、昔、ハラスメントをされてた時のことを思い出しました。その人は相手が傷つくようなことでも自分が言いたかったら言っちゃう。相手から「どうしてそんなひどいことを言うの?」と聞かれると「事実を言っているだけ」と答える。金を多く稼いでる者がレベルが高くて、高レベルの人には従って、低レベルと認識した人にはすごく冷たい。そうした言動をする人がずっと謎だったんですが、パズルピースがハマったかのように理解できました。きっと、自信がなかったんだろうなと。

◆作り出されたヒエラルキーが加害を生み出す

中川:そもそも、自信をなくす原因は、この世界を役割と順位で捉える世界観ができてるからなのだろうと思います。低い順位につけられるのが恐ろしいから、誰もが上がることを駆り立てられる社会の中で、人は自信を失っていくと思うんですよね。

 フェミニズムがやってきたことは、まさに構造を壊すことでした。これまで世界は、女性という存在を妻や母、あるいは商品という形に定型化して落とし込み、「良妻賢母」などの役割を合意なく押し付け、さらに順位付けを行ってきた。そして順位が低いと恥ずかしく、無能であるという価値観を強要してきたわけです。そのように、罪悪感羞恥心を与えるコミュニケーション全てが僕は加害だと思うんですよね。

 そういう意味でいうと、『キレる私を止めたい』の中で一番大事なことだと思ったのが、「夫って、結構口うるさい人なんだな」という描写でした。被害者として描かれている旦那さんも普通に、雑な行動をとっているんですよね。

田房:そうなんですよ。自尊心がめちゃくちゃに下がっている状態のときは、夫は神様のように優れている存在であり、それに比べて自分は世界の誰よりも劣っていると思っていました。しかし、そこはやはり「妄想の言語化」(※)なんですね。

 現実をちゃんと見たら、別に自分も相手も普通の人。人に加害をしないためには、そこを捉えることがものすごく大事なのだと思います。

【田房永子】
1978年生まれ、東京都出身。漫画家コラムニスト。第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2012年、母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)を刊行し、ベストセラーとなる。ebook japanにて『喫茶 行動と人格』を連載中。

【中川瑛(えいなか)】
DVモラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。

【えいなか】
DVモラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティGADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッターえいなか

他者に危害を加えた人間が、自分の行いを心から反省するためには「幸せになること」が必要!? 


(出典 news.nicovideo.jp)