自民党に勝つためには、単に攻撃するだけではなく、立憲民主が実現したい政策やビジョンを明確にすることが大切だと思います。

立憲民主党は次期衆院選で「日本維新の会共産党とは選挙協力はしない」と宣言した。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「小選挙区で候補者を一本化するだけが野党共闘ではない。立憲が『自力で戦う』姿勢を示したことで、野党の存在感が高まる可能性がある」という――。

■なぜ野党は「○○できなければ辞任」と言いたがるのか

立憲民主党の泉健太代表が、次の衆院選で党が150議席を獲得できなければ辞任する考えを示し、論議を呼んでいる。案の定、メディアでは「150」という数字と「辞任」という言葉ばかりに大きな焦点が当たっている。

またか、というため息しか出ない。どうして野党のトップというのは、自ら望んでいるかどうかは別として「○○できなければ辞任」と言いたがるのだろう。泉氏1人の問題ではないが、野党はいい加減、この文化から決別してほしい。

筆者が「できなければ辞任」論法を好まない理由は、結果として野党党首の首のすげ替えが頻繁に起きるため、リーダー級の政治家がなかなか育たず「政権交代可能な2大政党制」の実現に対する阻害要因となりかねないことだ。

衆院選がきちんと4年の任期ごとに規則的に行われるなら、まだいい。しかし、現在の日本では、おかしな憲法解釈のせいで、時の首相が自分にとって都合の良い時に衆院を解散できる。野党は、わずか4年の衆院議員の任期すら満たさない短いサイクルで、しかも自分たちにとって都合の悪い時に総選挙を戦わなければならない。現在も岸田政権が「主要7カ国首脳会議(広島サミット)で政権を浮揚させた上で衆院を解散する」というシナリオが、永田町ではまことしやかにささやかれている。

■リーダーシップを持った政治家が育たない

このような環境で野党が衆院選で勝つのは、並大抵のことではない。そして、そのたびに野党党首が「勝てなかったから辞任」を延々と繰り返していては、次々とリーダーの首がすげ替わり、野党において指導的立場の政治家を育てるのは難しくなる。そしてそのたびに、党の勢いも振り出しに戻る。野党にとってこれほど非生産的な話はない。

政党が選挙において、議席の獲得目標を掲げることは否定しない。だが、代表がみすみす「できなければ辞任」という「負のパワーワード」を口にすればどうなるか。「目標に達しない可能性」の方に、より焦点が当たってしまう。「立憲下げ」に夢中のメディアが「選挙後は野党政局だ」とネガティブな発信を繰り返し、結果として政界の空気がそちらに引っ張られる可能性もある。

こうしたデメリットまで勘案した上で、泉氏には慎重な発信を心掛けてほしい。

■これまでの野党共闘は他党に頼り過ぎていた

もっとも、この発言と並んで泉執行部が打ち出した次期衆院選への姿勢はなかなか興味深かった。次期衆院選において「日本維新の会共産党とは選挙協力をしない」と宣言したのだ。これは「立憲が純化を図っている」ということではない。「立憲がようやく、自力で選挙を戦う気になってきた」ということだ。

ここ2年ほどの立憲の選挙における「弱さ」の原因の一つに「他力本願的な姿勢」があったと、筆者は考えている。結党直後の衆院選で、壊滅寸前の絶望的な状況から野党第1党の座を勝ち取った時のような「自力で勝ち抜く」たくましさが、野党「共闘」が自己目的化するなかで薄れていたのではないかと。

小選挙区制の衆院選を戦う上で、非自民勢力ができるだけ候補者を一本化して戦うことに、死活的な意味があるのは確かだ。しかし、候補者一本化を目指して他党と選挙協力を進める際に、野党を牽引すべき立憲のなかで「他党に頼る」態度が一部でみられたことは否定できない。他党の候補擁立を想定して自らの候補擁立を手控えたり、勝ちを見込めない「保守王国」の選挙区を他党に押し付けたり、そういう姿勢はなかっただろうか。

立憲との選挙協力に期待する中小野党の側にも「立憲だけでは自民党に勝てない。協力してやるからこちらの主張を受け入れろ」という、いささか強気過ぎる考えはなかっただろうか。

「共闘」をめぐる野党間の駆け引きが伝えられるなかで、立憲に、ひいては野党全体に「ひ弱な弱者連合」という印象を与えてしまった可能性がある。

■小政党への配慮で「目指す社会像」がぼやけた

もっと良くなかったのは、立憲が選挙協力にあたって、個別政策面でも他党との妥協を余儀なくされたことだ。

国民民主党の多くの議員を迎え入れた2020年秋ごろまでは、立憲は「政党間の合従連衡にはくみせず、『支え合う社会』という自らの旗印の下に仲間が結集する」という明確な意識があった。だからこそ、結党から2年ほどは、周囲の「野党はまとまれ」論にあえて背を向け、自力での党勢拡大を目指していたのだ。

しかし、その後他党との協力を模索する段階で、旗印を掲げる役割が立憲から市民連合に移り、野党各党の立場は、政党の大小にかかわらず「同格」になった。逆に「大政党は小政党に配慮するのが当然」などと言われ、立憲が対応に苦慮する場面が目立ち始めた。

しまいには、本来の立憲の旗印だった「支え合う社会」とは微妙に矛盾する「時限的な消費税減税」まで共通政策に盛り込まれた。他党がそこを強烈に主張したことで、立憲の「目指す社会像」はますます見えにくくなった。

「4年で政権選択選挙に持ち込む」ためには仕方なかった面もあるだろう。しかし、立憲が何のために自力での党勢拡大を目指してきたのか、最後はよく分からなくなっていた面は否めなかった。

■「自力で戦う」姿勢を忘れていた

21年衆院選の後、立憲には「野党『共闘』は失敗だった」との批判が、散々浴びせられた。実際には多くの小選挙区で自民党と相当な接戦になっており、戦術面での候補者一本化の効果は確かにあったので、立憲がこれらの批判を丸ごと受け入れる必要はない。

しかし「共闘のあり方」には、明らかに見直すべき点があった。それは野党が「多弱連合」から脱し、立憲を中核に据えた上での「構え」の陣形を作らなければならない、ということだ。「共産党と組んで左に寄りすぎたから、次は維新と組んで右に振れるべきだ」とか、そんなことでは全くない。

以前にも指摘したが、民主党が下野した2012年以降、野党第1党としては衆院に最多の議席数を持ち、第2党(日本維新の会)との議席差も最も広がった。歩みは遅いとはいえ、立憲は実際に「野党の中核」の位置に近づきつつある。

にもかかわらず、外野から散々「党勢低迷」を喧伝されてきた影響なのか、立憲は前回衆院選の後、長らく「自力で戦う」姿勢に転換できずにいた。他党との選挙協力の可能性を意識して、候補者擁立が大きく遅れていたのが良い例だ。

■立憲の姿勢を変えた「千葉5区補選の激戦」

こうした党の姿勢を反転させたのが、4月の衆参統一補選だったのではないかと筆者は考えている。例えば千葉5区だ。野党候補が乱立し「自民圧勝か」と言われた選挙で、立憲は野党候補の中で頭一つ抜け出し、当選した自民党候補と大接戦を演じた。目下の「野党内ライバル」である維新の候補には、ほぼダブルスコアの差をつけた。

世間的には「立憲惨敗」と呼ばれる統一補選だが、野党内の力関係に焦点を当てれば、立憲は「野党の中核政党として、単独でも自民党の対立軸になり得る」ことを示したとも言えるのだ。

統一補選の後、立憲は、大きく滞っていた「自力での候補者擁立」にようやくかじを切った。候補者擁立の目標を、これまでの150から200に引き上げた。遅すぎた感はあるが、良い傾向であると認めたい。

■「独自候補擁立」のほうが野党内での求心力を生む

立憲の方針転換は、実際に他の野党に影響を及ぼしている。

立憲に対し近親憎悪的な態度で臨んでいた国民民主党の榛葉賀津也幹事長は5月12日、連合の清水秀行事務局長に対し「立憲も200人(擁立)を目標に頑張るというから、協力できるところは協力したい」と、選挙協力に前向きな姿勢を示した。

立憲が泉体制になって以降「共闘」に距離を置き気味だった共産党志位和夫委員長は20日、立憲との共闘構築へ協議に入りたい考えを示した。小池晃書記局長は22日の記者会見で「泉氏の態度が変わらないのであれば積極的な(候補者)擁立を進めていく」と立憲をけん制したが、「共闘の話し合いは門戸を閉ざさず求めていく」姿勢は変わっていない。

面白いことに、立憲が「独自で候補擁立」をうたったほうが、かえって野党内での求心力を高める結果を生んでいるのだ。

自ら戦って勝ち、野党の中核としての立場を確立することで、初めて求心力が生まれ、他党も引き寄せられる。その結果、衆院小選挙区では立憲の旗の下で候補者の一本化が進み「大きな構え」が構築される(比例代表では野党各党がそれぞれの旗印の下に戦うのは当然だ)。中小野党やその支持者には納得しにくいだろうが、こういう「構え」を構築できなければ、野党に力強さは生まれない。

次期衆院選における野党「共闘」は、そんな形を目指すべきだろう。

■地域事情も考慮して選挙戦を戦えばいい

立憲が自民党に対する「政権の選択肢」であり続けるためには、目指す社会像を異にする維新との「野党第1党争い」に決着をつけることが不可欠だ。そのためには、立憲自身が多くの小選挙区で候補を擁立し、維新との直接対決で勝たなければならない。

立憲の空白区を多く残してしまえば、そこに維新が候補を擁立し、野党票をかっさらっていくつかの議席を獲得する。維新の小選挙区での伸長を許すことになりかねないからだ。維新が自民党に勝利した4月の奈良県知事選や衆院和歌山1区補選では、いずれも立憲系の候補者がいなかった事実を忘れてはいけない。

他の中小野党も、そのことを踏まえた上で次の衆院選の戦い方を決めるべきだ。「自分たちの望む社会を実現するには、立憲と維新のどちらが野党第1党であることが望ましいのか」という命題をそれぞれが考えた上で、自らの判断で選挙戦略を決めれば良い。

党中央で一律の選挙協力を決めるのではなく、協力のあり方はそれぞれの地域事情で最も良い形を選べば良い。選挙区によってはあえて競合して切磋琢磨(せっさたくま)するなかで、それぞれの比例票を伸ばす戦いがあってもいい。

一つ言えるのは、21年の前回衆院選のように、外部の団体によって大小の野党が同じ立場で手を結ぶような選挙協力の形は、おそらくもう古い、ということなのだ。

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尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)。

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参院大分選挙区補欠選挙で応援演説に立つ立憲民主党の泉健太代表(左)(写真=Noukei314/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)


(出典 news.nicovideo.jp)