次の世代に伝えたい

「天皇制を潰して、共和国にしようと思った」知られざる“渡辺恒雄の共産党時代” から続く

 読売新聞グループ代表取締役主筆を務める渡辺恒雄氏、96歳。戦後政治の表も裏も目の当たりにしてきた“最後の生き証人”とも言われる。この渡辺氏へのロングインタビューを元にしたノンフィクション独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた~』が刊行された。

 本書はNHKスペシャル渡辺恒雄 戦争と政治~戦後日本の自画像~』(2020年8月9日放送)などを元に、番組をディレクターとして制作 したNHKの安井浩一郎氏が書き下ろしたノンフィクションだ。同著より一部抜粋してお届けする。戦争を知らない人間が多数派になる中、渡辺氏が語った使命感と焦燥感とは?(全2回の2回目/前編を読む)

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「戦争のことはね、書き残していかないといかんのだよ」

 自らを「戦争体験者の最後の世代に属する」(※1)と語る渡辺は、戦争の記憶が社会の中で薄れゆくことに強い危機感を持っている。2005(平成17)年には、1年間にわたって戦争責任を問う「検証 戦争責任」の連載を自ら主導した。この大型連載では20回を超える特集記事が紙面に掲載され、満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争に至る経過や原因の分析が行われた。さらには当時の政治・軍事指導者たちの責任の所在についても検証された。

 渡辺はこの連載を主導した理由について、日本人自身による戦争責任の検証は少なくとも国や公的機関では行われておらず、日本人が自らの手で戦争の責任をどう認識するかの材料を提供するためであると、連載を再録した書籍の中で述べている(※2)。インタビューでも、戦争について語り伝える使命感と焦燥感を語った。

「戦争責任の検証を連載までしたのは、若い人たちに、戦争を知らなかった人たちに、戦争を知らせないといかん、戦争犯罪、戦争責任は何か、このキャンペーンをやんなきゃ進まんというのが僕の気持ちだから。まあヒラ社員のときはできないわね。編集の実権握ってから『やれ』と言って、遅ればせながらやったと。もうみんな知らないんだから。戦争犯罪も知らない人が多いんだから、記者にも」

――自ら戦争を知る世代のジャーナリストとして、それが薄れていくことに楔を打たなければならないという使命感は、ずっとお持ちでいらっしゃった。

「もちろん。もはや日本人にね、戦争経験を持たない人のほうが多い。戦争のことはね、書き残していかないといかんのだよ。しゃべり残し、書き残し。まだね、まだ伝え切れていない。だからちゃんと伝えないといかん。だから伝えている。僕はそのつもりだ」

 その上で、戦争で人々が塗炭の苦しみを味わった昭和の悲惨さと、平和を享受した平成という時代を対比して語った。

「昭和といったらね、いいこと1つもないね。戦争をおっ始め、負けた。平成の30年は戦争1度も起きなかった。今こんないい国になってるんだから。いい国ですよ、戦後の、平成の日本は30年間」

 渡辺は戦争と歴史認識の問題について、具体的な提言を行っている。靖国神社参拝問題については、「侵略した加害国と侵略された被害国の政治的なシンボル」となっているとして、A級戦犯の分祀がなされない限り政治的権力者は公式参拝すべきでないと述べている。

 その上で、日本政府は歴史認識として戦争の非を認めた上で、加害者被害者の分別を概念的に確定し、歴史認識についての道徳的基準を義務教育教科書に記述し、国際政治的にこの問題に終止符を打つべきと主張する。

 一方で諸外国に対しても、アメリカによる空襲や原子爆弾による民間人の大量殺害、中国が国共内戦や文化大革命で多くの自国民を殺傷したとされること、ソ連による終戦期の日本侵攻やシベリア抑留についての歴史認識などについて、問題提起を行っている。(※3・4)

減する戦争体験世代

 これまでの渡辺の証言から浮かび上がってきたのは、戦後政治を主導した政治家と市井の人々が共通して持っていた戦争体験と、その体験を元にした戦争への認識を基盤に、戦後日本が形成されていったという側面である。昭和期は、政治家の多くが戦争体験を持ち、戦争を忌避する感情は、立場は違えど保守陣営、革新陣営に共通するものがあった。

 しかし終戦から77年が経過した現在、戦争の記憶は社会の中で薄れつつある。戦後生まれの割合は日本の総人口の86%(※5)に上り、戦争体験を持たない人々の割合が圧倒的多数となっているのだ。終戦時に18歳以上だった明治・大正生まれの世代に至っては、人口の0.5%に過ぎない。

 さらに私が調べていて驚愕したのは、戦争の時代を経験した国会議員の割合が、平成期にかけて劇的に変化していることだ。『国会議員要覧』に記載されている全国会議員の生年月日を確認・集計してみると、その変化は数値に歴然と現れていた。

 1989(平成元)年には、戦前生まれの政治家の割合は衆参合わせて748人のうち710人、実に95%に上っていた(※6)。当時の最年長議員は、1902(明治35)年生まれで、かつて大野伴睦派に属し自治大臣や衆議院議長を歴任した福田一(当時87歳)だった。

 明治生まれの議員ですら、1904(明治37)年生まれで内閣官房長官や防衛庁長官を歴任した赤城宗徳(当時84歳)、1905(明治38)年生まれで総理大臣を務めた福田赳夫(当時84歳)ら30人を数え、4%を占めていた。戦争の最前線に立たされてきた大正生まれの世代も、265人と35%に上った。これに対して戦後生まれの政治家の割合は、わずか38人、5%であった。ちなみに最年少は1957(昭和32)年生まれの石破茂(当時32歳、1期目)だった。

 これが平成中盤の2003(平成15)年には、戦後生まれの割合は48%と、戦前生まれの割合と拮抗してくる(※7)。さらに2022(令和4)年となると、戦前生まれの政治家の割合は衆参合わせて712人のうち14人とわずか2%弱となり、戦後生まれの政治家の割合は実に98%に上っている(※8)。

 終戦時に5歳以上とある程度の記憶があったと思われる議員に限ると、1939(昭和14)年生まれの元自民党幹事長の二階俊博1人しか存在しない(※9)。平成生まれの議員ですら2人誕生している。

 平成期の30年あまりで、戦前生まれの政治家の割合は、95%から2%へと釣瓶落としのように激減し、ほぼ雲散霧消してしまったのである。まさに平成期が、戦争経験を持つ戦前生まれの世代と、戦争経験を持たない戦後生まれの世代が、国政の現場で入れ替わる転換期となっていたことを読み取ることができるだろう。

「共通基盤」なき時代へ

 時間の経過によって、否応なく戦争体験から遠ざかっていく日本社会。渡辺と戦後政治についての考察を聞かせてくれた専門家は、戦後の日本人が共有してきた大切な価値観まで薄らいでいくことはあってはならないと指摘する。

 作家の保阪正康は、戦争体験によって、戦後の時代と人物が形成されていったとして、渡辺と中曽根の現実主義的思考様式を評価する。

「戦争体験が人を作っていった時代が、戦後の日本だと思います。渡辺さんも戦争体験の中でつくられた1人の人間です。戦後日本が戦争をしないという意思を持って、その意思自体が政治的立場にかかわらず、国家の1つの柱になっていたのは、彼らがいたからです。

 しかし渡辺さんに象徴されていた戦後という時代が、今終わりつつあるということでしょう。この終わりつつあるものを次の時代がどういうふうに継承できるか、我々自身の能力と歴史に対する向き合い方が問われていると思いますね」

「私たちの国は、どうあれプラグマティック〔現実主義的〕にならなきゃいけないというのが、あの戦争から学んだ最大の教訓ですよ。現実の中で物を考え、分析するということが必要なのに、軍人たちはある種の神話や虚構の世界に入り込んで、あの戦争を進めた。あの戦争が虚構の産物だったっていうことを、私たちは戦後の歴史の中で実証していかなきゃいけない。

 だけど実証をしていく前に、実は渡辺さんや中曽根さんたちはやっているんです。『プラグマティックに物を考えなきゃ駄目なんだ』ということを。それを支えているものは何かと言ったら、彼らが共通して持っている戦争体験です。あの世代は、戦争体験を元にプラグマティックに物を考え、現実的に物事を処理してきた。

 だけど今の政治は、プラグマティックだけでやって、支えになる思想や背景を固めていないから、糸の切れた凧のようにフラフラしているのではないかと思います。そうならないようにするためには、私たちは根っこを作っていかなければならない。もう一度、戦争体験を持つ政治家たちが語った言葉を、根っこにしていく努力をすべきだと思います」

 東京大学名誉教授の御厨貴は、戦争体験が戦後日本社会の「共通基盤」となっていたとして、それが失われつつあることが、政治の議論の幅を狭めていると指摘する。

戦争体験を持つことの意味

「戦争体験を持つ政治家たちが、戦後政治を担ったことの意味は大きいです。戦後日本が、括弧付きかもしれませんが平和主義を歩んで、保守の自民党でさえ憲法改正を事実上は凍結してしまったこと、そういうことに全部表れていると思いますね。

 戦争体験を持っている人にとっては、色々なことが言えたわけですよ。戦争体験から皆が話をしたときには、生活も入れば、文化も入れば、そのときの『嫌だったな』という感情も入れば、物すごく議論そのものが豊かになるんですよ。

 ところが、今や戦争体験を持つ人がほとんどいない。戦争というものを抽象的にしか捉えられない、あるいは論理的ゲームの段階でしか捉えられない。そういう人たちがどんどん増えてくる。だから戦争を経験しない世代の中から、日本の戦争を肯定するような議論が、論理の問題としては出てくるんです。かつては戦争を語るときに、体験に基づいたある種の感情や具体的な場面というものが力を持ちましたが、今やそれがない。だから、戦争体験という共通の体験がなくなることが、政治の議論を狭くしていることは間違いない」

「政治の議論というのは、基盤になるものが広くないと駄目なのです。だけどそれがどんどんなくなって、政治家にも官僚にもないということで、現在の行き詰まりのような現象が起きていると思いますね。だから、渡辺さんが常に戦争のことについて振り返るというのは、今や稀有だけど、大事な姿勢なのです。

 これからの日本は、ものを語っていく上で大変ですよ。戦争に代わるものとして何を、皆が知っている土俵の中で議論をやっていくのか、その共通のベースがない。だんだん歴史というものが、日本人の頭の中から希薄化してきている。それをもう一遍きちんと整理することが大事です」

1 渡辺恒雄安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』」『文藝春秋2014年9月号、文藝春秋、261頁。
2 読売新聞戦争責任検証委員会『検証戦争責任 下』中央公論新社2009年301302頁。
3 渡辺前掲「安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』」256、260―264頁。
4 渡辺恒雄、保阪正康「『戦争責任』とは何か」『論座』2006年11月号、朝日新聞社、137頁。
5 総務省統計局「人口推計」(2021年10月1日現在)より。戦後生まれの人口は1億815万4000人となり、総人口に占める割合は86.2%である。
6 『国会議員要覧』国政情報センター1989年8月版を元に筆者集計。
7 『国会議員要覧』2003年8月版を元に筆者集計。
8 『国会議員要覧』2022年8月版を元に筆者集計。
9 麻生太郎と尾辻秀久は1940年生まれだが、8月15日より後の生まれのため、5歳以上に含めず。

(/Webオリジナル(外部転載))

読売新聞主筆・渡辺恒雄氏 ©文藝春秋


(出典 news.nicovideo.jp)