記録を移管などしないのかな。

《神戸家裁資料廃棄問題》「犯人は少年Aじゃない」裁判資料の廃棄が“陰謀論”を容易に招くと、ジャーナリスト・江川紹子が危ぶむワケ から続く

 一方、検察庁で保管される刑事事件の裁判記録はどうなっているのか。

 1980年代に、著名な刑事裁判記録が廃棄されていることが明らかになり、弁護士らが適切な保存を求めて運動を展開。その後、刑事確定訴訟記録法が制定され、刑の軽重などにより、判決と記録の保管期間が定められた。

社会的に著名な事件が残るとは限らない

 死刑や無期懲役刑が確定した事件の場合は、判決は100年、それ以外の記録は50年間保管される。一方、罰金刑の場合、判決は20年だが、記録の保管期間は3年だ。無罪判決の場合、なぜか有罪の場合より保管期間は短い。有期刑で有罪の場合は判決の保管期間は50年だが、無罪だとわずか5年。

 ただし、刑事法制や犯罪に関する調査研究の重要な参考資料になると考えられる場合は、法務大臣が「刑事参考記録」に指定して、永久保存することも可能だ。昨年末の時点で、刑事参考記録として保存されている事件は891件ある。

 しかし、基本的には法務・検察当局が重要と考えるものを残すので、社会的に著名な事件が指定されるとは限らない。

 最高裁が現行憲法下で初めて違憲立法審査権を行使し、両親や祖父母などの尊属を殺害した場合は通常の殺人よりも重く罰する刑法の「尊属殺人罪」は法の下の平等に反するとして、違憲の判断を下した「栃木実父殺し事件」の記録は、すでに廃棄されている。

 バブル経済が崩壊した後に経営破綻に陥った日本長期信用銀行や日本債券信用銀行の経営陣の刑事責任が問われた事件では、いずれも無罪が確定しているが、両事件とも刑事参考記録には指定されず、廃棄されている。

裁判記録の保存について関心を持ったきっかけ

 そのほか、「特別処分」と称して法律の枠外で、検察が記録を残している事件もある。その数は明らかにされておらず、閲覧など国民の利活用の道は閉ざされたままだ。

 重要な刑事裁判記録が廃棄されているとの指摘を受け、当時の上川陽子法相は「刑事参考記録」に指定する事件の指定範囲を拡大し、指定する判断基準を決めたほか、外部の声を聞くなどの改善策をとった。

 私が裁判記録の保存について最初に関心を持ったのは、刑事事件の記録についてだ。この問題に関心を寄せるジャーナリストや研究者らと共に勉強会を持ち、時と場合によって、法務省最高裁に請願などの形で申し入れを行ってきた。

 重要な民事事件の記録が大量に廃棄されていると分かった時も、最高裁に請願を行っている。だからこそ、その時に少年事件についても目配りできなかったことは、今になると本当に悔やまれる。

 一方、私たちの活動もいくつかの実を結んだ。それは、たとえばオウム真理教事件の全件永久保存であり、刑事参考記録リスト公開だった。

記録は利活用できなければ意味がない

 オウム事件では、192人の信者が起訴された。教祖やサリンの製造に関わった幹部、地下鉄サリン事件坂本弁護士一家殺害事件の実行犯など13人の死刑が執行され、無期懲役刑が確定した5人が今なお服役中だ。そうした重罰を科された者以外に、様々な薬物密造や拉致・監禁などの犯罪に、多くの信者が関わっていた。そうした末端に近い信者の行為も含めて、オウム事件なのである。その全貌を示す公式の記録を歴史史料として後世に残し、事件を直接見聞きしていない人たちが検証できるようにしておくことは、事件当時を知る者の責任だと思った。

 教団の後継団体アレフは、教団の組織的犯罪を認めず、信者には「オウム事件はすべて濡れ衣」「サリン事件もデッチ上げ」などとふき込んでいる、と聞く。また、ネット上にも、その種の陰謀論が存在する。今後数十年経てば、私を含め、実際に裁判を見て、犯罪に関わった信者たちの証言を直接聞いてきた者はこの世からいなくなる。そうなった時にも、裁判記録が残り、事件に関心ある人がアクセスできるようになっていれば、歴史は陰謀論に曲げられることなく、正しく伝わるだろう。

 それを考えれば、記録は単に保存しておくだけでなく、利活用できなければ意味がない。そのためには、まずどのような事件が刑事参考記録として永久保存されているのか知る必要がある。しかし、私が情報公開請求で刑事参考記録リストを求めても、開示されたのはほとんどの項目が黒塗りの“ノリ弁”文書だった。

刑事裁判記録の移管が進まない理由

 この問題でも動いたのは上川法相だった。2008年8月にはオウム事件全記録を永久保存することを決めて、記者発表した。刑事参考記録リストについても、公開するよう指示を出した。その後、罪名、確定年、刑名、刑期に加え、いわゆる事件名を含めて法務省のホームページで公開されるようになった。

 とはいえ、記録の利活用は、まだまだだ。

 アメリカの公文書館で発掘した司法文書などを踏まえて書き下ろした『秘密解除 ロッキード事件』(岩波書店)で司馬遼太郎賞を受賞した朝日新聞記者の奥山俊宏さん(現・上智大教授)が、同事件の刑事参考記録の閲覧を申し込んだが許可されなかった。

 私が、今なお保管期間中のオウム事件死刑囚の記録の一部の閲覧を申し込んだ際にも、「確定から3年以上が経過している」ことを理由に断られた。その後、時期を置いて再度閲覧請求をしたところ、認められたが、かなり待たされたうえ、黒塗りされた部分がある。黒塗り作業をする間、待たされていたのだろう。

 こうした刑事記録も、法律が定める保管期間を過ぎたら、国立公文書館に移管すべきだ。民事の判決原本と異なり、刑事裁判記録の移管は遅れている。軍法会議の記録は谷垣禎一法相時代に国立公文書館に移管され、閲覧も始まっているが、一般の刑事事件については、上川法相の時に決まった明治期前半(治罪法時代)の刑事参考記録の移管が試行がされている最中。国立公文書館で見ることができるのは、明治20年に群馬県で妻を毒殺した男の事件1件だけで、なかなか次のステップに進まない。

裁判の公開と公文書開示に閉鎖的な日本

 確かに、裁判記録は関係者のプライバシーに関する情報が多く含まれている。扱いに十分な配慮が必要だが、一方で裁判の公開は憲法でも定められている。裁判記録の開示は、裁判公開原則を補うものであることは、国も認めている。それを考えれば、検察が独自の判断で閲覧不許可や墨塗箇所を決めたりするのではなく、プライバシー部分を含む歴史的文書の保存と管理のプロである、国立公文書館のアーキビストたちにできるだけ早く委ねるのが望ましいのではないか。

 裁判の公開と公文書開示が徹底しているアメリカでは、記録などもできる限りオープンな仕組みになっている。刑事手続きに関しては、インターネットを利用し、クレジットカードの登録をすれば誰でも記録が入手できる「ペイサー」という仕組みがある。

 記憶に新しいのは、カルロス・ゴーン元日産会長の国外逃亡を助けた米軍特殊部隊の元隊員とその息子がアメリカ国内で身柄拘束され、いつ日本に移送されるかに関心が集まっていた時期、記者たちは東京地検特捜部が米司法省に送った捜査関係資料をペイサーを利用して入手した。NHKは、この仕組みを使って容疑者親子の日本国内での動向の一部始終が記録された大量の防犯カメラ画像や、ゴーン元会長の銀行口座の取引記録などを入手した経緯を報じた。容疑者自身が以前に受けた裁判の記録を入手して、その人間像を報じた新聞社もあった。

 一挙にアメリカ並みにするのは無理でも、あまりにも閉鎖的で、検察の恣意的な判断が働いている日本の現状は、やはり変えなくてはならないと思う。

『憲法判例百選』に載っている事件の記録を問い合わせると…

 最近、裁判記録を残す意味を考えさせられる出来事があった。

 都内の私大法学部2年の学生(ツイッターアカウント名「学生傍聴人」、ここではAさんとしておく)が、オウム真理教に対する解散命令事件の記録を閲覧したいと考え、事件を担当した東京地裁民事8部に問い合わせた。大学の憲法の授業で、この解散命令について学んだことがきっかけだった。

「まだ教祖の裁判が始まっていない段階で、どのような経緯で判断がなされたのか知りたいと思いました」(Aさん

 ところが数日して、同地裁から「廃棄済み」との回答を受けて仰天した。

「『憲法判例百選』にも載っている事件なのに、まさか捨てられているとは……。ショックでした」

 Aさんは、地下鉄サリン事件より後に生まれた世代だ。だが、小学生の時にオウム事件に関するドキュメンタリー番組をテレビで見て以来、この事件に関心を持ち続けている。高校生になると死刑囚が書いた本なども読むようになり、裁判傍聴も始めた。最近はオウム事件関連の行政文書を情報公開請求したり、オウム刑事裁判記録の閲覧を請求したりして、自身の研究を進めていた。

Aさんが記録の廃棄についてツイートすると、拡散されて話題に

 私は、横浜の神奈川大学で「社会と人間」という講座名でカルト問題を教えているのだが、Aさんは単位互換制度を利用して、この授業を受講。毎回最前列で聴講する、熱心さだった。そんなAさんは、裁判の記録についてこう語る。

裁判所がちゃんと残しておくことに、意味があると思うんです。日本の社会は、いろんな事件があるたびに、コツコツと裁判をやったり、法律を作ったりして、今があるわけですよね。僕たち若者は、オウム事件など昔の裁判を見ることはできない。だから、記録を見ることで、追体験したり学んだりしたいんです」

 私は、オウム事件に関わってきた1人として、Aさんなど事件後に生まれてきた人たちにこの記録を残せなかったことを、本当に申し訳なく思う。

 Aさんツイッターで記録の廃棄を報告した。それが拡散されて話題となり、マスメディアも相次いで記録廃棄を報じた。メディアが関心を持ったのは、まさに今、解散命令請求を視野に、世界平和統一家庭連合に対する文部科学省の調査が行われているからだろう。

「法令に違反し、著しく公共の福祉に害する行為をした」との理由で解散命令が出されたのは、オウムが最初。政府が当初、旧統一教会に対する調査に消極的だったのは、このオウムに対する高裁決定の中にある、「刑法等の実定法規の定める禁止規範または命令規範に違反する」という基準に縛られていたためだ。

「時期が来たら捨てる」から「基本的にはまず残す」へ

 今の政府をも縛る基準は、どのような主張や証拠によって導き出されたのか。記録には、解散命令を請求し、様々な証拠を出し、主張を展開した東京地検や東京都が出した書面なども綴じられていたはずだ。ところが、記録が廃棄されているために、それが確認できない。それどころか、解散命令の決定すら、原本はすでにないのだ。

 オウムに次いで解散命令が出された和歌山県の「明覚寺」の事件も、和歌山地裁が記録を廃棄していた。参考になるだろう2つの前例の記録がいずれも廃棄され、統一教会に対する判断は、何もない状態から行わなければならない。

 ちなみに、過去に行われた旧統一教会関連の刑事裁判の記録も、すでに廃棄されている。裁判記録の廃棄は、歴史史料の廃棄であり、先人たちによる判断の過程という歴史を捨てることに等しい。

 今後、この愚を繰り返さないためには、民事、刑事、少年事件ともに、裁判記録は今のような「時期が来たら捨てる」から「基本的にはまず残す」へと、原則の転換が必要だ。特に残すものについて検討するのでなく、捨てる時に「本当に捨てていいか」を責任ある立場の人がチェックする。そのうえで残した記録を国民がもっと利活用できるようにする。「国民共有の知的資源」としての司法文書のあり方を、今度こそ考える機会にしてほしい。

(江川 紹子/Webオリジナル(特集班))

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(出典 news.nicovideo.jp)