本当であれば、兆候が現れる。実際にはなかった。

(数多 久遠:小説家・軍事評論家、元幹部自衛官)

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 ロシアが昨年(2021年)夏にウクライナではなく日本攻撃を準備していたと米ニューウィーク誌が報じ、大きな話題になっています。11月24日英語版に掲載され、翌日の25日に日本語版に転載されました。

 以下では、この情報が信じるに値するものなのか検討するとともに、なぜ今こうした報道が行われているのかについて考えてみたいと思います。

「日本侵攻」計画の情報源は?

 情報源となったのは、ロシア連邦保安庁(FSB)内部にいる者からの告発メールです。

 FSBは、プーチン大統領がかつて所属していたKGBの後継組織であり、ウクライナ侵略にも大きな影響を与えている組織です。ロシアの国家的な決定に関して軍以上の発言力を持っており、現状ではプーチン大統領個人に次ぐ権力機構と言っても過言ではありません。そのFSB内部からの告発メールであれば、不用意に看過することはできない情報と言えます。

 ただし、このメールの存在は今年3月の時点で明らかになっており、新たな情報があったのかなど疑問も残ります。この点については、後ほど述べたいと思います。

 内容としては、昨年8月の時点で、ロシアが日本に対する局地的な武力攻撃を計画していたというものです。北方領土に近い北海道東部への攻撃が念頭にあったものだと思われます。

日本侵攻計画は事実だったのか?

 ロシアは、ウクライナへの大規模な侵攻を今年(2022年2月24日に開始しましたが、その準備は昨年の春から始まっています。当初は小規模なものと思われていましたが、夏頃から集結の度を高め、欧米の一部で警戒が高まるようになります。

 その頃は、私も大規模な侵攻につながるとは思っていなかったので、懸念を伝える声を耳にしても考えすぎだろうと思っていました。しかし、その後も増強が続き、11月にはかなり怪しい雰囲気となります。12月には、私もロシアがなにがしかの軍事行動を起こすことは間違いないと思うようになり、1月には、ロシアウクライナへの軍事力行使を押しとどめるため日本も行動すべきという記事を書きました(「ロシアのウクライナ侵攻に備えよ! 日本が今すぐすべきこと」)。

 2月24日に始まった、ロシアによるウクライナへの侵略は、1年近くもの間、準備が行われ、その行動は諸外国から観測され続けていました。

 昨年8月に計画されたというロシアの日本への武力攻撃が真実であれば、それが日本やアメリカによって確認されていないということは、あり得ません。

 計画されていた攻撃が局地的なものであり、ウクライナ侵略ほどの規模ではなかったとしても、海を渡らなければならないこともあり、艦船を含め動かす部隊は多くなります。観測から漏れるということはあり得ません。衛星が定期的に上空を通過するなど各種の偵察手段が稼働する現代において、奇襲着上陸など成立し得ないのです。

 もちろん、数人の特殊部隊が潜入するといった程度であれば、極秘に準備を進め、奇襲的に実施することは可能です。しかし、そんな作戦で実行可能なのは、特定の人物を暗殺する程度でしょう。いわば破壊工作の類であり、局地的な軍事紛争と呼べるようなものにはなりません。

 近年、北方領土では、ロシアによる対艦ミサイルの更新など軍事力の増強が行われていました。ただし、配備されている装備、部隊の性格を考えると、対日攻撃よりも、日本による北方領土奪還作戦を警戒しての防衛的なものが多い状況でした。

 それは、中国による台湾や南西諸島攻撃を警戒し、対艦ミサイルを配備した防衛省と同種の行動です。昨年夏前後を見ても、ロシア軍による侵攻のためと思われる装備や部隊の増強は確認されていません。

 以上のことから、私は報じられている日本侵攻計画は存在していなかったと考えます。

 ただし、FSB内部には、その欲求はあったでしょう。先に述べたように、ウクライナ侵攻のための戦力集中は、昨年夏には既に進行中でした。ロシアが、この“特別軍事作戦”を成功させるために西側各国の目がウクライナに向かうことを阻害したかったという欲求は理解できます。少ないリソースだけで、世界の目を日本に向けることができたのなら望ましいと考えた可能性はあります。

 ですが、海を越えなければならない対日作戦には、多大なリソースが必要となります。欲求はあったものの、コスト(軍事的リソース)がパフォーマンス(目標がウクライナであることの欺瞞)に見合わなかったため、断念せざるを得なかったとも考えられます。

メールは偽物なのか?

 実際には対日武力攻撃計画は存在しなかったのだとすれば、メールの内容は誤りであり、メール自体が偽物である可能性を考えなければなりません。

 しかし、このメールは、非営利のオシント(オープンソースインテリジェンス)情報機関べリングキャット代表のグローゼフ氏が、確認のためFSB関係者に見せたところ、FSB関係者が書いたもので間違いないとの回答を得ているそうです。

 私は元自衛官です。自衛隊メール表記様式に則り、自衛隊的表現を用い、自衛官が書くような内容の嘘メールを書くことは容易です。このFSBのメールについても、同様のことが言えます。FSB関係者が見て「これはFSBの人間が書いたメールだ」だと判定されるようなものを作ることは可能なのです。ベリングキャットも、「明らかな嘘メールではない」ということを確認したというだけでしょう。

 要するにこのメールは、「真実の告発メール」とは言い切れず、「偽メールと判断することのできないほど高度に偽装されたメール」の可能性もあると言えるでしょう。

2021年8月の「反日情報キャンペーン」

 もう1つ、このメールに関連して見逃せない事実があります。昨年8月、ロシアにおいて第2次大戦中の機密が解除され、日本軍が細菌兵器開発のためにソ連軍捕虜を使った人体実験をしていたといった情報などが公開されました。

 侵攻計画があったとされる同時期に、反日情報キャンペーンが行われていたことになります。メールの告発者は、このキャンペーンの目的を「ロシア世論の反日気運を高めるため」だったとしており、対日武力攻撃の下地作りだったとしています。

 これは事実かもしれませんが、対日武力攻撃計画の存在自体が偽情報の可能性がある以上、この反日情報キャンペーンが何の目的で行われたものなのかは考えておく必要があります。

 もちろん、機密年限が定められており単純に年数が経過したから、たまたまその時期に公開されただけ、という可能性もあります。ですが、納得のできる動きはありました。

 忘れ去っている方は多いかもしれませんが、この頃の日本は政権交代で騒がしくなっていました。昨年8月は、菅義偉前首相の自由民主党総裁任期が満了直前で、総裁選挙(9月29日)が迫っていた時期です。

 菅内閣では、コロナ対策、オリンピック実施に全力を注いでいたこと、および安倍路線の継承を唱えていたこともあり、日ロ交渉は停滞していました。2016年に、安倍政権による北方領土返還交渉が失敗していたためです。

 ところが9月の総裁選で岸田政権が発足すると、外務副大臣に鈴木貴子衆議院議員が就任し、状況が一変します。鈴木貴子氏は言わずと知れた鈴木宗男参議院議員のご息女です。岸田政権の発足後、停滞していた日ロ交渉には、鈴木父子、森喜朗元総理などロシアとの太いパイプを持つ政治家が関与を始めます。2016年の安倍政権による日ロ交渉に大きく関わっていた人物たちです。当時、外務大臣としてその失敗をつぶさに見ていたはずの岸田総理が、なぜこの路線に戻ったのか理解に苦しみますが、路線は戻されていたのです。

 今年1月14日には、ロシアのラブロフ外相が日ロ平和条約締結交渉のため数カ月以内に訪日予定であると発言しています。2月24日ウクライナへの侵攻がなければ、日本は日ロ平和条約締結に向けて大きく動いていたはずです。

 つまり、ロシアでの8月の反日情報キャンペーンは、安倍路線を継承し交渉を停滞させたままの菅内閣への圧力であるとともに、岸田政権後の日ロ平和条約交渉における条件闘争の支援だった可能性が考えられるのです。

ロシアの意図は?

 ロシアの対日武力攻撃情報が偽のものだとしたら、その目的は何でしょう?

 動機は、簡単に説明できます。日本によるウクライナ支援の阻止です。

 もしロシアが日本を攻撃すれば、日本は直接ロシアと戦わなければなりません。ウクライナ支援どころではないのです。日本に対してロシアが攻撃する可能性を示すことで、日本の世論をウクライナ支援から遠ざけることができるということです。

 この可能性を証明する方法はありません。ですが、この対日武力攻撃情報が出てきた時期を考えれば、可能性は否定できないもののように思えます。

 下の画像は、ウクライナ情勢に関する対応をまとめた外務省ホームページのスクリーンショットです。主要なウクライナ支援の項目を赤丸で示しています。

 この告発メールの情報が公表されたのは3月17日です。3月8日に防弾チョッキなどの自衛隊装備がウクライナに提供されることとなり、その9日後に、この情報が出たことになります。

 ただし、この時点ではロシア語であったため、ほとんど広まることはなく、4月29日アメリカ在住のウクライナ人スシュコ氏が英訳してから知られるようになりました。

 その後、復興支援のための資金協力なども発表され、11月22日ウクライナ軍の越冬支援のための緊急無償資金協力が発表されています。これは、ロシア軍の攻撃によりエネルギーインフラが破壊され、停電などによって越冬が困難になる人に対する支援として行われました。ロシアとすれば、ウクライナ人の生活を困窮させるために攻撃を行ったにもかかわらず、それを無にするものと言えます。

 また、政府の正式発表ではありませんが、11月17日には、日本政府が殺傷能力を持つ武器の輸出検討に入ったことを共同通信が報じています。これは、防衛装備移転三原則を改定するもので、ウクライナ情勢だけを念頭に置いたものではないと思いますが、これが可能になれば日本からウクライナに武器供与が行われる可能性が高くなります。

 今回のニューウィークの報道は、日本による武器供与を牽制する目的で、3月の情報を再度掘り起こした可能性があります。

 ニューウィーク11月24日に記事(英語版)を掲載するにあたり、記事には書かれていない新規情報があった可能性もありますが、最初にメールを英訳したスシュコ氏は、今回の報道の情報源は4月時点の英訳だとしてツイートしており、新規情報がないまま掲載された可能性は低くありません。

偽情報が拡散されたのか?

 以上のように、私はこの対日武力攻撃情報は偽情報だと見ています。

 では、ニューウィークやべリングキャットのグローゼフ氏、それにスシュコ氏が偽情報の拡散に荷担していたと見るべきでしょうか?

 私は、そうは思いません。ベリングキャットは、陣営を問わず偽情報を暴いています。偽の可能性を検証したが偽とは言い切れなかった、というだけです。

 ウクライナ人であるスシュコ氏は、積極的にロシアの偽情報を暴いています。このFSB関係者のメールにはロシアにとって不利な情報が多数含まれており、対日武力攻撃情報はその一部に過ぎません。FSB内部からの情報流出があることを知ったFSBが、西側に流されることを前提で、組織内に流した情報かもしれません。

 ニューウィークが今になって記事を掲載したのは、FSBの意図があるようにも感じられますが、推測でしかありません。記事自体は、5月頃に書かれたものかもしれません。

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(出典 news.nicovideo.jp)