女性差別はまだ残っている。

 日本最大級の大学スポーツ紙である「早稲田スポーツ新聞」、通称「早スポ」。年に12回刊行され、箱根駅伝や大学ラグビーなど人気競技を扱う号は1万部以上を発行する“一大メディア”である。

 早スポを発行するサークル早稲田スポーツ新聞会」は1959年の発足以来60年以上の歴史を持つが、初代から61代目まで編集長はすべて男性が務めていた。

 その伝統が更新されたのは、2021年8月のこと。サークル内の選挙で人間科学部の高橋さくらさんが最多得票を集め、女性として初めて編集長に就任したのだ。

 いわゆる大手の「スポーツ新聞」で、トップどころかその下のデスクレベルにすら女性が就任したという話はほとんど聞いたことがない。スポーツも新聞もそれほど“古いカルチャー”が強い世界だが、なぜ早スポには女性編集長が誕生する土壌が育まれていたのだろうか。そして高橋さんはどうやって「初」の壁を乗り越えたのか――。

◆ ◆ ◆

――はじめまして、高橋さんはいま早稲田の4年生なんですよね。

高橋 そうですね、あと半年で就職です。

――早スポの活動はもう卒業されているんですか?

高橋 2年生の2月に編集長になって3年生の2月に引退したので、そろそろ早スポのない大学生活が1年近くになります。1年生の頃から3年間はかなりの時間とエネルギーを早スポに割いていたので、逆に新鮮な気持ちですね。

高校女子校、部活は演劇部だった

―― 「早スポ史上初の女性編集長」という話の前に、まずはどうして早スポに入られたかをお聞きしたいです。やはりスポーツが好きだったんですか?

高橋 いえ、実はそういうわけでもないんです。きっかけは高校の時に入った演劇部でした。

――新聞部ではなくて、演劇部

高橋 そうなんです(笑)。私は田園調布学園という中高一貫の女子校出身で、高校では演劇部に入りました。「三銃士」などの演目で役者もやったのですが脚本を書くのが楽しくなってきて、文章を書いてご飯を食べていける方法はないかなと考えて、新聞のようなメディアに興味を持つようになりました。

――演劇を続けよう、という気持ちはなかったのですか。

高橋 演劇や脚本で生活できるのは本当に一握りの人だけだろうなと思っていたので、仕事にすることはあまり考えませんでしたね。下積み時代も長そうなイメージがありましたし。

――高校生の時から現実的だったのですね。メディアと言っても早稲田大学には広告研究会や出版系でもミニコミからフリーペーパーまで多くありますが、その中でなぜ新聞を選ばれたんでしょう。

高橋 私は大学受験で1年浪人していて早稲田に入った時は19歳だったんですが、自分の中に「これを訴えたい」という強烈な思いが特にないことに気がついたんですよね。「あ、私には何もない」と。それに実際にメディアに就職できたとしてもどうせ自分がやりたいことばかり取材できるわけではないだろうから、むしろ自分が興味を持ったことがないスポーツというものをイチから勉強して、取材の練習をする方が役に立つかなと。

――興味がないことを勉強する練習としてスポーツ新聞を選んだ、と。 

高橋 あとはいくつかのサークルの「飲み会ありき」な感じに馴染めなかったのも大きな理由です。早スポは割とビジネスライクというか会社っぽい雰囲気で、私にはそっちの方が合っているかなと思いました。

――かなり大人びたというか「将来の役に立つ」ことを重視した選択基準な感じがするのですが、周囲と比べてどうですか?

高橋 確かに周囲との温度差というか、目的から逆算する意識の差を感じることはあったかもしれません。私が入った人間科学部はキャンパスが所沢にあるんですが、早スポなど大手のサークルはだいたい高田馬場の本キャンパスにあって、電車で1時間半くらい離れているんです。私は授業が終わると高田馬場まで毎日通ってサークルを見て周りましたが、所沢で人間関係を作って完結している子も多かった気はしますね。

「『私はみんなより1年出遅れている』っていう劣等感があったんですよね」

――そこまで貪欲にサークルを探したのはなぜだったんでしょう。

高橋 1年留年して「私はみんなより1年出遅れている」っていう劣等感があったんですよね。あとは、せっかくサークルで時間やエネルギーを使うなら将来のためになる最適な場所を探したいと自然に思っていた気がします。

――それが意外と「普通」ではなかった、ということですね。それでもスポーツの知識がないところから、スポーツの取材をしたり記事を書くのは大変だったのでは?

高橋 たしかに早スポに入って、野球やサッカーでは詳しい人に敵わないことにすぐ気がつきました。でも早稲田には44個も部活があって、メジャーとは言いがたい競技もたくさんある。そういう競技を取材する人はみんなイチから勉強しているっぽいこともわかって、それなら種目を選べば私にも“勝ち目”があるなって。

――勝ち負けを意識されていたんですね。

高橋 言われてみればそうですね(笑)。私の担当はゴルフハンドボール、漕艇、アメフトラグビー応援部でしたが、ハンドボールアメフトに詳しい人はそこまで多くないですよね。なので同期より勉強や取材をちょっとずつ頑張って、その競技のスペシャリストとして部内で地位を確立しようと考えました。

――その見立てはどうでしたか?

高橋 うまくいった、と思います。最初の1年間は授業が終わったら月~金で違う部活に取材に行って、土日は朝からどこかの試合、さらに部活の遠征についていく交通費(1回あたり3~5万円)も自腹なので隙間にバイトを入れてお金で困らないように……と、ほとんどすべての時間を早スポの活動に使っていました。20万円くらいの一眼レフもお金を貯めて1年生の冬に買いました。学部の単位も最大まで取っていたので、本当に時間のやりくりが大変でした(笑)

――大学受験が終わった解放感どころか、かなりのハードワークです。一歩間違うとブラックにも聞こえますが……。

高橋 スポーツの知識がないし高校時代に新聞部だったという同期もいて、「私は出遅れてる」と思ったからこそ頑張れた気がします。ただ早スポ内でもそこまで根を詰めて活動する人は少数派なので、ブラックサークルというわけでもないですけどね。ブラックだったのは、同期50人くらいの中で私とあと数人ぐらいだと思います。

1年生のときから「編集長になりたい」と周囲に公言

――「自分は出遅れている」という感覚が背中を押していたのですね。その状態から、編集長になることを意識するようになったのはいつ頃ですか?

高橋 実は1年生の夏頃には編集長というポジションを意識するようになりました。どうせ数年間を捧げるなら組織の中で一番になることを目標にしようと思って、周囲にも「編集長になりたいと思ってるんだ」と公言するようにしていました。過去に女性の編集長がいないことも聞いていたので、早めに言っておいた方がいいかなと。

――周りにも言っていたんですね。

高橋 言っちゃった方がいいと思ったんですよね。編集長を決める選挙は同期生の投票で、2年生の終わりにあるんです。選挙が近づいてから突然手を上げるよりは「編集長をやりたい人なんだ」ってわかってもらっていた方がなりやすいと思って。

――過去に立候補した女性はいたんですか?

高橋 少し前に1人いたらしいという話を聞いたことがある、ような気がする……くらいの感じです。本当のところはよくわかりませんが、ほとんどいなかったということだと思います。

――そういえば早スポって部員の男女比はどうなっているんでしょう。

高橋 早スポは斎藤佑樹さんがいらっしゃった時期に部員が一気に増えたそうなんですが、それ以降は女性が55%から60%くらいで安定しているようです。私の代も1年生100人くらい入ったところから減っていって、最終的に女子30人男子26人の56人でした。実際の活動内容も男女でほとんど変わりませんし、編集長以外の役職には女性が就くことも結構あったようです。

――性別による露骨な差はないんですね。それでもトップの編集長だけはずっと男性だった。

高橋 そうですね。私の前はしばらく早稲田の系列高校出身で特定の学部に所属する男性が続いていて、それが早スポ編集長の典型的なパターンとして定着していました。一方の私は女子高出身で、所沢キャンパスの人間科学部で、しかも一浪(笑)

――マイノリティ属性の詰め合わせ状態です(笑)

高橋 ただ早スポの名誉のためにフォローすると、全体としては男女がかなり平等に活動してるサークルだと思います。女性がお茶をいれるみたいなカルチャーは全然ないし、取材や記事作りの場面で遠慮することも基本的にはありません。実際に私が編集長になれたわけですしね。それでも1年間編集長をやる中で「私が男だったらこの苦労はしなくて済んだのかな」と思うことは正直ありました。

――どういうことでしょう。

高橋 うーん、一言で言うと「モテない」という感じが近いですね。

――「モテない」。男子にですか?

高橋 男子にもですし、先輩にも可愛がられにくいというか全体的に人間関係が円滑に進まない感覚はありました。もともと馬が合う同期や先輩が少なかったのは前提としてあるんですが、やっぱり自分の意見を強く主張せず一歩下がるサポートタイプの女子の方が可愛がられるように私には見えました。同じような失敗をして怒られていても、なぜか私だけかわいそうな感じに映らなかったり(笑)。紙面作りでも「絶対こうした方がいいと思う」と主張していたので、扱いづらいと感じる人も正直いたんだと思います。

――煙たがられるのは気になりませんでしたか?

高橋 私は早スポを「いつか仕事で役立つスキルを身につけるための場所」だと思っていたので、部内の人間関係はそこまで気にしていませんでした。私が思ったように行動してるのを好きになってくれる人もいるだろうし、それが嫌だっていう人がいてもしょうがないので。でも衝突を避けて波風立てたくない気持ちもわかるし、「女子としての生存戦略」が私と違う人がいるんだなぁと勉強になりました。

――「女子としての生存戦略」は重い言葉ですね(笑)。それでも最終的に編集長選挙で票を集めたということは、自由に振る舞う高橋さんを好意的に受け止めていた人が多かったということですよね。

高橋 そうなるんですかね……? 編集長選挙には私を含めて3人が立候補して、他の2人は男子でした。そのうちの1人は系列校出身の、編集長コースど真ん中の相手でした。

――伝統とマイノリティがぶつかったのですね。

高橋 と言うと大げさですが(笑)。ただ私は飲み会サークル旅行の出席率が低かったので、部内の人間関係にまったく自信がなかったんです。それなら逆に理詰めでいくしかないと思って、パワポのプレゼン資料を用意することにしました。何をするために編集長になるか、早スポをどういうサークルにしたいかを具体的に伝えようと思ったら膨大な量になってしまいましたが(笑)。他の2人が口頭で話すスタイルだったので妙に目立ってしまいましたね。

――ちなみにどんなプレゼンをしたんですか?

高橋 そんなに特別なことを言ったつもりはなくて、「先輩の背中を見て覚えろ」じゃなくてちゃんとマニュアルを作ろう、非効率な事務を見直そう、新聞ガチ勢にならなくても個人のスタンスを尊重できるサークルにしよう、モチベーションは共有できなくてもサークル全体の目的意識だけは共有しよう、とかそんな話をした記憶があります。

――コンサル会社のようです(笑)。選挙結果はどうだったのでしょう。

高橋 獲得票数や、誰が投票してくれたかは担当者以外には秘密なので私も知らないのですが、個人的な感覚としては「部の中で目立つ存在ではなくても、日々ちゃんと取材していた層」が私に投票してくれたのかなと勝手に思っています。みんながいるところでは何も言わず、2人になった瞬間に「応援してるよ」と言ってくれる人もいました。

――サイレントマジョリティが高橋さんを支持していたわけですね。1年生の時から目指していた編集長になった達成感はどうでしたか?

高橋 1年生の頃からの目標だったので、選ばれたときはもちろん嬉しかったです。でも本当に大変だったのは、編集長になってからでした……。

「女子に指示されるのってこういう感じか……」早スポ初の女性編集長が直面した「男のプライドみたいなもの」と“本当に小さなこと”とは へ続く

(八木 葱/Webオリジナル(特集班))

「早稲田スポーツ」史上はじめての女性編集長に就任した高橋さくらさん ©文藝春秋 撮影・末永祐樹


(出典 news.nicovideo.jp)