いろいろある。

 安倍晋三元首相が応援演説中に元自衛官の男に暗殺されるという衝撃的な事件に日本中の注目が集まる中、7月10日参議院選挙の投開票が行われる。各党の公約や投票結果の行方に注目が集まる一方で、有権者が投票先を記入する「投票用紙」にも注目が集まっている。各投票所で有権者に配布される投票用紙は、ある企業の独自技術で製造されたものだからだ。1986年の誕生から約35年。有権者からは「書き心地がいい」などと好評だ。そんな注目の投票用紙の製造を手掛けるユポ・コーポレーション東京都千代田区)に、素材の正体と開発秘話を聞いた。

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●素材は「プラスチック」 選挙機器メーカーと共同開発

 取材に応じたのは、投票用紙の開発を手掛けた、同社の鹿野民雄加工品部長。今回の参院選で同社は、2億枚(推計)にも及ぶ投票用紙の製造を一手に引き受けている。「この投票用紙の正体は何ですか」。鹿野部長にズバリ聞くと「投票用『紙』だが、実は紙ではない。分野でいうと合成紙に該当する。簡単にいうとフィルム、つまりプラスチックだ」と答えた。

 素材名は企業名と同名の「ユポ」で、共同開発した、選挙機器メーカームサシ東京都港区)から「開く投票用紙」という名称で販売されている。

 紙との違いは何か。鹿野部長は「紙とユポは製造方法が全く異なる」と話す。簡単に解説してもらったところ、紙は木材から採取した繊維「パルプ」などを混ぜた液体をシート上に薄く伸ばし、乾燥して水分を抜いたものを指すという。

 これに対し、ユポは主原料であるポリプロピレンに、少量の添加剤を混ぜ、熱で溶解した上で、紙同様にシート上に薄く伸ばして製造する。最終的な製造方法は近いものの、木材と脱水が必要な紙に対し、ユポは化学原料を使用し、脱水という工程が不要な点が大きな特徴だ。

 製造も紙よりも技術的に難しいようで「空気の層をコントロールし、軽量化するとともに、厚さを均一にするのが難しい」。鹿野部長は製造の難しさをこう語る。

●優れた書き心地を実現する企業秘密の配合

 SNS上では、ユポ製投票用紙の書き心地を賞賛する声が多い。その秘訣を鹿野部長は「ユポは三層構造になっており、表面を無機充填剤などでコーティングしている。表面に散りばめた粒子と、鉛筆の摩擦によって優れた書き心地を実現している」と説明する。

 無機充填剤という聞き慣れないワードが出たため、詳しく聞くと「石のようなものをイメージしてもらえると。学校の運動場のライン引きに使われる白い粉のように細かく砕き、ユポの表面に付着させている」という。具体的な物質名や配合比率については「企業秘密なので明かせない」(鹿野部長)とした。

●政府主導だった合成紙産業

 同社がなぜ投票用紙を手掛けることになったのか。それを語るには、同社の成立過程と、合成紙を手掛けるに至った時代背景に触れておく必要がある。

 時は60年代にまで遡る。68年、科学技術庁(現在の文部科学省)が消費増による森林資源枯渇への危機感と、石油化学の勃興を背景に「合成紙産業育成に関する勧告」 を発表。勧告には天然紙の代替として安価な石油資源から製造する「合成紙」の重要性が提言されており、10年後の78年には紙需要推定1600万トン(当時)のうち、合成紙が約350万トンに占めると予測されていた。

 このため、石油化学や紙パルプ、繊維など関連業界から20社以上が続々と参画。合成紙の製品化に向けた研究が業界内で一大ブームとなった。ユポ・コーポレーションの前身である、三菱油化(現三菱ケミカル)と王子製紙(現王子ホールディングス)もそうした企業の1つだった。

●「夢の合成紙」誕生も、オイルショックで「冬の時代」に

 各社で合成紙研究が進む中、69年5月、石油化学系合成紙の企業化を目的に、2社が折半出資し、合弁会社の王子油化合成紙研究所(現ユポ・コーポレーション)を設立。その直後、日本の合成紙に関する特許第1号を取得した三菱油化の技術をベースにした合成紙「FPペーパー」が完成し、一躍注目を集めた。

 工場の建設など量産化に向けた準備を整え、71年にはブランド名を社員やその家族から募集。作家の小松左京氏や星新一氏ら選考委員の選考の結果、3000通の応募の中から、社員が考案した「ユポ」が採用された。ユポ(YUPO)には三菱油化(「YU」)と王子製紙(「O」)を、「Paper」(紙)で結びつけるという意味が込められているという。

 海外の製紙メーカーと提携し、米国輸出を進める最中、74年10月、第四次中東戦争による、第1次オイルショックが発生した。合成紙は原料に石油由来の化学原料を使うことから、原材料価格や生産コストが高騰。採算性悪化で競合各社が事業からの撤退を次々に表明した。

 王子油化も大打撃を受け、一気に「冬の時代」を迎えた。「当時は新聞紙を合成紙で代替するという動きもあった」(鹿野部長)というが、そうした構想も夢物語となった。

●「紙の代替」から機能性重視に方針転換

 とはいえ、残された社員とその家族のため、事業を継続しなければならない。当初は政府方針によって、紙の代替として研究開発が始まった合成紙だったが、オイルショックコストが上昇。紙との競争力を失ったことから、同社はユポの機能性を生かした事業方針に転換する。

 プラスチックであることから水に強く、破れにくい特徴を持つユポ。その特徴を生かせる業界を探した。当時は技術的にユポへの印刷が難しかったため、専用インクも開発し、山など屋外で使う地図などに徐々に採用されるようになった。紙よりも繊維が長く、折れにくいという特性もあったため、屋外での利用に向いていたのだ。

 だが、最初の10年ほどは赤字続きで、鹿野部長は「仕事がなく、暇だったので工場周辺の草むしりをしていたと聞いている」と当時の状況を明かす。

逆転の発想で「折れにくい」を「開きやすい」に

 そんな苦境を一変させたのが、ユポの投票用紙への採用だ。取引先だったムサシが、ユポが持つ、折れにくい特性に着目。投票用紙への活用を提案した。当時、投票用紙は紙で、開票時、用紙を開く作業に時間を要していた。

 それは開票作業の遅れにもつながり、作業が深夜や明け方にまで及ぶ要因になっていた。作業の長期化は開票作業を担当する自治体にとって、「深夜手当」など職員の人件費にも影響が出るため、各選挙管理委員会も作業効率化を模索していた。そこでユポの折れにくいという特性を、逆に「開きやすい」という発想に転換したのだ。

 ユポを投票用紙に採用するに当たっては、表面に付着させる粒子のサイズなどを調整し、紙同等の書き心地を実現できるよう試行錯誤を繰り返した。また、投票用紙表面の摩擦係数を表と裏で変え、ムサシ製の選挙機器が正しく票数を計測できるよう工夫も施した。鹿野部長によると「投票用紙を手で触ると表と裏で感触が異なる」という。

 数年の開発期間を重ねて完成した投票用紙用のユポは、1986年12月福岡市長選を皮切りに、ムサシなどのバックアップもあり、国政選挙や全国の首長選での導入が進んだ。2010年には、都道府県別で最後まで紙の投票用紙を採用していた沖縄県もユポ製に切り替え、全都道府県を制覇した。

 「村など一部の自治体費用対効果などの関係で紙を使っているが、日本国内のほとんどの自治体は、ユポ製を採用している」と鹿野部長。今では当たり前となった「即日開票」は、企業のたゆまぬ努力によって実現されたものだった。

●投票用紙の「色」、実は自治体判断

 ただ、課題もある。導入自治体が増えるにつれて、求められる生産数も増加。競合が撤退し、投票用紙の生産能力を持つ企業が、事実上ユポ・コーポレーションのみとなり、同社に注文が集中するのだ。

 選挙は、参院選のように実施時期が決まっているものだけでない。憲法で「衆議院の解散から40日以内の実施」と決められている総選挙のように、実施時期が不明でかつ、一度に大量の投票用紙が必要な選挙もある。

 憲法改正発議に伴う、初の「国民投票」実施の可能性も高まっている。このため「日程確定後に生産しても確実に間に合わない。参院選のような大規模選挙が終わる度に、生産数を増やし、新たな在庫を増やす必要がある」(鹿野部長)という。

 生産数だけでなく、同社は投票用紙の「色」の行方も注視している。現在、ユポ製投票用紙には計6色のラインアップがある。近年の国政選挙では、使用する色が固定化されつつある一方で、地方選挙では投票用紙の色に関する統一ルールがない。

 このため、前回選挙から変更される可能性があることから、ムサシと協力の下、選挙が近い自治体を中心に地道なヒアリング調査を実施。前回選挙で使用した投票用紙の色とともに、次回選挙での意向を確認している。

 同社は「どの色が採用されてもいいような在庫量は常に確保している」(鹿野部長)と強調しているが、ウクライナ戦争などであらゆる原材料価格が高騰している中、必要な在庫量が不透明で、余分な在庫が増えれば、その分、倉庫代など管理コストも増える。企業側の負担を減らすためにも、今後は、地方選挙でも投票用紙に使用する色を統一する動きがあってもいいかもしれない。

●商品は「ユポ」のみも、売上高137億円 ラベルへの採用増

 投票用紙への採用を機に、徐々に知名度を上げた合成紙「ユポ」。近年は選挙業界だけにとどまらず、今では、さまざまな業界・用途で採用が進む。その代表例が商品ラベルへの採用だ。大手飲料メーカー缶コーヒーのキャンペーン用ラベルに採用したことを契機に「綺麗にはがせる」「結露しても、水を吸い込まず破れにくい」と評判となり、採用する企業が増加した。

 ラベルへの採用について、鹿野部長は「ラベル用のユポは、元々、原材料の配合率を間違えてできたものがきっかけ。いわゆる失敗作だった」とのエピソードを紹介した。偶然できた産物だが、現在では化粧品や洗剤など日用品のラベルとしても採用され、われわれの生活を支えている。他にも、風呂用のポスターや、船舶関係のマニュアルにもユポが採用されている。

 さまざまな業界への採用歴を積み重ね、同社は20年3月の通期決算で売上高137億6600万円を記録した。鹿野部長は「商品はユポだけ。ユポしか売れるものがない」と自社事業について自虐的に語るものの、単一事業でここまでの売上高は驚異的といっていい。

●廃プラの動きにも対応中

 近年は、プラスチック資源循環促進法などの施行で、店舗でのレジ袋が有料になるなど、国内外でプラスチックの使用量を削減する動きが出ている。こうした情勢を踏まえ、同社は、空気の含有量を増やすことでプラ使用量を減らしたユポを開発した他、再生紙のように、廃棄されたユポを回収し、再利用するといった循環システムの構築に着手し始めている。

 「世の中が環境に配慮した製品を求めている。ユポのエコシステムを迅速に確立し、廃プラに貢献したい」(鹿野部長)

教科書採用で小学生救世主に?

 同社は新たな用途の発掘にも積極的に取り組んでいる。教育業界もそうした候補の1つだ。同社は「具体的な動きは現在ない」としつつも、「紙よりも2~3割軽い」(同社)というユポの特性を生かし、例えば、学校教科書に採用すれば、教科書自体が軽くなる可能性がある。

 教科書のページ数や副教材の増加を背景に、ランドセルが年々重くなり、腰痛や肩こりに悩む小学生(「ランドセル症候群」とも)向けに、「さんぽセル」という商品が4月に発売されるなど、小学生の負担軽減を図る動きに注目が集まっている。

 同社はユポの価格について「紙の数倍」としており、教科書への採用となれば、コスト面が課題となりそうだが、実現すれば、小学生の“救世主”となるのは間違いない。タブレット端末を使った「デジタル教科書」とともに、教科書の素材にも今後、注目が集まりそうだ。

 参院選の投票は7月10日午後8時まで。同社は「投票用紙には色々な技術が詰まっている。特に書き心地、パッと開くという特性を投票所で体験してもらうとともに、投票所に足を運び、投票率アップにも貢献してほしい」と有権者に呼び掛けた。

 今後の事業については「紙との比較ではコスト面で劣るが、値下げだけが全てではない。今後も機能性を高めたユポを開発し、新しい業界・用途を開拓することで、社会に貢献していきたい」としている。

ユポ製の投票用紙(ユポ・コーポレーション提供、写真はイメージ)


(出典 news.nicovideo.jp)