終身刑があっても変わらない気がする。

 日本の犯罪、とりわけ殺人事件を語る上において、死刑制度はけっして無視できないファクターである。なぜなら近年、複数の大量無差別殺傷犯が「死刑になりたかった」「死ぬ勇気がなく、行政に殺されたかった」との動機を公に語ってきたからだ。

 この『「死刑になりたくて、他人を殺しました」 無差別殺傷犯の論理』は、そんな「死刑になりたい」と叫んできた犯人たちに寄り添って書かれた一冊である。

 著者のインベカヲリ★は、過去に『家族不適応殺――新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』をものしたノンフィクションライター。そして本書は教誨師(きようかいし)、元刑務官、加害者家族をサポートするNPO法人の理事長、元死刑囚の最後の面会者など、計10人の語りから構成されている。

 彼ら10人は「無差別殺人はなぜ起こるか」の問いに、それぞれの考えからそれぞれの答えを出す。ある者は「家族への復讐」と言い、ある者は「拡大自殺」だと言う。また「幼少期の愛着形成の失敗がもたらした結果」という意見もあれば、「承認欲求の肥大」と言う者もいる。おそらくそのすべてが正解なのだろう。無差別殺傷はいまや社会問題であり、社会の病巣とは複合的な要因から成るものだ。ならば答えだって、当然ひとつではあり得まい。

 本書にはさらに大きな特徴がある。著者のインタビューに応じた10人が、誰1人として無差別殺傷犯および死刑囚を“特別な存在”と見なしていないことだ。

 こんな凶悪な犯罪を起こしたからには、犯人は一般人とかけ離れた怪物だろう、悪辣な鬼畜だろうと世間は見なしがちである。しかし彼ら10人は「誰にでも起こり得ること」「一歩間違えれば、誰もが踏み込みかねない道」というスタンスから殺傷事件を語る。

 白眉は秋葉原無差別殺傷事件の犯人の元同僚がインタビューに応じた章だ。友人の言葉から浮かびあがる加藤像はひどく生々しい。職場での彼はサービス精神旺盛な“いい奴”だったという。かつ認知の歪みはあきらかで、歪みに無自覚ゆえに隠していなかった。とはいえ事件さえ起こしていなかったなら、よくあるタイプの歪みと言える。すべては紙一重なのだ。

 おそらくわが国は、今後も死刑制度を存続させていくだろう。直近の世論調査でも、死刑存続への賛成票が圧倒的多数を占めた。日本には終身刑制度が存在しないため、国民の多くが「凶悪犯に無期懲役か死刑しか選択肢がないなら、極刑もやむなし」と考えているに違いない。我々は死刑制度と共存していかねばならないのだ。そのためにも、元死刑囚と交流した女性の言葉を最後に引用しておきたい。

「死刑には犯罪抑止力があるという人は『死刑になりたい』から事件を起こすなんてやめてくれ、って言わないといけないと思うんですね。そのために死刑はあるんじゃありませんって」

インベカヲリ★/1980年東京都生まれ。写真家。短大卒業後、独学で写真を始める。13年に出版した写真集『やっぱ月帰るわ、私。』で木村伊兵衛写真賞最終候補に。18年に伊奈信男賞、19年に日本写真協会賞新人賞を受賞。近著に『私の顔は誰も知らない』。

 

くしきりう1972年新潟県生まれ。著書に『ホーンテッドキャンパスシリーズ、『死刑にいたる病』『鵜頭川村事件』など。

(櫛木 理宇/週刊文春 2022年7月7日号)

『「死刑になりたくて、他人を殺しました」 無差別殺傷犯の論理』(インベカヲリ★ 著)イースト・プレス


(出典 news.nicovideo.jp)