頭に傷痕、複数の縄文人骨発見 集団間で争いか、北海道
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2022/2/1 19:29 (JST)
2/1 19:45 (JST)updated
(出典 nordot-res.cloudinary.com)
鈍器で殴られた痕(〇で囲んだ部分)のある頭蓋骨(青野友哉・東北芸術工科大准教授提供)
北海道伊達市の「有珠モシリ遺跡」で、集団間の争いが原因とみられる傷痕のある、縄文時代晩期の頭蓋骨が複数見つかった。発掘した東北芸術工科大(山形市)などの研究グループは「『縄文時代は平和だった』との理想化された認識に一石を投じる可能性がある」としている。
(略)
※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。
>>1
同時期に、西日本は農耕を中心とした弥生時代に移行。集団間の戦闘も起きており、研究グループの青野友哉准教授(骨考古学)は「玉突き的に人が移動した影響が、北海道にまで及んだのではないか」と分析した。
いやいや、縄文人しかいなかった時代でも、争いはあっただろう。
集団同士が接近する機会が少なかっただけで、集団間の闘争はあったはず。「ここは俺たちの猟場だそ!」「いいや俺たちのだ!」
>>27
獲物が多いから争いは少ないだろうけど簡単に獲れる場所があったら争いになるかもな
鮭の遡上ポイントとか、貝の密集地とか、
>>1
野蛮な縄文人だ
石器で殴ったのか?
>>1
鳥取県の縄文遺跡から出土した縄文人骨のDNA解析でも
男系遺伝は縄文人で女系遺伝は弥生人だったからな
野蛮で争いを好む縄文人が優れた航海技術を利用して
朝鮮半島から若い女を拉致して鳥取県へ連行し
縄文人男性の子供を産ませていたとも考えられる
・・・というかそう考えるのが最も自然ではないか?
朝鮮半島から若い女性だけが日本へ渡海するなんて
社会的にも造船過程や操船面からも考えにくい
>>1 で、それが?
>>1
縄文vsアイヌだ
>>1
旭川のいじめの先祖?
>>1
>一石を投じる
ここにわずかなユーモアを感じた
平和だったとか誰が思ってんだよ
>>3
王や貴族の誕生や国同士の戦争っていうのは基本的に農耕から始まる
なんか日本人は農耕民族を平和的だと思っている節があるが、逆w
>>16
別に始まらん
>>33
いや、法整備してないから縄張り争いから始まるから始まるよ
>>3
武器が見つかって無いからだろ
>>81
ステゴロ上等が平和の証拠
じゃっぷ
は野蛮人
>>9
どこの国の人が毎日こういう嫌がらせを書くんだろうな
そこには日本人は居ない、そいつらはロシアだ
>>12
ロシア人(スラブ系)が極東沿海州に到達したのって幕末明治の頃やぞw
ほう、やはり日本人のご先祖さまだ、日本人らしいね!
今まで過度に神格化され、平和主義者とされてきたからな、縄文人
戦後は一貫して、縄文人不戦説が、平和憲法の文化的根拠とされてきた
>>13
脳みそが縄文時代で止まってそう
青銅器も鉄器も馬もないし
お互い石投げ合ったりする大規模な喧嘩以上の戦争のやりようがない
>>15
木と繊維と石鏃の手づくりの弓矢の殺傷力はスゴいんだけどな
野生動物も撃てるのに人間なんて簡単だよ
あと縄文人は鋭利な石刃の槍やナイフを持ってる
現代の軍人並みに強いと思われ
なんだ読んだら縄文時代末期じゃねーか
>>24
弥生人にやられたのかもな
これアイヌが先住民と言うのは間違いなんだろ?
それ以前に縄文人がいた証拠だ
>>30
で?
縄文時代の住居で北海道で生きていけるの?
当時はそんなに寒くなかったとするなら、
東京にも縄文時代の住居があるから、東京はすごく熱かったことになる。
>>44
萱葺きの竪穴式住居は案外暖かいらしい
熱を逃がす壁がないのと分厚い萱に空気が沢山含まれ断熱するからじゃないかと思うが
ちなみにロシアの話だがデルスウザーラで葦のテントを作り吹雪からの凍死を免れるエピソードがある
しっかり作れば植物の家は十分暖かいようだよ
北海道なアイヌじゃないのか
>>50
アイヌ間でだよな、当時は少なくとも東日本は
農耕をする前は争いがなかったって俗説だよな
それが事実なら人間以外の動物は争わないはずだし
>>57
ほんこれ
アイヌが北海道に定着したのは鎌倉時代以降。
モンゴルの勃興で玉突き的に押し出された沿海州の諸族が移り住み彼ら主動で縄文人と混血したのがアイヌ。
諸族(諸部族)主動なので言語も文化もある意味多様で統一されておらす。
従ってアイヌ言やアイヌ文化は此ですと紹介する場合は今日的な政治工作(先住民権主張による日本分断工作:例 沖縄、琉球)の宣伝活動を疑う必要がある。
>>91
>アイヌが北海道に定着したのは鎌倉時代以降。
ならば坂上田村麻呂が戦った蝦夷というのはウソになるね
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